花は手折らぬ | ナノ

01偶然


[2005年8月某日夜 都内某所 久世家の屋敷内]



 逃げ足だけは早い二級呪霊を追って、五条と夏油は広大な屋敷の奥に来ていた。二人が辿り着いたのは、おそらくは表立っては存在を秘匿された部屋だ。窓がなく、太陽の光が届かない陰鬱とした部屋の中には座敷牢があり、その檻の中にはまだ年端もいかない子供が閉じ込められていた。
 五条と夏油に追い詰められていた呪霊は子供の存在に気付くと、その子を盾にしようと考えたのか檻に近付こうと動いた。しかし、そこで呪霊が逃亡することから一瞬意識を逸らしたのを五条は見逃さなかった。呪霊が子供に近付くよりも早く、五条が自身の術式で呪霊に止めを刺す。

「ギリギリセーフ。
 でもおかしいでしょ。生存者は0のはずじゃね?」
「まさか子供が監禁されているとは思わなかったな」
「俺、座敷牢って初めて見たんだけど」
「久世家の子供も全員呪霊に殺されたはずだけれど……、この子は一体何者だろう」
 
 無事呪霊を祓えたことを確認すると、五条は隣にいる夏油に尋ねた。

「このガキんちょどうする、傑」
「ここに一人置いていくわけにもいかないだろう。
 ひとまず高専に連れて帰って、上の指示を仰ぐのが賢明かな」
「ん、了解」
「私は高専に報告の連絡を入れるから、悟はその子を見ておいてくれ。
 怖がられないようにね」
「へいへい、わかったよ」

 今回五条と夏油が赴いた任務内容は、旧家 久世家にて発生した呪霊の討伐だ。

 久世家はここ現代においても、一族経営ながら不動産開発などあらゆる分野で成功し一財を築いていた。だが華々しい成功の裏で、かなり悪どいこともしているという噂がまことしやかに囁かれていたのも、また事実であった。遠い過去から現在に至るまで、偉業を成し遂げる中でどれ程の人を蹴落としてきただろう。久世家により失墜、転落させられた人々の恨みが集合体となって顕現したのが、今回の呪いだった。

 ある特定の一族を対象とした呪いは、それが呪いの仕業だとわかるまでに時間がかかる。多くの場合、恨みを買う機会が多い久世家のような成功者が呪われるのだが、被害者が成功者であるが故、一連の呪いによる被害が人為的なものだと誤解されてしまうのだ。
 今回も例外ではなく、高専に依頼が来た時には既に、久世の名を冠す人間は全て呪霊に殺された後だと二人は聞いていたのだが。

「オマエ、運がいいね。
 呪霊に遭遇して五体満足で生きてるなんて、超ラッキーだよ」
「……」

 携帯で高専に電話をかける夏油を背にしながら、五条は自身の術式で檻を壊した。邪魔な檻を取り払うと、五条は部屋の隅でうずくまっている少女に近付く。そして少女の目の前でしゃがむと、右手で少女の頭を撫でた。少々荒っぽい手つきではあるが、五条なりの気遣いからくる行動だった。この少女が置かれていた境遇が、自らも名家出身である五条にはなんとなく察しがついていたのだ。少女が今まで呪霊に襲われていなかったことからも、五条は自分の予測がおそらく当たっているだろうことを感じ取っていた。

 五条は白髪に碧眼という、この日本ではあまり見ないなかなか珍しい容姿をしている。そんな五条の容姿を珍しく思ったのか、少女は大きな目でまじまじと五条を見つめていた。

「──お兄ちゃんの目、空みたい。
 キラキラしてて、すごくきれい」
「お。この目の価値がわかるなんてオマエ目利きじゃん」
 
 五条の瞳の碧に、閉じ込められていた間はおそらく見ることが出来なかったであろう空を見出したからだろうか。五条を前にしてから、先ほどまで虚ろだった少女の目は徐々に光を取り戻しているように見えた。

 少女の視線を痛いほど感じつつ、五条は少女を抱き上げた。そして、高専への報告を終えたらしい夏油の元に戻る。

「怖かっただろう?
 でも私達が来たから、君はもう大丈夫だ。安心していいよ」

 五条に抱きかかえられている少女に向き直ると、夏油は人のよさそうな笑みを浮かべて優しく話しかけた。しかし少女は夏油の顔を見ると、ぱっと目線を逸らし怯えたように五条の胸に顔をうずめてしまう。
 そんな少女の様子を見て、五条と夏油は二人そろって面食らってしまい思わず顔を見合わせた。以前にも数回、二人は任務で子供を助けたことがあったが、怯えられるのは毎回決まって五条の方で、子供に好印象を抱かれるのは夏油なのだ。事前に夏油から注意を受けていたために、普段よりいくらか柔らかい態度をとったのが功を奏したのだろうか。さっきの今で、少女は随分と五条に信頼を置いたようだった。

「あー、傑は敵じゃないよ。
 俺の仲間。悪い奴じゃない」
「……ほんとう?」
「ほんとほんと」
「お兄ちゃんが言うなら……、信じる」
 でもこのお兄ちゃん、さっきお化け出してたよ?」
「! この子、呪霊が見えているのか」
「死ぬかもしれなくなって、見えるようになったって感じ?」
「もともと見えていたのか、悟が言ったように生命の危機に瀕して見えるようになったのか、どちらだろうね。
 でもどちらにせよ、術式のせいで私はこの子に怖がられているようだ。
 悟は懐かれているみたいだし、高専に着くまでその子の面倒を頼んだよ。
 さぁ、今日はもう遅いし、一旦宿に戻って明日高専に戻るとしよう」

 夏油の言葉に五条は眉根を寄せた。今も昔も、五条は子供から慕われたことがなかったし、五条自身も子供はどちらかと言えば苦手だった。五条の性格を知っている夏油だってそれはわかっているはずだ。当然五条は、都内の僻地にある高専に着くまで少女の相手は夏油が務めるものだとばかり思っていた。

「マジ?
 こっちはオマエにバトンタッチする気満々だったんだけど。
 俺にガキのお守りとか無理だって、傑」
「しょうがないよ。さっきの今だ。
 呪霊が見えているとなれば、呪霊を従えている私を怖がるなという方が難しい」
「そりゃまそうだけどー……、って寝てるし」
「きっと緊張の糸が切れて安心したのさ。
 そのまま眠らせていてあげよう。さ、行こうか」

 腕の中ですやすやと眠る少女を見て、まぁ寝てるならいいか、とそれ以上五条は夏油に突っ込むのをやめた。少女を腕に抱いたまま、五条は大人しく夏油と共に宿への帰路についた。
 五条はこの時想像もしていなかった。呪いが見える他には特に目立った能力もないこの少女が、これからの自分の人生に深く関ることになるとは。







[久世家で発生した呪霊討伐翌日 高専内]



「悟、傑。来たか」
「なんですかー、先生。
 俺らも忙しいんですけど」
「オマエたちが連れてきたこの子だがな、何も答えなくて困ってるんだ」
「先生の強面にビビってるだけじゃないの」
「それはありうる話だね」

 夜蛾に放課後呼び出され、五条と夏油が高専内の職員室に赴けば、そこには昨晩助けた少女がいた。夜蛾のデスクから少し離れたソファに座る少女は入ってきた五条と夏油の姿を見ると、わかりやすくぱあっと顔を輝かせる。そんな少女の微笑ましい姿を見て、夏油は小さく笑みを零した。一方の五条は入室した時から今に至るまで変わらず、見るからに気だるげだった。寝不足なのか、今も退屈そうに欠伸を噛み殺している。

「怖がられてはいない。
 ただ……、この子は『お兄ちゃんが喋っていいって言うなら喋る』と言ってな。
 お兄ちゃんというのは、一体オマエたちのどっちだ」
「あぁ。それなら多分、悟のことですよ」
「──本当に悟のことなのか。傑じゃなくて?
 いや、この子は白い髪のお兄ちゃんだと言うから悟だとは思ったんだが、子供に悟が懐かれるというのが俺はどうも信じられなくてな。
 俺はてっきり傑と間違えているとばかり……」

 夜蛾の問いに、夏油は涼しい笑みでさらりと答えた。夏油の回答が俄かには信じ難いものであるためか、眉間に皺を寄せた夜蛾が再び夏油に同じ質問を繰り返すが、やはり夏油の答えが変わることはなかった。

「むしろ私は怯えられていましたよ。
 高専に来る途中に悟と私が談笑する様子を見てようやく、その子も私を信用したようですが」

 子供に好かれる性格をしているとは五条自身も思っていない。だがなぜ自分だけがこのような言われようなのかと考えると、少々癪に触るものがあった。いや、傑は表向きは優等生で通ってるけど、俺と同じかそれ以上に厄介な性格してるから、と五条は心中で悪態をつく。

「先生、俺のことなんだと思ってんの?
 それと、別に懐かれてる訳じゃないと思うよ」
「というと?」
「コイツが久世に関係あるとしたら、母親が当主の愛人かなんかだったんでしょ。
 あの状況考えたらその線が一番濃厚」
「私も悟と同意見だな。
 隠し子で久世の姓を持っていなければ、久世家を襲った呪いから免れたっていうのも筋が通る」
「そういうこと。
 母親になんかあって、久世家がコイツを引き取った。だけど不幸だったのは、当主がすぐ死んだことだよ。
 後ろ盾なくしたコイツのその後がどうなったか──、俺がわざわざ言わなくても、先生も傑の報告で知ってるでしょ。
 その時に呪いをかけられたんじゃねぇの?
 オマエが今こうして生きてられるのは久世家のおかげだ。だからオマエを生かしてやってる久世の言うことは絶対だ、とか何とか。
 もし俺が言うことが合ってれば、ガキには十分トラウマもんだよ。それでちょっと不自然なくらいに、俺に尻尾振ってんじゃねぇかな」
「つまり悟は、命を助けた悟を次の主人だと思い込んで尽くそうとしてると、そう言いたいのか?」
「確かに一理あるかもしれないな」

 少女が五条に懐いた理由について夜蛾と夏油が考察を広げている間、五条は少女が座るソファに向かってズカズカ進み、そのままどかりとソファに座り込む。そして、きょとんとする少女をサングラス越しに見据え言い放った。

「オマエがあの屋敷でどんな仕打ち受けてきたのか知らないけど、別に俺がオマエを助けたからって、なんでもかんでも俺にお伺いたてなくていーの。
 オマエの命はオマエのものなんだから。なんでもオマエの意思で決めていいんだよ。
 俺の言ってること、わかる?」
「──お兄ちゃんが優しいってことは、わかった」
「あのね、なんでそうなんの。
 オマエの周りにいた人間がクソすぎただけだっつーの」

 本心からの言葉だった。しかしそれをわざわざ面と向かって少女に告げたのは、これ以上懐かれても面倒だという思いがあったからだ。だというのに、五条の内心を知らぬ少女は嬉しそうに五条に微笑みかけた。少女のずれた反応に五条は呆れ、思わず長い溜息をつく。
 少女がそんな様子だったので、五条の言葉の意味を少女が理解したのかはわからない。しかし少女は五条にこう言われた後、先程夜蛾が少女に対してした質問に素直に答えるようになる。ただし何を思ったか、答えたのは夜蛾に対してではなく五条にだったが。

「お兄ちゃん、私の名前は苗字名前っていうの。
 今は8歳!」
 
 なんで急に目輝かせて自己紹介してんのコイツ、と五条は驚いた。単純に訳がわからないし、子供の相手をするのは五条はやはり億劫だった。五条にはどうにも勝手がわからないのだ。
 五条はそんな心のままを一言「はぁ?」と口に出そうとしたが、すんでのところでそれを飲み込んだ。少女にそのまま話を続けさせろ、と夜蛾が五条に目で訴えてかけていることに気付いたからだ。夜蛾の視線の意味がわかってしまった以上は、五条とて一応無視はできない。致し方なく、少女の突然始まった自己紹介に五条は適当に相槌を打つことにした。

「ふぅん。苗字は本当の母さんの苗字?」
「うん。お兄ちゃんの言う通り、苗字はお母さんの苗字。
 お化けはね、お母さんと二人で暮らしてた時から見えてたよ。
 あそこにいたのは、新しいお母さんがお化けが見える私のことを変って言ったから」
「……そう」

 名前は、五条たちが来る前に夜蛾に尋ねられた質問に一通り答え終えたようだ。名前が黙ると、五条は座ったまま後ろを振り返り夜蛾に尋ねる。

「先生がコイツのこと知りたいのって、やっぱ養護施設入れる前に色々聞いとこって感じだったの?」
「いや、施設には入れない。
 もしこの子に身寄りがないのなら、この子は私が育てる」
「は? なんて?」
「俺が独り身に戻ったこのタイミングに、この子が現れたのは天啓としか考えられんのだ」
「あぁ、確かに先生は好きでしたよね。カワイイもの」

 夏油の言う通り、確かに名前は小動物のような愛くるしい顔立ちをしていた。もちろんそれだけの理由ではないだろうが、カワイイものが好きな夜蛾の庇護欲が掻き立てられても不思議ではないほど、名前は可憐な少女だった。

「ただ、俺一人ではこの子の面倒を見切れん部分もあるかもしれないのは事実だ。
 任務で不在にすることもある。だから名前は寮に住まわせる予定だ。もちろん俺も寮に引っ越すし、必要なら家政婦も雇う。
 強制はしないが、オマエたちも暇な時にはこの子の相手をしてやってくれないか。特に悟には懐いてるみたいだし」
「わかりました。私ができる範囲で協力します」
「いや無理でしょ。
 傑はそれ、マジで言ってんの?」
「うん。私は小さい子の面倒を見るのは割と好きな方なんだ」
「俺は絶対ごめんだね。
 なんで俺がガキの面倒なんて見なきゃいけねぇんだよ。だる」 

 微笑を浮かべすぐに快い返答をした夏油と、あからさまに顔を顰めて嫌がる五条は見事に対照的であった。名前は呪霊の被害者の遺族であり、子供だ。さすがに五条でも、そんな相手に初対面でひどい態度をとったりはしない。だがこの先もずっとその子供と付き合うとなれば話は別である。
 しかしそんな五条を知ってか知らずか、名前は五条の制服の裾を手でちょいと引っ張る。五条がそれに気付いて名前の方を見やれば、やはり先程と同じように名前は目を輝かせて五条を見つめていた。

「あ? なに?」

 五条の口調は、子供と話す時にはおよそふさわしくない威圧的なものだった。それでも、名前が五条を見る目に恐怖の色を見つけることはできなかった。

「お兄ちゃんの名前、悟くんっていうの……?」
「そうだよ。その白い髪のお兄ちゃんは五条悟って言うんだ。
 私の名前は夏油傑」
「おい傑。余計なこと言ってんじゃねぇよ」
「名前、私の名前も呼んでみてごらん」
「悟くんに、傑くん」
「うん。名前はとってもいい子だ」
「悟くんと傑くん、お名前がとっても似てるね。
 仲良しさんだから?」
「あぁ、本当だ。
 ──意識したことはなかったけど、言われてみれば苗字も名前も響きが似ているな。
 名前はいい子な上、お利口さんなんだね」

 いつのまにか夏油は名前の隣に腰掛けており、素直に言うことを聞いた名前の頭を撫でてやっていた。そんな親友を見て、もう勝手にやってろよと五条は立ち上がる。
 そうして職員室を後にした五条は、寮の自室へと向かう間、自身の理解の及ばぬ夏油の性分について考えた。この分だと、夏油は宣言通り名前の世話を焼きそうだ。出会った当初から、こういう夏油の善なる部分は五条の理解が及ばぬところだった。だが五条は、この時ばかりは夏油の性格がこうで良かったと思った。子供のお守りなど五条はまっぴらごめんだったからだ。夏油がそれを請け負ってくれるのであれば、五条にとってそれに超したことはない。
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