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当初の兵站拠点作りの作戦を放棄。その時点で撤退するべき所を、大胆にも観光名所に寄り道…その結果がこれだ。
「ふざっけんなよ…!」
オルオはもう我慢の限界だった。
「兵長!指示を!!やりましょう、あいつは危険です!!俺達がやるべきです!!」
ズタボロにしてやる、と息巻くオルオを見て、エレンの頭は一度冷静さを取り戻す。
(そうだ…お前が追っかけてんのは巨人殺しの達人集団だ)
彼らの巨人討伐数、討伐補佐数を聞いて、エレンが歓声を上げたのは記憶に新しい。このまま負けが見えている鬼ごっこを続けるよりは、女型と戦った方が生き残れる可能性が高いに決まっている。それにこの班には、あのリヴァイ兵長が居るのだ。
ーーー地獄に来たのはお前の方だ。
しかし、オルオの訴えを聞いても、リヴァイは無言を貫いた。
「…リヴァイ兵長!?」
切羽詰まったエレンが名を呼んでも、リヴァイは振り向きもしない。女型の巨人との戦闘は許可してもらえないようだ。
「何故ですか!!指示をください!!」
後ろで喚く班員達をリヴァイはチラリと見てから、懐からあるものを取り出す。
「全員、耳を塞げ」
待ちに待った指示は、戦闘開始の合図ではなかった。
リヴァイは銃口を空に向けて音響弾を放つ。
キィィン、と耳をつんざく音に皆が顔を歪める中、シャオはくらくらする頭を抑えて一人思う。
(エルヴィン団長への合図…!あと少し、逃げ切れば…)
ほんの少しだが希望が見え、シャオは固唾を呑んで後ろを振り返る。先程よりも大きく、女型の巨人の姿が、そこに在る。怖くてそれ以上は見てられず、シャオはすぐにまた顔を前に向ける。
「…お前らの仕事は何だ?その時々の感情に身を任せるだけか?そうじゃなかった筈だ…この班の使命は、そこのクソガキに傷ひとつ付けないよう尽くすことだ。命の限り」
リヴァイの静かな語り口は、班員が冷静さを取り戻す切っ掛けとなった。
先程まで取り乱していたオルオも、気がつけばいつもの表情に戻っていた。
「俺達はこのまま馬で駆ける。いいな?」
「「「…了解です!!」」
だが、兵長の声に一致団結、とまではいかない。
15歳の若い少年兵士は、正義感が強く直情的で、そして無鉄砲だった。
自分達を助ける為に戦って死んでいく増援の兵士達を見殺しにする事など出来ず、エレンは真っ向から反論する。
「戦いから目を背けろと!?仲間を見殺しにして逃げろってことですか!?」
鬼の形相で剥き出しの感情を露にするエレンは、顔を後ろに向ける。そこでまた一人死んだ。援護すれば助けられたかもしれないのに。
「エレン!前を向け!」
「歩調を乱すな!!最高速度を保て!」
「エレン!前を向いて走りなさい!!」
すぐ後ろから聞こえるやり取りを聞いていると、班員達がエレンを従わせようと躍起になっているが、エレンはまるで聞く耳を持っていないようだ。
兵長の指示に従いなさいと、ペトラがぴしゃりと叱咤しても、エレンは、見殺しにする理由がわかりません、と強気で言い返す。
(本当だね…私も解らないよ。でも…)
「エレン、お願い…言う事聞いて…!」
前から聞こえたシャオの震える声に、エレンは息を呑む。
彼女は此方を振り向かない。きっと女型を見るのが恐いのだ。元から小さな背中が更に小さく見える。彼女は自分に先輩風を吹かせる事をせず、巨人が恐いと素直に話していた。
いつか二人で庭の草むしりをしている時に、シャオは、自分が何で調査兵団に入ったのかエレンに話していた。
シャオの父親は調査兵団の兵士だった。幼いシャオは優しくて美しい母親と、いつも父親の帰りを待っていた。
彼女が4才になった時、壁外調査から帰ってきた父親は、腕だけの姿になっていた。
愛する夫の変わり果てた姿に母親は絶望し、精神を病んでしまった。普通の生活を送ることもままならず、事実上育児放棄をされたシャオだったが、大好きな母親の傍を離れようとはしない。幼くして家事を一通り覚え、シャオは母親の面倒を見て日々を過ごした。しかし母親は日に日に衰え、心も荒んでいった。
こんな風にしたのはあの男だ、私を放ったらかしにして行ってしまったあの男…。
愛していた父親のことをそんな風に語るようになってからも、シャオは何も言わず献身的に母親に尽くした。母親が自害するまで。
両親を失ったシャオは、父方の祖母の家で暮らし始める。その家には父親の少年時代の思い出がそのまま残っていた。
幼い頃から兵士に憧れていた、正義感の強い少年。
父親が小さい頃から書いていた日記には、巨人を倒す、世界一の兵士になる、というキラキラした夢が綴られていて、シャオは夢中になってそれを読み漁った。
その夢が段々と現実味を帯びていく。
訓練兵時代の日記。そこには博識でもあった父の、座学で学んだ巨人の知識も敷き詰められていた。そこでシャオは知識を吸収する。
訓練兵団を卒業した父は調査兵団に入団する。初めての壁外調査…そこには巨人との戦いがリアルに記されていた。
その続きは?
ワクワクしながらページを捲ったら、そこは真っ白だった。
『お父さんの日記を全部読んだらね、不思議な気持ちになったの。…物語の主人公になった気持ち!気付いたら私は兵士に憧れる少年になってた…!
私ね、エレン。お父さんの日記の続きが読みたくて、調査兵団になったの…変な理由でしょ?』
彼女はー…
俺を優しく見守ってくれる人。
俺と同じ目線で話してくれる人。
俺に、大丈夫だよエレン、って声をかけてくれる人。
シャオさんは、叶わなかった夢の続きを見ようとしている人。
このまま馬で逃げ続ければ、
俺はこの人を失うかもしれない。
それは嫌だ、と
エレンは自身の親指を口に含んだ。
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