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たてる

山口くんは私の恋人で、宇宙人なのにそろそろ消滅するという。
唐突にそう知らされたのは3ヶ月ほど前のことで、春が近づく今日も、山口くんは消えていない。
あの時心の中で随分うろたえたことが、今では少し恥ずかしい。
あれから山口くんは、人生にやりがいを見つけようと色々チャレンジしている。
生き物を育てようとしたり(どうせいなくなったら私が世話することになるんだからやめてと言った)、本を書いてみようとしたり(書くことがなんにもみつからなくてやめた)、テレビに出ようとしたり(それこそ大問題になるからやめさせた)、どうにも迷走している。
そうして様々なことに夢中な山口くんは、私が感じている寂しさなんて、ちっとも気がついていないみたいだ。
もう半年以上一緒にいるのに、山口くんは変わらない。
私だけが、変わりたくない、いなくならないでほしいと思いながら、どんどん変わっていっている。
今となっては、彼を好きかどうかと聞かれたら、好きを通り越して離れがたいと感じているなんて、山口くんは知りもしないんだろうなあ。

「山口くんは、いつ、いなくなるの?」

なぜか私の部屋であんこを煮ている最中の山口くんに、尋ねてみた。
いつも微笑を浮かべているように口角がわずかに上がっている山口くんは、今日も微妙な笑みをたたえている。

「なぜ?僕にいなくなってほしいみたいな言い方だね。」

笑顔はそのままで、首をかしげる。

「まさか。いなくならないでほしいよ。だけど、いなくなるって言ってからもう3ヶ月もこのままだよ。すぐに消えちゃうのかと思ったのに。」

もしかしたら、もしかしたらいなくなるのは山口くんの勘違いなのかもしれないと思って。
とは、口には出さなかったけど。

「いや、いなくなるのは確かなんだけどね。」

ほら、山口くんは絶対に嘘はつかないから、ずっと一緒にいられるはずがないってことは私も心の中ではわかってた。

「そろそろかなってことだけしかわからないんだよ。一応、急いでなにかやるべきことを見つけようとしているんだけどね。」

「それなら、のんきにあんこなんて煮ている暇ないんじゃないの?」

じとりと手元の鍋を見つめて、山口くんに視線を戻す。
山口くんは、いつもの微笑とは違うニタリ、とした笑みに顔つきを変え、ずいっとこちらに寄ってきた。

「そろそろ春でしょう?僕、桜餅を作ろうと思って。山口さんが桜餅好きだってこと、僕は知ってるんだ。」

あんこの匂いが充満して、部屋の中は強制的に甘ったるい雰囲気だ。
山口くんは、なにがしたいんだかよく分からない。
私のことなんて、最近は視界に入っていないのかと思っていた。
やりがいを見つけるのは、ひとまずおやすみなんだろうか。
私は「ありがとう」と、山口くんがようやく聞き取れるくらいの小さな声で呟いて(といっても山口くんはどんなに小さな音でも拾ってしまうのだけど)、掠めとるように唇を奪った。

山口くんはみんな知ってたことみたいににっこり笑って、また鍋をかき回し始めた。



山口くんの歯が抜けた。
そこに実体がなくても歯が抜けるものなのかと仕切りに感心していると、山口くんは自分が消える兆候が出てきたと言った。
歯が抜けることが兆候なのかと聞いたら、体が崩壊を始めているサインだと返された。
よくわからなくて、考えるのをやめた。

抜けた歯は、ずっと実体を保っている。
山口くんがいなくなったら、この歯も消えるんだろうか。
もし山口くんが消えても残っているのなら、私はこの歯を形見のように持ち続けていたいなと思った。

「歯は、僕が消えてもなくならないよ。消えたらすぐにどこかで僕が生まれるから。死ぬわけじゃないし。」

こっそり取っておいた歯が山口くんに見つかって、言い訳がましくそう聞いたら、答えてくれた。
よかった、これで、山口くんが消えても、私の元から山口くんが存在した事実は形になって残る。
たとえそれが歯でも。

いつの間にやら私がそんな大きな感情に振り回されていたなんて知る由もなかった山口くんは、私が歯を大切に保管するつもりだと聞いて苦笑いを浮かべた。
けれど、それ以上なにも言わなかった。



「山口さん、今夜は流星群が見られるらしいよ。屋上に見に行こうよ。」

4月の半ば、山口くんは私を天体観測に誘った。
抜けた歯は元どおりにはならず、今の山口くんは前よりほがほがとしたしゃべり方になっていた。
特に「ら」行が「あ」行と「は」行を混ぜたような空気を含んだ発音になって、可愛らしい。
私は以前よりも、わざと山口くんから「ら」行を引き出させるような会話をするようにつとめていた。
「もちろん」と私が頷くと、山口くんは私の上着をタンスから取り出そうとした。

「待って。毛布にくるまって見ようよ。山口くんが寒さを感じないのは知ってるけど、たまには同じような格好がいいなあ。」

私はそう言って、押入れから毛布を引っ張り出した。
山口くんはいつも通りにっこり笑って、

「いいよ。」

と私から毛布を受け取った。

アパートの屋上に上がると、ちらほらと人がいた。
親子や友達同士、カップルもいた。
私たちは端っこに座り込んで、毛布にくるまった。
こんなに距離が近いのは、もしかして初めてかもしれない。
提案したのは私なのに、今更ながら緊張してぎこちなく夜空を見上げた。

「あ、星、流星群っていっても1時間にいくつかくらいしか見えないらしいね。見逃さないかな〜。」

さっきネットで得た知識が口からこぼれ出す。
山口くんは空じゃなくて私を見ているから。

「山口さん、恋人が宇宙人の気持ちはどう?」

この手の質問を、山口くんは今まで決してしなかった。
山口くんは宇宙人だけど、どこかの星から来たわけじゃない。
まさしく宇宙から来た。
だから、私も別の星の文化やなんかを教えあうような、よく漫画で見るようなやり取りをしていない。
「僕の星ではこんなことがあって」なんて話をしたことがない。
山口くんには文化なんてないから。
それが嫌だから、山口くんはこの星でなにかを成し遂げたくて、文化を吸収したかったのだと思っていた。
でもそんなわけでもなかったらしい。
結局私は山口くんのことを本当の意味で理解できていないのかもしれない。

「私は…。」

そこで言葉が途切れてしまった。
その先をなにも考えていなかったから。
山口くんを宇宙人だと感じることが、ここ最近ほとんどなかったから。

「ごめんね。」

山口くんは謝った。
なぜだろう。

「僕が宇宙船でも持っていたら、山口さんを宇宙デートに誘えたのに。」

私は思わず吹き出してしまった。
宇宙デート?

「そんなことしたいなんて、考えた事なかったよ。」

「本当?水星で水遊びをして、土星の輪っかを滑りたいと思わない?そこでなら、いくらでも流れ星に願い事を唱えられるよ。」

私はまたまた吹き出した。

「そんな事、思わないよ!小学生じゃないんだから。」

だけど、山口くんは楽しそうだ。
それを見たら、自然と口が動いていた。
さっきまで言葉の先ばかり考えていたのに。

「でも、そうだな。金星で両腕のあるヴィーナスを探すのは、楽しいかもね。」

夜空を見上げるのをやめて、私は山口くんに顔を向けた。
思ったよりも山口くんは至近距離で私を見つめていた。
けれど、もう緊張はしていなかった。

「山口さん、今せっかく星が流れたのにもったいないことしたね。」

山口くんは相変わらず私の顔を見つめながらそう言った。
彼の視界は360°どころじゃない。

「もったいなくないよ。星ならこの先何度だって見られるけど、山口くんの顔はあと少ししか見られないから。」

私は真剣だった。
なんとかして山口くんの存在をここにとどめておきたかった。
ひとかけらの歯だっていい。
流れ星を見逃したっていい。
山口くんを見ていたかった。

「それから、何がしたい?僕は木星でボイジャーを待ちぶせしようかな。」

ボイジャーはもう太陽圏を出ている。
それじゃあいつまで経っても待ちぼうけだ。
そんな事知っているけど、どうだっていい。

「火星あたりで、友だちを見つけたいな。山口くんに通訳してもらう。もしかしたら、言葉なんていらないのかもしれないけど。」

途方もなくくだらない話をしている事は、お互いわかっている。
私だけかもしれなくても。

「地球が青いって事、自分の目で確かめてみたい。山口くんと宇宙船に乗り込んだら、どこだって素敵な星になるよね。」

ねえ、どこにもいかないでよ。
せっかく出会えたのに。
歯だけを残して、私を置き去りにするの?

「そうだね。山口さんとなら、宇宙のどこだって遊園地みたいに楽しいよ。」

最後みたいな言い方で、名残を惜しむように言わないで。
置いていくのなら、どうして出会ったの。

「ねえ、だから、山口さん。僕の歯を形見みたいに持ち続けるのはやめておいたほうがいいと思う。僕は死ぬわけじゃないよ。」

頭が真っ白になる。
考えたくなかった事が、情報が、次々と流れ込んでくる。

「どうして?私に残されるのは、いくつかの思い出と、歯だけだよ。これがなくなったら、私はどうやって山口くんを想えばいいの?置いていかれる人の事を、考えてよ。」

山口くんが悪いわけじゃないのに、私はなぜか山口くんを責めるような口調になっている。
こんな言い方、したくないのに、感情的になっている。

「山口さん、落ち着いて。僕は歯じゃないよ。その残された歯を見ても、見えているのは歯だけだ。山口さんは、僕の歯に恋してるわけじゃないでしょう。」

そうだけど、なんだっていいんだ。
山口くんの一部をここに残しておきたい。

「山口さん、僕は死ぬわけじゃない。ただ山口さんの目の前からいなくなるだけだよ。」

その一言を聞いて、現実を思い知りたくなくて、私は夜空を見上げた。
急に視界いっぱいに広がった闇は遠近感を狂わせて、宇宙に放り出されたような気分になった。
春の夜の澄んだ空気は鼻から脳みそを抜けて、耳の裏から逃げていくように霧散する。

そうしたら、途端に涙が溢れてきた。

山口くんがいなくなる事、どこかでもっと先の事だとタカをくくっていた。
大丈夫、まだ時間はある、といつまでも思える気がしていた。
でも、今夜だ。
今夜、山口くんはいなくなる。

「うん、うん。そうだね。山口くんはいなくなる。だけど死ぬわけじゃないし、私も、死ぬわけじゃない。」

私はこの先も生きていく。
そして山口くんも、生まれ変わってまたどこかで生きていく。
私が宇宙を見上げた時、そこに山口くんがいる。
手の中に収まるような歯なんかじゃなくて。

突然泣き出した私に、山口くんは戸惑っていたけど、私がいやに冷静にそう言ったから、いつもの山口くんに戻っていた。
山口くんはぎこちなく私の涙をぬぐってくれた。

「僕が今の僕と全然違う姿になっても、いつかまた山口さんの目の前に僕が現れたら、わかってくれるかなあ。」

山口くんは消えたら記憶もなくなる。
この広い宇宙の中で、私の前に現れる確率なんてないに等しい。

「山口くん、流れ星に願わなくても、夢は叶うんだよ。私は絶対、山口くんにまた出会うよ。」

くるまっていた毛布を掴む手が重なる。
私たちは、方々で時たまあがる歓声の指す方を、ついに一度も見なかった。
頭上ではいくつかの星が流れているんだろうけど、私たちにとっては星でしかない。

「そうだね。僕は何度だって、山口さんの前にワープするよ。」


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