花は手折らぬ | ナノ

5決心


[2018年1月 五条28歳/名前20歳]


 
 初めて会ってからずっと、私は悟くんが好きで、大きくなりすぎた恋心に振り回されてしまって忘れてた。まだ悟くんが私に素っ気なかったころ、傑くんといる悟くんを見るのが私はすごく好きだった。言葉や態度が乱暴なときもあったけど、悟くんは傑くんと一緒だと、いつも楽しそうだった。その表情はきらきら輝いているのに、同時にどこか柔らくて、傑くんといる悟くんを見る度に思ってた。悟くんは傑くんが本当に大好きなんだなぁって。
 そんな傑くんがいなくなった世界で、悟くんはこれからも呪術師として、時には不条理な現実に向き合いながら生きていかなくちゃならない。だから、悟くんには幸せになって欲しい。本当の意味で、初めて私はそう思えた。
 悟くんを好きなことは、これからもずっと変わらないと思う。けれど、悟くんが心から好きな人と幸せになれるのなら、きっと私は最終的には祝福できる。今まで、悟くんに幸せになって欲しいと思いながら、私は結局、自分が一番大事だった。

 傑くんが死んじゃうなんてことがなければ、ずっと決心できなかったかもしれない。私はようやく、悟くんから離れる準備をすることに決めた。
 悟くんは私に、ずっと傍にいていいって言ってくれる。でも、これから先悟くんの隣にいる人が、私をよく思うかはわからない。たとえ悟くんにとって私が妹以上の存在では無かったとしても、私だったら、好きな人が家族でもない女の子を傍に置いておくのはいい気分はしない。万が一にも、私が原因でその人が悟くんから離れるなんてことになったら、それこそ嫌だ。
 正直に言えば、悟くんの隣に私じゃない誰かがいる未来を想像するのさえ、ちょっと辛い。でも、大好きな悟くんの幸せには代えられない。
 だから、悟くんに私を好きになってもらうのは、諦めることにした。




 美咲ちゃんと夜ご飯を食べる約束をしていたお店に私が向かうと、待っていたのは美咲ちゃんじゃなかった。そこにいたのは、大学内でちょっとした有名人の倉木湊くんだった。

 倉木くんが有名な理由は、単純に、倉木くんがとてもかっこいいからだ。聞くところによると、街中を歩けば必ずと言っていいほどスカウトをされるけど、芸能関係に興味が無くていつも断っているとかなんとか。小さい頃から悟くんを見ているからか、昔から私は、あんまり周りの男の子のことをかっこいいと思ったことはない。そんな私でも、倉木くんのことはかっこいいと思ってしまうことが、倉木くんのかっこよさを裏付けている気がする。もちろん、悟くんの方がかっこいいっていうのは揺らがないけれど。

 最初こそ、話したこともない男の子と二人きりという状況に私は戸惑った。だけど倉木くんはとっても気さくな人だった。今はちょうど店から出た後だけれど、お酒を交えながら数時間話した後では、私達はすっかり打ち解けていた。初対面でこんなに仲良くなれたのは、倉木くんと私の間にある、他の人には無いある共通点も理由かもしれない。

「待って、倉木くん。
 今から帰るって連絡してもいい?」
「名前ちゃんって、実家住み?」
「実家ではないけど、訳あって一緒に住んでる親戚のお兄ちゃんに心配かけさせたくなくて」
「そうなんだ」
 
 悟くんに好きになってもらうのは諦めることにしたと美咲ちゃんに話していたから、倉木くんを目にした時は、美咲ちゃんが気を利かせてくれたのかと思った。でもそれは、多分違う。
 倉木くんは、私と同じように呪霊が見える人だった。何度か学内で私を見かける内に、倉木くんは、他の人には見えないものが私には見えているんじゃないかと思い始めたらしい。呪術師ほどではないけれど、呪霊が見える人間さえ、かなりのマイノリティだ。倉木くんがこれまでずっと、自分と同じように見える人に出会ったことがないというのも頷ける。だからなのか、倉木くんは私と今日話せたことを、こうしてとても喜んでくれている。
 呪霊のことを話したくて、倉木くんは美咲ちゃんに私と引き合わせてくれるよう頼んだ。だけど、話題が話題なだけに、倉木くんは美咲ちゃんにはそのことを伝えていないと思う。
 美咲ちゃんからはさっき、やたらとテンションが高いメッセージが届いていた。誤解があったら困るから、会ったらちゃんと説明しておかないとだなぁ。

「駅まで送ってくよ」
「ありがとう。
 あ、ごめんね。
 電話出ても大丈夫?」
「いいよ」

 さっき悟くんに送ったメッセージが既読になったと思ったら、間をおかずに着信が入った。倉木くんにことわってから出る。聞こえてきたのは、いつもと特に変わった様子のない悟くんの声だった。

「もしもし、悟くん?」
「あ、名前?
 今僕、伊地知の車に乗って帰ってるとこなんだけどさ、名前がご飯食べるって言ってたお店の近くに来てんだよね。
 どうせならオマエも乗ってかないかなって思って」
「いいの?
 ありがとう」
「あと数分で着くから、店の前で待っててよ。
 じゃあ後でね」

 潔高くんの運転する車に乗せてもらえば、倉木くんに送ってもらわなくてもよくなる。倉木くんは私とは違って地下鉄じゃないから、倉木くんにとってもその方がいいはず。

「あ、あのね、さっき言った親戚のお兄ちゃんが仕事から帰るところで、近くにいるから迎えに来てくれるって。
 だから、送ってくれなくても大丈夫だよ」
「そう?
 名前ちゃんに会えて良かったよ。
 またこうやって話そうね」
「うん。またね」

 倉木くんの明るい茶色の瞳が細められたかと思うと、倉木くんはそのまま私に抱き着いた。確かに話している途中、結構お酒は進んでいた。けれど倉木くんの顔色は変わっていなかったし、お酒に酔っている風には見えなかった。人通りの多い店の前にいると言うこともあって、倉木くんの行動に全く予想がついていなかった。私はちょっとの間反応できずに固まっていた。

「本当に今日はありがとう!」

 これは友好の証のハグだということが、倉木くんが放った一言でわかった。私の一存で決められることではないから、倉木くんには”窓”のことを詳しくは話さなかった。でも、倉木くんと同じように”見える”人がいるコミュニティを、もしかしたら紹介できるかもしれないとだけは話していた。多分それが、倉木くんはかなり嬉しかったんだと思う。かっこいい男の子の突然のハグに、動揺してしまった自分がなんだか恥ずかしい。
 こういう時、どういう反応を返すのが正解かわからない。でも、何もしないのは逆に失礼にあたるんじゃないかと思って、私も倉木くんを軽く抱きしめ返した。私がそうすると、倉木くんは私から離れる。

「また連絡するね。
 でも、お家の人が来るまで一緒にいなくて、本当にいいの?」
「大丈夫。
 もうすぐ来るみたいだから」
「そっか、またね」
「うん。またね」

 甘い笑顔を最後に向けて、倉木くんは去って行った。遠ざかる倉木くんの背中を見送っていると、倉木くんが振り返って、再び私に手を振る。悟くん以外の男の子に興味が湧かなくて、わかろうともしてこなかった。だけど今、多くの女の子が倉木くんの魅力にはまってしまう理由が、ちょっとだけ理解できた気がする。


「名前、お待たせ」
「わっ。
 さ、悟くん……。いつからいたの?」
「んー、ちょうど今到着したとこだよ」

 背後から不意に聞こえた声に、身体がびくりとなった。確かに数分で着くとは言っていたけれど、こんなに早く到着するとは思っていなかった。店の前に停められた黒い車の窓から顔を出した悟くんは、任務帰りなのにサングラスをつけている。いつものスタイルだと見た人は変に思うから、悟くんなりに気を使ってくれたのかもしれない。
 声を掛けられた時には気づかなかったけれど、悟くんはすごく機嫌が悪かった。少なくともさっき電話をしたときは普通だったから、悟くんが不機嫌な理由が私にはわからなかった。
 私が車に乗り込んでからというもの、脚を組んで座る悟くんは窓の外の景色を見るばかりで、何にも喋らない。静まり返った車内の空気は重くピリピリとしていて、痛いくらいに感じた。倉木くんが窓の一員になってくれる可能性があることを早速潔高くんに伝えたかったけれど、とても言い出せる雰囲気じゃない。
 
「お友達とのお食事、楽しかったですか?」
「う、うん!
 楽しかったよ」

 悟くんと一緒に住んでから、こんなことは初めてで、どうしたらいいのかわからない。悟くんの機嫌の悪さに気付いているからか、マンションに向かう途中、私に気を使った潔高くんが何度か話しかけてくれた。でもやっぱり、悟くんが話に入ってくることは無かった。
 マンションに帰ってからも、悟くんは変わらなかった。私が話しかけたら一応答えてはくれるけど、話がそれ以上膨らむことはない。気まずい雰囲気に耐えきれず、私は悟くんに問いかけた。
 
「あの、悟くん、なにか私に怒ってる?」
「……なんで?
 別に怒ってないよ」
「嘘だよ。
 絶対怒ってるもん。
 だって会ってから、ずっと機嫌悪いでしょ」
「そんなことないよ。
 なに?
 名前は、僕が怒るようなことした覚えあんの?」

 電話をもらった時はいつもの悟くんだった。だから私が何かしてしまったに違いないのに、いくら考えても、一体私のどの行動が悟くんを怒らせてしまったのかわからなかった。
 背を向けた悟くんに問いかけても、悟くんは私の方を見てくれようともしなかった。今までに何度か、悟くんが怒っていないか心配になって尋ねたことがあった。その度に、悟くんは優しく怒ってないと言ってくれたけど、その時と今は明らかに違っていた。

「それは……、ないけど。
 もし私が何かしたんなら、次から気を付けるし、謝るから。
 だから、ちゃんと言って欲しいの」
「本当に怒ってないって。
 まぁ、ちょっと意外ではあったけどさ」
「え?」
「僕には、美咲ちゃんと会うって言ってたじゃん。
 別にオマエが誰と会おうがオマエの勝手だけどさ、まさかこういう嘘つかれるなんて思わなかったな。
 結構かっこよかったね、さっきの子」
「それは私も知らなくて……」
「ふぅん。
 まぁ、口では何とでも言えるよね」
「……ごめんなさい」
「ごめんって、何に対して?
 別に謝るようなことした覚えないんでしょ。
 なら別に、謝る必要はないよね」
「だって……、悟くんが怖いんだもん。
 私には、悟くんが何に怒ってるのか全然わかんないよ……!
 でも、悟くんとこのままは嫌なの。
 だったら、謝るしかないと思って……」

 しばらく悟くんは黙っていたけれど、何か言わないと私が納得しないと思ったのかもしれない。悟くんは振り向かないまま、でも口調だけは明るく言った。

「怒ってない。……ただ、なんかウケるって思っただけだよ。
 あれだけ僕のこと好き好き言っといて、一生好きでいるとまで言ってたのに、随分短い一生だったからさ。
 まぁわかんなくもないよ。名前もご多分に漏れず、ああいうタイプに弱いわけね。
 あ、別に責めてるわけじゃないよ。
 それ自体は別に悪いことじゃないんだから」
「何言ってるの?
 倉木くんとは、何でもないよ」
「そうかな。
 本当は満更でもないんじゃないの。
 だから言ったんだよ、名前が僕を好きなのは勘違いだって。
 所詮はまぁ、その程度ってことだよね」
「なんで……、なんで、そんなこと言うの」

 他の誰になんと言われてもいい。だけど悟くんだけには、私の気持ちをそんな風に言って欲しくなかった。私の気持ちを受け取ってもらえないことは知っていた。でも、わかってはくれているんだと思ってたから、堪えようとしたのに、悲しさの余り声が震えてしまった。それに気付いたのか、悟くんが振り返って私を見る。

「私が好きなのは、悟くんだけだよ……!
 何度もそう言ってるのに」
「名前、」
「でも悟くんは……、私のことは好きになれないんだよね?
 だったらこの先、私が悟くん以外の人を好きになることがもしあっても、それは悟くんには関係ないことでしょ」

 悟くんが近付いてきてくれたけど、遂にこぼれてしまった涙を見られたくなくて、私は自分の部屋に逃げこんでドアを閉めた。
 なんであんなこと言っちゃったんだろう。私が誰を好きになろうとも、悟くんにとってそれは何の意味もない。それを言ったところで、悟くんにはただの事実でしかないから。
 
「名前、開けて。
 僕が悪かった。
 ここんとこ上層部がウザくて、何にも悪くない名前に当たった。ごめんね。
 仲直りしよう」
「……」
「嫌なら嫌って言って。
 でもそうじゃないなら、ドア開けるよ」

 返事をしないでいると、静かにドアが開いた。ベッドに俯いて座っている私の横に、悟くんは腰かける。おそるおそる隣に座った悟くんを見ると、さっきまでしていたサングラスを悟くんは外していた。この世にある美しいものを全部束ねても、悟くんの瞳の綺麗さには叶わない。いい加減断ち切らないと、この瞳にいつまでも囚われてしまう。

「泣かせてごめん」

 私の目元に、悟くんは指先で優しく触れて言った。

「私の方こそ……、ごめんなさい」
「――僕のこと、嫌いになった?」
「わざと言ってるの?
 嫌いになるなんて……、ありえないよ」
「なら良かった。
 あっ。そうだ。仲直りの印に、久しぶりにハグでもしとく?」
「えぇっ。なんで?
 だ、大丈夫だよ……!」

 どうしてそんなことを言い出したのかはわからないけど、極めて軽い調子で言った悟くんの提案を、私は断った。悟くんからいずれは離れなきゃならないことをやっと決心したというのに、悟くんに触れられたら、私のその覚悟は揺らいでしまう。

「そんな寂しいこと言うなよ。
 はい。仲直り」
「ちょ、ちょっと、悟くん……!
 ダメだよ」
「えぇ、何がダメなの?」
「ダメなものは、ダメだよ」

 私の制止も聞かず、私が必死でした決意を知らない悟くんは私を抱き締めた。久しぶりの悟くんの温もりに、止まっていた涙があふれそうになる。それくらい、心の奥底では私はそれを求めていた。その背中に腕を回して、強く抱きしめ返せたらどんなにいいだろうって思う。
 しばらくすると、抱きしめ返してこない私を変に思ったのか、悟くんは私を離した。

「どうかした?」
「あのね悟くん、もう私にこういうことしてくれなくて大丈夫だよ」
「なんで?」
「な、なんでも!
 とにかく、私ももう頼まないから……、だから悟くんも、ハグするのは今ので最後にして」
「……嘘つきだね、オマエは」
「悟くん、もう一回言って。
 よく聞こえなかった」
「なんでもないよ。
 いやー、名前に抱きつかれるの、結構癒しになってたから残念だなぁ。
 前はしばらくやめるって話だったじゃん」
「そ、それは、その、ごめんなさい」
「……謝るくらいなら、撤回してよ」
「え……」

 びっくりした。さっきまで冗談めかして笑っていたのに、今度はちょっと怖いくらい真剣な眼差しで、悟くんが私を見つめるから。

「なーんて、うそうそ。冗談だよ。
 驚いた?」
「もう、悟くん。
 そういう冗談はやめて……!」
「ごめんごめん。
 さっきスイッチ押しといたから、もうすぐお湯溜まるんじゃない?
 先に入っていいからさ、お風呂入る支度しな」

 でもすぐにいつもの調子に悟くんは戻ったから、悟くんの言う通り、ただの冗談だったみたい。悟くんにとっては何でもない態度や行動の意味について考えだすと、深みにハマって止まらなくなってしまう。だから悟くんが、この時こんな冗談を言った意味を私はわざと考えないようにしていた。
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