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※主人公視点,過去話わたしの名前は氏名。
だけどわたしの父上は、本当の父上じゃない。
わたしの本当の名前は九条名。
お父さんとお母さんは、わたしが小学生の時交通事故で死んでしまったの。
わたしのお父さんはずっとタクシーの運転手をしていたけど、確か小学4年生の時に新しい仕事に就いた。
氏さん専属の運転手になった、ってお母さんが言っていた。
それまでの生活は全然贅沢なんてできない、いわゆる貧乏な暮らしだったと思う。
だけどお父さんもお母さんも毎日ニコニコしていて、わたしは幸せだった。
お父さんの仕事が変わって、少しずつ美味しいものをお腹いっぱい食べられるようになってきて。
何度か氏おじさんのおうちに呼ばれてご飯を頂いたこともあった。
氏おじさんのお家はお城みたいに広くて、大きくて、迷子になっちゃいそうだと思ったのをよく覚えている。
おじさんはとっても優しくて面白くて、お父さんの運転がとても上手だからおじさんの力になって欲しくて来てもらったんだってよく話してくれた。
優しいおじさんにそこまで褒められるお父さんはやっぱり凄い!と、心の底から嬉しくて、誇らしく思えたの。
だけど、小学6年生になったある夏の日。
久しぶりにお休みをもらったお父さんは、家族でご飯を食べに行かないかと提案してくれた。
みんなでご飯に行きたかったけど、わたしは知っていた。毎年結婚記念日のお祝いをしているのに、今年は忙しくてまだできていないことを。
もうわたしも6年生なんだもん。夜、一人で留守番ぐらい平気だよ!だから二人でご飯へ行っておいでよ!
胸を張ってそう言うと、お父さんとお母さんは少し困ったように顔を合わせたけど、「じゃあお願いしようかな」と。おめかしして車で出かけていった。
お父さんはストライプのかっこいいスーツを着て。お母さんはベージュの綺麗なワンピース姿で。
ちょっと恥ずかしそうに微笑みながら、玄関を後にした。
それがわたしの見た、最後の姿だった。
車と車の衝突事故。
お父さんの運転する車と並んで走っていたはずが、ハンドルの切り間違いでぶつかってしまったらしい。
スピードが出ていたらしくて、お父さんとお母さんはほぼ即死だったらしい。
『まさか衝突の個性を持っていた彼が交通事故を起こすなんてね』
真っ黒な服を着て、呆然と立ち尽くしていると。どこからかそんな声が聞こえてきた。
『それより。名ちゃん、どうする?まさか二人共なんて…』
『お爺ちゃん達はだめでしょう?もう年だし、お婆ちゃんはちょっと痴呆が入ってるんでしょう?』
『ウチはダメよ。3人も子どもがいるし、上の子は受験を控えてるし…とてもじゃないけどそんな余裕ないわ』
『それを言い始めたらどこだってそうでしょ』
『やっぱり施設に任せる方がいいんじゃないの?』
そんな言葉がお葬式の間ずっと耳に入ってきた。
なんだかよくわからないけど、とても心がざわざわした。
目の前にある棺にはお父さんとお母さんが眠っているけど、もう目を覚ますことはない。
分かってはいるけど、実感がわかなくて。ただただぼんやりと立ち尽くすことしかできなかった。
「名ちゃん」
ぽん、と肩を叩かれる。振り向くと氏おじさんがそこにいた。
いつもよりずっと優しい笑顔で。泣くのを我慢しているみたいなそんな顔。
どうしておじさんがそんなに悲しい顔をしているの?だいじょうぶ?
そう聞くと、おじさんは一瞬息を呑んでわたしをぎゅっと抱きしめてくれた。
名ちゃんはそんなこと気にしなくていいんだよと、頭を撫でてくれる。
思い返してみればそれだけのことなのに、悲しさや寂しさが一気に溢れてきて。
周りのことなんて考えず、おじさんの胸の中で思い切り、わたしは泣いた。
その後、氏おじさん…ううん、父上はわたしのことを自分の娘としてあのお屋敷に招いてくれた。
親戚のおじさんやおばさんは反対したらしいけど、お葬式の時言っていたことはなんだったんだ!と逆に叱りつけたらしい。
お父さんとお母さんが亡くなって、本当に本当に寂しかったけど、いつも父上はわたしの側にいてくれた。
一度どうしてこんなによくしてくれるの?と聞いたことがある。
「君のお父さん…九条くんがいてくれたから、私の仕事はずっと順調に進んでいたんだ。
つまり、今の私がいるのは九条くんがあってこそだ。そんな彼の娘さんを大事にしないわけがないだろう」
と、そう諭された。
今の自分がいるのはお父さんがずっとお仕事を頑張ってくれたからなんだ。
そう思うとやっぱり嬉しくて、わたしも父上のためにできることはなんでもやろう。そう思った。
父上に引き取られてからわたしの生活は大きく変わった。
まず小学校を卒業したあと、わたしが中学校へ進学することはなかった。
わたしはみんなと一緒に学校へ通いたかったけれど、父上がそんなことしなくてもいいんだと言ってくれた。
名には素晴らしい才能がある、学校の教師よりも一流の家庭教師を招いて勉強を見てもらおう。そう続けた。
なんだか変だなぁとは思ったけど、それでも父上がわたしのことを思ってそうしてくれたんだから。
子どもじみたワガママを言って呆れられるのも嫌だった。間接的にお父さんのことも嫌いになられるんじゃないかと思えて、それが嫌だった。
一日の生活がお屋敷の中で完全に完結するようになり、いつの間にかわたしは外出することを忘れていた。
今まで一緒に遊んでいた友達に会えなくなるのは寂しかったけれど。家庭教師の先生が教えてくれることはとても面白かったし。
お屋敷も凄く広くて、中で遊んでいても飽きはこなかった。
歌を歌うことが好きで、父上にお願いしたら専用の部屋も用意してもらえた。
いつも一人で思い切り歌っていたけど、いつからか父上のお客様に歌を聞いてもらうことが増えた。
ちょっと怖い雰囲気のするお客様が多かったけれど、父上が側にいてくれたから全然怖くなかった。
歌い終わると父上もお客様もわたしのことを褒めてくれて、美味しいケーキをプレゼントしてくれたの。
歌う機会が少しずつ増えていって、喜ばれて。
わたしは自分の意思というものがなくなってきていることに全く気づいていなかった。
2017.05.08