花は手折らぬ | ナノ

4融解


[2018年1月 五条28歳/名前20歳]


 去年の年末は任務が入っていて悟くんが忙しくて、私は高専敷地内の硝子ちゃんの部屋にいた。けれど同じ敷地内で大変な事件が起こっていたのに、その全貌を私は何も知らなかった。本当に何も、知らなかった。



「ただいま。
 年末からバタバタしててごめんね」

 悟くんはお正月には毎年マンションにはいない。三が日は現当主としてしなければならない行事があるから、基本的には悟くんの実家に帰っている。こうやって遅くなっても夜には帰ってきてくれるから、寂しくはない。
 それに悟くんは面倒がっているけれど、私には密かに楽しみにしていることがあった。お家に帰っている時、悟くんは着物を着なきゃいけない場面があるらしい。お正月はまさにその時だ。その事実を知ってから毎年頼み込んで、着物姿の写真を撮って送ってもらっている。
 着物姿の悟くんはいつも以上に綺麗だ。もちろん、そんな悟くんの着物写真は永久保存ものである。着物が素晴らしいのは、悟くんが生来持っている、上品でありながらもどこか妖艶な魅力を引き出すところだと思う。写真を見るだけでも、それはもう存分に、持てる色気を振りまいているんだろうなってわかるもの。
 普段から悟くんには、お願いして写真を撮らせてもらっているけれど、特別憂鬱な時は悟くんの着物姿を見て元気を出している。これを悟くんに言うと、何それウケるねと笑われるんだけど。
 だから別に、クリスマスやお正月に不在にしていたことを、悟くんが気負う必要はないのに。

「お詫びと言っちゃなんだけど、はいこれ。
 遅くなっちゃったけど、クリスマスプレゼントの代わりね。
 今回は一緒にいてあげられなかったから」
「そんなの、任務なんだから別にいいのに……。
 それに、私何も用意してないよ?」
「オマエからお返し貰おうと思ってあげてる訳じゃないし。
 いいから開けてみて」

 任務なんだから仕方がないことなのに、悟くんがわざわざプレゼントまで用意してくれていたことに驚いた。
 渡された紙袋に印字されている二文字のアルファベットには、なんとなく見覚えがあった。おそらく私の予感が当たっているから、なんだか怖くてすぐには開封することができなかった。一旦リビングにあるソファに座って、気持ちを落ち着ける。どうにか少し平静を取り戻した頃、おそるおそるかけられているリボンを細き、紺地の箱を開けてみた。

「さ、悟くん、これ私へのプレゼントで合ってる?」
「何言ってんの?
 名前以外誰にあげんのさ」

 私の予感は見事的中してしまった。悟くんがくれたのは、アクセサリーにそんなに興味の無い私でも知っている、ハイジュエリーブランドのネックレス。芸能人や海外のセレブなんかが、ここのブランドの結婚指輪を贈ったとかいうニュースを聞くくらいに超有名なところだった。花形のペンダントトップにぎっしり埋め込まれたダイヤモンドが、リビングの照明の光を受けて、キラキラと眩く光る。

「こ、こんなの私がもらっていいのかな」
「オマエくらいの子でも似合うやつ幾つか選んでもらって、そん中からオマエっぽいの選んだんだけど、気に入らない?」
「もちろん嬉しいけど……、私には勿体なさすぎないかな」
「そんなこと言うなよ。
 僕は名前にあげたくて買ったんだから。
 きっと似合うと思うよ。つけてあげるから貸して」

 どうせなら鏡の前で着けてあげる、という悟くんに甘えて、私の部屋に移動する。ドレッサーの備え付けの椅子に座った私に、悟くんは後ろからネックレスを着けてくれた。未だに私は、悟くんにハグしてもらうのを遠慮していた。抱き締められても心が乱れないようになるまでには、あともう少しだけ時間が必要だ。だからネックレスを着けてもらった時、久しぶりの悟くんとの近い距離感にはすごくドキドキした。

「うん、思った通り。よく似合うね」
「ふあ……、綺麗だね」

 その煌めきがあんまりにも眩しくて、思わず口から変な声が出てしまった。シンプルだけど可愛いデザインのネックレスは、普段私が好んで着ている服装にも合わせやすそうだった。

「ありがとう、悟くん。
 ずっとずっと、大切にするね」
「ん、どういたしまして」
「でもこんな高価なもの、お返しに私は何をすれば……」
「別にそんなんいらないよ。
 大した金額でも無いし」
「そういう訳にはいかないよ」

 悟くんの言う“大した金額じゃない”は、世間一般でいうところのとても高い金額だというのは、過去の経験から学習済みだった。
 でも、自分で言っておきながら、私がお返しに出来ることってなんだろう。悟くんは、欲しいものは大抵自分で買うことができる。それに、悟くんに未だに養ってもらっている私が、悟くんにプレゼントすると言っても、それは元を辿れば悟くんのお金な訳だし……。アルバイトをしたいと言っても、悟くんには絶対ダメって言われちゃうしなぁ。やっぱり料理の腕を磨いて、悟くんに今以上に美味しいご飯を出せるようになるとかがいいのかな。

「マジでいらないって。
 名前がこれからもこうして、僕と一緒にいてくれればそれで充分だよ」
「それは、お返しにはならないよ……」

 悟くん自身、全然気にしていなそうだった。けれど何か言わないと、逆に私が気に病むと思ってくれたのかもしれない。
 
「んー、じゃあ、一個だけ頼んでもいい?」

 悟くんを見つめ続ける私に、「ほんとにそういうのいいんだけどなぁ」と悟くんは笑っていた。けれど、最終的にはこう言ってくれた。

「なんでも言ってください……!」
「今夜、僕と手繋いで一緒に寝てくれない?」
「えっ」

 一瞬だけ、迷った。
 私も一応大人だ。異性と一緒のベッドで寝るなんて、普通の感覚を持っているなら、恋人同士でぐらいしかしないことぐらいわかっている。でも困ったことに、私に一緒に寝て欲しいと今言っている異性は、私が焦がれてやまない悟くんだ。どうしていきなりこんなことを言い出すのか、私には悟くんの意図は全くわからなかった。せっかくハグしてもらうのを中断しているというのに、同じベッドに入るなんて良くないんじゃないかとも思った。もう少しで感情のコントロールのコツを掴めそうだという時に、悟くんに近づいたら、好きすぎてどうしようもない気持ちがまたぶり返してしまうんじゃないかって。

「あ、あの、わ、私でよければ」
「……マジ?
 いいの?」
「むしろ、そんなことでいいの?」

 私が悟くんのお願いを聞き入れたことに、悟くんは少し驚いているみたいだった。パチパチと何度か瞬きをした後、まるで私の言葉が本当かどうか確かめるみたいに、悟くんはその大きな瞳でじっと私の顔を見る。

「いやー、まさかオーケーだとは思わなかったよ」
「だ、大丈夫だよ……!
 い、いくら好きでも、悟くんのこと襲ったりしないから」
「えぇ、なに言ってんの? ウケるんだけど。
 それ、名前が言う台詞じゃないでしょ。
 まぁ安心してよ。
 手繋ぐ以外は本当になんもしないからさ」
 
 なんでも言って欲しいと言ったのは私だ。それになんとなくだけど、私が叶えられることであれば、今は悟くんの言うことをきいた方がいい気がした。去年、悟くんが年末の任務を終えたころから、私にはずっと気になっていることがあったからだった。





「どうぞー」
 
 一応ノックしてドアを開ける。先にお風呂を済ませた悟くんは、片膝を立ててベッドに座っていた。
 首元がきついのが嫌だと言って、基本的に寝る時には、悟くんは襟ぐりが広い服を着ているけど、今日も同じだった。女の人の鎖骨に色気を感じる男の人は多いと聞く。それは男の人に対しても共通して言えるんじゃないのかと、悟くんの鎖骨を見るたびに思う。いつもの私だったら、ここぞとばかりに悟くんの姿を目に焼き付けるところだ。でも今は、なんだか照れてしまって悟くんが直視できない。

「なにしてるの?
 早くおいで」

 悟くんの部屋のドアを開けたはいいものの、いつまでもベッドに近づこうとしない私に、悟くんは柔らかく笑いかけた。置かれている状況と悟くんのセリフのせいで、脳内では変な妄想が始まりかける。それを振り払うように、悟くんはそんなつもりは微塵も無いんだからと、つい舞い上がってしまう自分に必死に言い聞かせた。

「お、お邪魔します……」

 広々使いたいという理由で、悟くんが使っているのはダブルベッドだった。ふわふわの柔らかい毛布とふかふかの羽毛布団をそうっとめくって、ベッドの端っこにおそるおそる腰をおろす。

「そんな隅にいないで、もっと寄りなよ。
 ダブルベッドって、二人で寝るには意外と狭いんだからさ」
「そ、そうだよね。わ、わかった」
「……そんな固まっちゃって大丈夫?
 名前が嫌なら、別に無理しなくてもいいんだよ」
「嫌なわけないよ。
 その、き、緊張してるだけだから」
「そ? ならいいけど。
 じゃあ、明日も早いしもう寝ようか。
 おやすみ」

 リモコンで電気のスイッチを消すと、悟くんは身体を横たわらせた。それに倣って私も布団の中に身体を潜らせる。手はいつ繋ぐんだろう……? 疑問に思いながら一人でそわそわしていると、悟くんは言葉も無く、左手を私の右手とするりと絡ませた。手を繋ぐやり方一つとっても、なんだか大人な悟くんにときめいてしまって、さっきから心臓がうるさい。私、こんな調子で今日ちゃんと眠れるかな。……もし眠れなかったら、悟くんの寝顔を眺めていよう。

「あの、一個だけ聞いてもいい?」
「ん、どうかした?」
「クリスマスイブの任務の時......、傑くんとなにかあった?」

 一人夜を明かす決意を固めながら、私は悟くんに気にかけていたことを尋ねた。悟くんはすぐに寝たいみたいだったから、聞くなら今しかなかった。

「......なんで、そう思ったの?
 オマエが傑のこと自分から言ったの、何気に初めてじゃない?」
「ご、ごめんなさいっ。
 悟くんが答えたくないなら、答えなくて大丈夫。
 ただ、悟くんは昔から時々だけど、すごく悲しそうな顔をすることがあって、そんな時は傑くんのこと考えてるのかなってずっと思ってて......。
 最近の悟くんは、よくそういう顔してるから......、この前の任務に、傑くんが関係してたのかなって。
 悟くんにそういう顔させる事が出来るのは、私が知ってる中では傑くんだけだから」

 しばらくの間、悟くんは何も言わなかった。その沈黙が答えのようなものだった。きっと傑くんと何かがあったんだ。でも悟くんはそれを言いたくないんだ。そう思ったから、繋がれた手に少しだけ力を入れた後、私は目を瞑った。悟くんが話したくないなら、これ以上私は何も聞けない。

「名前は僕のことわかってるんだかわかってないんだか、どっちな訳?」
「えっ?」
「そうだよ。
 名前の言う通り。
 傑がさぁ、また結構派手にやってくれたんだよね。しかも今回の狙いは僕の生徒だったし」
「そ、そうなんだ。
 生徒さんと傑くんは、その、大丈夫?」
「驚いたな。
 名前はまだ、傑の心配をするんだね」
「ご、ごめんなさい。
 大丈夫って聞くのはおかしいよね。傑くんは呪詛師になっちゃったのに。
 でも、私の中では傑くんは……、ずっと優しいお兄ちゃんのままだから」
「――憂太は僕も見込んだ術師だからね。
 心配ないよ。
 むしろ成長を見せてくれたくらいだから」 
「さすが、悟くんの教えてる生徒さんだね。
 よかった……」
「……でも傑は大丈夫じゃないっていうか、もういないんだよね。
 僕がこの手で殺したから」

 いつもと変わらない口調で悟くんは言った。でも、悟くんが傷ついていない訳がなかった。だって、悟くんと傑くんは、お互いにとってたった一人の親友だもの。
 悟くんが口にした悲しすぎる事実に、私は何も言えなかった。悟くんに、どんな言葉を返したらいいのかわからない。悟くんが私に一緒に寝て欲しいと頼んだのを、なんでもっと不思議に思わなかったんだろう。好きな人が悲しみの淵にいる時に、私は呑気に何をやっていたんだろう。悟くんのために、私はどうすればいい? どうしたら、悟くんの気持ちがちょっとでも楽になるの?

「まぁしょうがないよね。
 わかってるだけでも、傑は一般人百人以上殺してる。このまま放っておけば、傑の言う理想のために、これからも非術師を殺すんだろうし。
 だから仕方ないって、理解も納得もした。
 傑を殺すのは、多分僕なんだろうなとも思ってたしね。随分前から覚悟してたんだよ。アイツ、特級のくせに呪詛師になんてなっちゃうからさ」

 悟くんはどんな気持ちで、親友である傑くんを殺す覚悟をしたんだろう。そして、その覚悟を胸に抱きながら、今までどんな思いで呪術師として生きてきたんだろう。それを考えると、胸が痛くて潰れそうになった。私、ちゃんとわかってなかった。傑くんが敵になるってことが、一体どういう意味なのか。傑くんが高専からいなくなってしまったあの日からずっと、悟くんは一人でそんなことを思ってたの?
 
「不思議なんだけど、傑がもうこの世にいないってあんまり実感が無いんだよね。なんなら僕が殺してるのにだよ?
 でもふと、傑は死んだんだよなって思うと、なんか眠れないんだ。
 今までだって別に、頻繁に会ってたって訳でもないのにね。
 ……って、いきなりこんなこと話されても困るか。
 ごめんね。マジでもう寝よ。
 名前が手握ってくれてれば、久しぶりに安眠できそうだから」

 私が泣くのは違う。だから堪えようとしたのに、どうしても我慢出来なかった。悟くんに気付かれないように横を向いたのに、悟くんは私が泣いていることにすぐに気が付いた。

「名前、こっち向いて」
「い、いいの。気にしないで」
「気にするよ。
 名前が泣いてるの、放っておくとか出来ないから」

 何度も優しく名前を呼びかけてくれるから、ついに私は悟くんに向き直ってしまった。悟くんは、繋いでいない右手の指で私の涙を拭ってくれる。

「優しいよね、名前は」
「ごめんなさい……っ。
 今一番辛いのは、悟くんなのに」
「えぇ、なんで謝るの?
 オマエは僕のために泣いてくれたんでしょ?
 そういうの嬉しいよ」
「私、なんとなく何かあったのかなって思ってたのに……っ、悟くんが辛い時に私、悟くんの着物姿にはしゃいだりして……!
 今も、傑くんとそんなことになってたのも知らずに、一人で浮かれて……、ほんと、何やってるんだろ」
「バカ、そんなこといいんだよ。
 むしろこうして、名前の昔から変わらない所に僕は救われてたりするんだし」
「私、心配だよ。
 悟くんがとっても強い人だっていうのは知ってるけど、悟くんは本当に悲しい時でも、涙を流さないでしょ?
 辛いのが溜まっていくばっかりなんじゃないかって思うの」
「平気だよ。
 僕の代わりに、こうやって名前が泣いてくれるから」
「そんなの……、何にもならないよ。
 でもね、私が出来ることは……、あんまり無いのかもしれないけど、それでも、悟くんのために何か出来ることがあるんだったら、何でも言ってね」

 自分が悟くんとの距離感を保とうとしていることも全部忘れて、私は悟くんに抱きついた。正確に言えば、私は悟くんを抱きしめたかった。けれど、繋いでいた手を解いて私が悟くんに近づくと、悟くんは私をその胸の中に優しく迎え入れてくれた。泣いている私の頭を悟くんは撫でてくれている。これじゃ、泣いてる私を悟くんがただ慰めてるだけだ。悲しんでるのは悟くんで私じゃないんだから、こうなっちゃだめなのに。自分が情けない。結局私は、悟くんに甘えることしか出来ないのかな。

「前にも名前に言ったと思うけど、男に『何でも言って』なんていっちゃダメだよ」
「悟くんだけにしか言わないもん」
「……ほんと、傑の言う通りになっちゃったな」
「え、なに?」
「なんでもないよ」
「最期に悟くんに会えて、傑くんはきっと幸せだったよ……」
「どうだろうな。
 傑はああ見えて野心家だし、当然まだ死にたくはなかっただろうからね」

 それから悟くんは喋らなくなってしまった。でも悟くんは私を抱きしめながら、頭を撫で続けてくれていた。私も、今夜だけは悟くんから離れたくなかった。だからそのまま、悟くんにくっついていた。
 眠れないかもと心配していたのに、悟くんの心地よい温もりに包まれながら、いつの間にか私は眠りに落ちていた。
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