花は手折らぬ | ナノ

04約束


[2007年8月(五条17歳/名前10歳)]



 五条と夏油が名前を助けてから、約二年の月日が経とうとしていた。しかし未だに、夏油が危惧したような名前が五条にべったりという事態にはなっていなかった。
 五条の16歳の誕生日以来、五条の名前に対する態度は徐々に柔らかいものへと変わってはいた。今では、名前が出迎えれば五条は「ただいま」と一応言うようになったし、気まぐれで名前に構う機会も当初と比べたら随分と増えた。とはいえ、五条は元来面倒見のいい方ではない。夏油のように常に構うというのは無理があるのだ。
 それに、名前は一年後輩の七海や灰原にも可愛がられていた。特に灰原は、自身の妹と同じで呪いが見える名前をよく気にかけているようだった。自然、灰原と同級生である七海も名前と関わる機会は多くなる。七海は周囲から子供が苦手だと思われていたが、意外にも面倒見が良かったらしい。実際、小学校に通い出した名前に、七海が灰原と共に勉強を教える姿が高専内で度々見かけられた。だから、五条が名前に特段構う必要もなかったのだ。




 しかしなんの因果か、その日は五条がたまの気まぐれを起こした日だった。

「悟くん、おかえりなさい!」
「ただいま。
 オマエ一人?」
「うん。雄くんと建人くんは任務だって。
 硝子ちゃんはわかんないけど、傑くんは疲れてるから部屋で寝てるみたい」
「そう。
 土産買ってきたから食べる?
 俺の好きな生クリーム大福」
「食べたい! いいの?」
「いーよ。
 その代わり、適当に茶淹れてきて」
「わかったっ」

 任務から帰還した五条を名前は一人で出迎えた。五条が手に提げていた紙袋を「はい」と渡すと、名前はそれを嬉々として受け取る。こうして五条が名前をいいように使っていると、夏油にいつも「子供にそういう態度はよしな」と注意されるのだが「本人が喜んでやってんだよ。勝手にさせときゃいーだろ」と言って、五条は聞く耳を持たなかった。
 手持ち無沙汰な五条が寮一階の共用スペースで携帯をいじっていると、名前は五条の言いつけどおりに茶を用意し、たたたっと小走りで戻ってきた。持っているお盆には、湯呑二つに五条が買ってきた大福が添えられている。

 この夏は呪霊が大量発生し、呪術師はみんな多忙な日々を過ごしていた。現に灰原と七海も任務中で、五条もたった今任務から帰ってきたばかりだ。人手不足が深刻な呪術界。高専内の生徒も昼夜関係なく任務に駆り出される。そんな状況であったので、五条が任務から寮に戻った時、名前が一人で五条の帰りを待っていることも多かった。
 
「悟くん、あれやって!」
「また? オマエ好きだねー。
 いい加減飽きねぇ?」
「ぜんぜん!」

 大福を食べ終えてもすぐに腰をあげない五条を見て、名前は目を輝かせながら五条に頼んだ。
 以前、五条が無下限呪術を発動したり解いたりして名前と遊んだことがあったが、名前はこれがとても気に入っているようだった。初めて無下限呪術を体験した名前が目をキラキラさせながら「まるで魔法みたい。悟くんは魔法使いなんだね」と言ったのに「いや呪術師だし」と呆れながら返したのを五条は未だに覚えている。
 気分が乗らないと「今はムリ」、「俺は忙しーの」とか「また今度ね」と言って名前の要求を容赦なくバッサリと断る五条だったが、そうでない時は基本的に名前の要求に付き合ってやっていた。

「何度やってもおもしろいねっ」

 またしても携帯を手にした五条は、名前の顔を見ていない。けれどわざわざ確認せずとも、名前が満面の笑みを浮かべていることはその声音からわかった。
 名前は非力な子供だ。武器でも持っていない限り、術式対象の自動選択で弾かれることは無い。今は一時的ではあるが、五条が意図的に名前を術式の対象にしている状態だった。

「オマエさ、呪術界最強の俺の術式をただの遊び道具くれぇにしか思ってないだろ。
 言っとくけど、これ超贅沢なことだからね。
 そこんとこ、ちゃんとわかってんの?」
「? わかってるよ。
 こんな風に悟くんが遊んでくれるのはたまにしかないもん」
「そういうことを言いたいんじゃねぇよ」
「わわっ。びっくりしたぁ」

 五条の背中に名前は寄りかかるようにして立っていたが、五条が名前を術式の対象から外したとたん、名前はバランスを崩して座っている五条に倒れ込む。倒れ込んだ勢いのまま、名前は五条の首に手を回し、そのまま五条に抱き着いていた。
 こういう時五条は名前の好きなようにさせていた。出会った当初より距離感が近くなった名前のスキンシップも、五条に不快には映らなかったからだ。しかし五条が何も言わなければ、名前はいつまでも五条から離れることをしない。だから最後には若干呆れつつ、五条から名前に離れろと言うのがお約束だった。

「いつまで抱きついてんの。
 いい加減離れろよ」
「ごめんなさい……。
 でも悟くん、なんかいい匂いするんだもん」
「そーか?
 別になんもつけてねぇけどね」

 名前のよくわからない発言に五条は怪訝な顔をしたが、名前は相変わらず楽しそうで、五条の反応はあまり気にしていないようだった。




 突如、ピリリリと五条の携帯が鳴った。
 電話をとった五条が何の話をしているのか、名前にはわからなかった。しかし通話の途中、五条の表情が一瞬強張ったのは名前にもわかった。

「――了解。
 すぐ向かいます」

 通話を終えた五条の纏う空気は先程までとはまるで変わっていた。触れたものが傷ついてしまいそうな程、ピリピリと殺気だった空気の中に僅かに感じる痛々しさ。今まで何度か、五条の機嫌が悪い場面に名前が出くわしたことはあった。しかしこんな雰囲気の五条は、名前は今まで見たことがない。まだ知らない五条の一面を見れたときいつも名前は喜ぶが、この時ばかりは名前は言いようのない不安を覚えた。

「悟くん?
 どうしたの? 怖い顔……」
「名前と遊んでる場合じゃなくなった。
 今からまた任務」
「え……、なんで?
 今日と明日は悟くんは久しぶりに任務入ってないって、傑くん言ってたよ」
「俺すぐ行かなきゃだから。
 じゃーね」

 吐き捨てるように言い、五条は立ち上がる。その制服の裾を名前は咄嗟に掴んだ。

「待って……!
 悟くん、いつ帰ってくるの?
 それだけでも教えてほしいな」
「さぁ。今はわかんねぇよ」
「明日? あさって?
 それか今度のお休み?」
「だから、そんなのわかんねぇって!」

 五条が思わず出した大声に、名前はびくりと肩を震わせた。
 特に五条が言うことに対して、普段から名前は聞き分けがよかったし、五条が不機嫌な時には自然と距離を置いていた。その名前がこんなに五条に食い下がるのは珍しいことだった。

「ごめんなさい……」
「いや、名前は悪くねぇよ。
 今のは……、俺の八つ当たりだから」
「……」
「そろそろ、手ぇ離してくんない?」
「……それはいやっ」
「名前」

 名前が五条の制服を握る手は微かに震えていた。もしかしたら、初めて名前は五条に怯えていたのかもしれなかった。いくらか冷静になった五条が諭すように名前の名前を呼ぶ。それでも、名前がその手を離すことはなかった。
 以前から妙に空気を読もうとする名前のことだ。自分のただならぬ様子を見て、子供心になにか思うところがあったのかもしれないと五条は思う。名前に本当のことを言うべきか、五条は少しの間迷った。だがどうせすぐ後で知ることになるなら、今下手に誤魔化しても意味はないだろう。それならいっそ、自分が今事実を告げた方がいいのかもしれない。それが五条の最終的な判断だった。

「名前、俺は行かなきゃなんねぇの。
 ――灰原が任務中に死んだ。同行した七海は生きてるけど、任務の続行は無理。
 だから俺が任務を引き継いだの」
「そんな……。
 お土産買ってきてくれるって、雄くん私に言ってたんだよ。
 雄くんは嘘なんてつかないよ」
「灰原だって、きっと嘘つくつもりなんてなかったよ」
「……うっ…ぅぅう。なんでぇ……っ?」

 残酷な真実を知った名前の目には、みるみる涙が溜まっていった。溜まった涙は名前の大きな目にも収まらず、頬をつたってぽろぽろと零れる。名前と近しい間柄の術師が今まで任務で命を落としたことは無い。灰原の死は、名前が高専に来てから初めて触れる死だった。

「これ以上被害が出る前に、誰かが行かねぇと」
「でも……」

 名前が五条の制服を握る手の力は弱まるどころか、より強くなっていた。
 生徒のように任務中に五条の力を直接見ることがないとはいえ、五条本人や周囲から聞かされ、五条が呪術師最強なことを名前もなんとなくだがわかっている。けれど、面倒見のいい兄のような存在だった灰原の殉職をたった今名前は聞かされたばかりなのだ。慕っている五条を任務に送り出せというのは、さすがに無理がある話だった。
 何度五条が「離せ」と言っても、名前は泣きながら首をぶんぶんと横に振るばかりだった。五条はその気になれば、名前のことは簡単に振り切れる。だが嗚咽を堪えながら涙をこぼす名前を見ていると、五条はなぜかそんな気になれなかった。
 小さく息を吐いた後に五条はしゃがんだ。そして、涙で目を潤ませる名前と目線を合わせて言う。

「オマエが行かないでって泣き叫ぼうが、俺は行くよ。
 呪術師だからね」
「……」
「大丈夫。俺最強だから。
 絶対帰って来る。それでちゃんと、名前にただいまって言うよ。
 ほら、約束」
「……ほんとう?」
「ほんと」
「約束だからね?」
「うん。約束」

 おずおずと片手を差し出して、五条と指切りをした後に、ようやく名前は五条から手を離した。涙を流したまま、名前は五条が高専を後にするのをいつまでも見送った。


 任務から五条が無事に帰還すると、名前は五条の姿を目にした途端、こらえきれず泣いていた。世界がどんなに汚いもので満ち溢れていても、名前だけはずっと綺麗なまんまなんじゃないか。五条は自分が生きて帰ってきたことに安堵して涙を流す名前を見ながら、そんなことをぼんやり思った。
| back |
top
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -