花は手折らぬ | ナノ

0告白


「もうすぐ20歳の誕生日でしょ。
 なんか欲しいものある?」

 五条がリビングでテレビを見ている名前にそう尋ねると、名前は迷わず、五条と酒が飲みたいと言った。20歳になって初めて飲む酒は五条とがいいと前々から思っていたらしい。
 過去の経験から、名前が物をねだらないだろうことを五条はわかっていた。毎年誕生日に名前が欲しがるのは五条との時間だけなのだ。20歳という節目の年に、名前が五条と酒を飲みたいと言うのはなんら不思議ではなかった。
 予想していた展開に、あー、やっぱりそう来る?と五条は思った。名前の緩みきった顔を見れば、五条と酒を飲むのをそれはそれは楽しみにしていたんだろうことはすぐにわかる。あえて話すような機会もなかったので、名前は五条が酒が飲めないのを未だに知らない。そんな名前に事実を伝えて、どんな反応が返ってくるか。それが五条は少しばかり心配だった。

「お酒飲みたいの?
 それならお酒飲める店連れてってあげるけど、僕は飲まないよ」
「えぇー。なんで?」
「名前には話してなかったけど、僕下戸だからさ」
「げこ?」
「お酒が一滴も飲めないってこと」
「そうなの?
 悟くんが飲まないなら……、やめようかな」
「僕に気遣わなくていいから。
 飲みたいんでしょ? いいよ、飲みなよ。
 オマエの誕生日、なんかテキトーな店予約しとくね」
「悟くんありがとうっ。
 私、すっっっごくうれしい。すっごくすっごく嬉しい!」
「──オマエはいつも大袈裟すぎるよ」

 下戸だという事実を知り名前は落ち込むかと五条は思っていたが、名前はそんなことは全然気にしていなかった。
 五条からの提案を聞いた名前は、今は花のような笑みを浮かべている。五条自身は酒が飲めないというのに、名前の希望を五条が叶えようとしてくれることがどうしようもなく嬉しかったらしい。
 無邪気にはしゃぎ喜ぶ名前は気付いてはいなかったが、口では素っ気ない五条の名前を見つめる碧眼は優しい光を宿していた。また、緩くではあるがその口元は確かに弧を描いていた。

 名前がもう長い間ずっと、20歳の誕生日が来るのを心待ちにしていたことを五条は知っていた。おそらくその理由が、これでやっと名前も自分と同じ大人になれるからだということも。
 





[2017年 名前 20歳の誕生日当日]



 五条が傍にいるというただそれだけの条件を満たしていれば、基本的に名前が笑みを絶やすことはない。
 予約したハイクラスホテルのディナーを終えた帰り道、シャンパンを飲んだ為に気分がいくらか高揚しているのか、五条の隣を歩く名前はいつも以上に上機嫌だった。
 二人が共に暮らすタワーマンションのエレベーターに乗り込むと、五条の腕に抱きつき、名前はにこにこと笑いながら五条に話しかける。
 
「悟くんって、ほんとにお酒飲めないんだね。
 平気でいっぱい飲めそうなのに」
「さっきからそればっか言ってんじゃん。
 そんなにおかしい?」
「おかしくないよ。
 でも、悟くんの弱点っぽいところって、今まで知らなかったから。
 そういうの知れるの嬉しいの」
「まぁGLGで最強な僕にも、一つぐらい欠点あった方が可愛げあるでしょ。
 そーいうところにみんなヤラれちゃうわけよ」
「うん。私もやられたー」

 五条の冗談を冗談と思っていないのか、へらりと笑いかけてくる名前に五条は苦笑した。
 名前はこうして、五条への好意を惜しげも無くあらわにする。昔からのことなので、そんな名前の素直すぎる態度には五条はすっかり慣れていた。それでもやはり、その柔らかい笑みは五条の心を揺らした。
 ここまで、特に名前にいつもと変わった様子は無かった。五条はふと思う。もしかして、このまま何も言ってこないんじゃない?
 しかしやはりというべきか、その予想は外れる。

「名前、先にシャワー浴びちゃってよ」
「──悟くん」
「なに、酔ってんの?
 いつになく甘えんぼじゃん」

 部屋に着いた五条が振り返りざまに名前に声をかけると、名前は正面から五条に抱きついた。
 先程とは明らかに変わった様子に極力気付かないふりをして、五条は名前を自分から優しく引き剥がそうとする。だが五条がそうするより早く動いたのは名前だった。飲酒によって少しとろんとしている瞳で、身長差のある五条を見上げながら名前は言った。

「12年前……、悟くんが私を助けてくれた時から、悟くんのことがずっと好き。悟くんが私のことをどう思ってても、この気持ちは変わらない。
 でもお願い。ほんの少しでも私に気持ちがあるなら、私の気持ちに応えて」

 やっぱりこうなるのね、と妙に冷静に目の前の状況を俯瞰している自分がいることに五条は気付く。
 告白されるかもしれないとは思っていた。でも出来ることならば、そうならないことを願っていた。五条は静かに目を閉じて小さく息を吐く。そして、こうなった時のために用意しておいた台詞を脳内に思い浮かべた。これから起こる全てが、五条の台本通りになることを願いながら。
 五条は名前の肩を持って「離れて」と静かに告げる。五条に従順な名前は言葉どおりにした。

「ありがとう。名前の気持ちは嬉しいよ。
 でも、僕は名前とは付き合えない」
「なんで……? 私、ちゃんと大人になったよ!
 今の私なら、なんの問題もないんじゃないの?」
「名前のことは……、大事に思ってるよ。
 でも、オマエのことを女としては見れない。そういうんじゃないんだよ」
「……悟くんの嘘つき。
 大人になったら考えてあげる、って言ってたのに」

 悲しみに濡れた目で見つめてくる名前から、五条はふいと目を逸らした。
 偽りを真実として突き通せる自信はある。けれどやはりその瞳に見つめられると、どうにもその自信が揺らいでしまう気がしたのだ。

「なんか勘違いしてるみたいだけど、オマエが子供だからって言ってたのは、体のいい断り文句だよ。
 そう言っとけば、オマエは諦めざるを負えないからね。
 ──わかんないかなぁ。
 単純に、僕の好みじゃないんだって。オマエが僕のタイプだったら、僕のいい加減な性格からしてとっくに手出してるでしょ。一緒に住んでていくらでもチャンスはあるんだし。
 大丈夫。僕の好みじゃないけど、名前は可愛い。だから僕程じゃないにしても、割りと高スペックなGLGを捕まえられると思うよ」
「そんなのいらないよ!
 悟くんは全然わかってない。……私が欲しいのは悟くんだけだもん」
「だから困るって。そんなこと言われても。
 僕はオマエのこと、別に求めてないし」

 わざと冷たく乾いた笑顔を作って、最終宣告を下すつもりで五条が言えば、その効果は思うように表れた。名前の大きな目から、みるみるうちに積年の思いが涙となってとめどなく溢れる。
 サングラスをずらした隙間から、五条は自分に振られて泣く名前を見た。
 あどけなさと可憐さを残しつつも、かつて親友が予言したとおりに、確かに名前は美しく成長していた。誕生日プレゼントにと五条が贈った白いレースのワンピースも、名前によく似合っている。
 五条は改めて驚いた。──ついこの間まで、子供だと思ってたのに。

 名前の頬を伝って落ちる涙は、やはり昔と同じでなんの汚れもない。五条は出来ることなら、名前の純粋さの結晶のようなその綺麗な涙を拭ってやりたかった。でもそれを五条はしない。ただその透明な美しさを眺めていることしか出来ないのだ。
 そうして泣いている名前をどうにかしてやりたいと思う一方で、自分の言葉に名前がこれほど傷ついているという事実に、甘美な愉悦を感じてしまっているのだからどうにも仕様がなかった。相反する自身の感情に、ほんと僕も大概だなと五条は思わず自嘲する。

 様々な思いが五条の内では渦巻いていたのだが、五条は外面にはそんなことはおくびにも出さなかった。あるいは、その美しい碧眼を見れば五条の気持ちが少しは読み取れたかもしれない。しかし、五条はいつものように黒いサングラスをかけていた。真っ黒なレンズに阻まれて、名前からは五条の目を見ることはできない。だから名前に五条の心の内がわかるはずがなかった。
 零れる涙はどうしても止まらず、今の五条の目に、自身がどれほど困った存在に写っているのだろうかと名前は思い至った。どんな形であれ、五条を困らせるのは名前の本意ではない。このまま泣きじゃくっていては、五条に余計呆れられてしまう。せめて五条にこれ以上情けない姿を見せまいと、名前はマンション内の自室に逃げ込んだ。

 自分に背を向けた名前が部屋の扉を閉めるのを、五条はしっかり見届けた。そこでやっと、なんとかうまくやれたようだと五条はようやく胸を撫で下ろした。


 その晩五条は眠らなかった。
 扉の向こうからすすり泣く声が聞こえなくなってから数時間後の明け方、五条は名前の部屋の扉を開ける。さすがに今回ばかりは鍵をかけているかと思ったが、いつも通り名前の部屋に鍵はかかっていなかった。
 名前はベッドの隅で丸くなっていた。部屋に入った五条に反応を示さないところを見ると、泣き疲れたせいか、今は深い眠りに落ちているらしい。

 五条はゆっくりとベッドに近づくと、できるだけ静かにベッドの縁に腰を下ろした。幸い上等なマットレスを使っているために、五条が座ってもベッドにそこまで振動は伝わらない。
 サングラスを外し、五条は名前の寝顔を見た。昨夜は綺麗に施されていた化粧は涙で崩れ、目は泣きすぎたせいか腫れ上がっている。きっと泣かれるだろうとは思っていた。実際そうなって、結果的に自身の歪んだ欲の一片が満たされるなんてことにもなった。しかし、五条は決して名前のことを泣かせたいわけではなかったのだ。
 痛々しい寝顔を見ながら、起こさないようにそっと、名前の髪に五条は触れた。そのままさらさらと流れる髪を優しく撫ぜてやる。

 名前の涙の原因を作ったのは他でもない、昨晩名前を振った五条だ。そうであるのに、その美しい碧色の瞳ははっきりと物語っていた。五条がその瞳に写す人物を愛おしく思っていることを。

 五条は昨夜名前から言われたことを思い返し、寝ている名前に向かって声は出さずに言った。なんにもわかってないのは、むしろオマエの方だよ。
 名前はなかなか起きなかったので、五条は気の済むまで名前の傍にいることにした。そうして名前の寝顔を見つめている間、五条は遠い日のありし記憶を思い出す。
 それは、12年前に突如として自分の目の前に現れた名前との日々であった。
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