花は手折らぬ | ナノ

3虚偽


[2017年9月(五条27歳/名前20歳)]



「久しぶりの4コマはダルいわ。
 近くのカフェでも寄って、ケーキ食べてかない?」
「夏休み、長かったもんね。
 うん! 賛成」

 まだまだ暑さは残ってはいるけれど、長い夏休みが明け、私の通う大学では、9月からまた授業が始まった。休み明けだというのに、2限から5限までびっちり入っていた初日を終えて、私も美咲ちゃんも少し疲れていた。そんなところに、美咲ちゃんの誘いはとても魅力的だった。
 私にとって美咲ちゃんは、数少ない仲が良いと言える友達だ。中学から同じ学校に通っていた美咲ちゃんと、同じ大学、同じ学部に進学できたのは本当にラッキーだったと思う。

 美咲ちゃんセレクトの可愛くておしゃれなカフェに入り、注文を済ませる。私は紅茶とマスカットのタルト、美咲ちゃんはコーヒーとガトーショコラを頼んだ。
 ドリンクとケーキの到着も待たず、美咲ちゃんは私に尋ねる。

「そういえばさ、五条さんとはどうなの?
 夏休みは語学留学行ってたから、名前とは会ってなくて話も聞いてなかったけど、なんか進展あった?」
「言ってなかったんだけど……、私、悟くんには振られたんだ。
 この前の私の誕生日に」
「うそ?!
 だって、なんか話聞く限りいい感じじゃなかった?」
「私のことは大事に思ってるって、悟くんは言ってくれたけど……、女としては見れないって」
「えぇ、マジか。
 名前でもダメならどんな子ならイケるのよ」
「私はタイプじゃないんだって。
 あんなにはっきり言われちゃったから、もう何も言えないよ。
 きっと悟くんは、すごく綺麗な人とばっかり付き合ってきたから……」
「まぁ五条さん、めちゃくちゃ美形だもんね。
 未だに素顔見た時の衝撃は忘れられないよ。
 この日本に、こんな美しい人いるんだなって感動したもん。
 でも、名前は十分可愛いからね?!
 そこは自信持ちなよ?」
「ありがとう、美咲ちゃん」

 昔の私は、美咲ちゃんにも悟くんのことを話していなかった。悟くんのことを知らない人に、わざわざ悟くんの存在を教えてあげるなんてしたくなかった。呪術界では有名な悟くんだから、悟くんのことを知らない呪術師はいない。でも、呪術と関係ない人なら悟くんのことを知らない。だから、私が話さなければ、悟くんのことは私だけの秘密。私だけが悟くんを知ってればいい、ずっとそう思ってた。
 でも結局、美咲ちゃんとは、悟くんとお出掛けした時に偶然お店で鉢合わせてしまった。悟くんと一緒にいるところを見られてしまった以上、隠しておくことは出来ない。それに、一目で私が悟くんを好きなことを見抜いた美咲ちゃんは、私の恋を応援すると言ってくれた。だから私もそれ以来、美咲ちゃんだけには、悟くんのことを相談するようになっていた。
 今では最初に隠していたのが申し訳なるくらいに、美咲ちゃんは親身になって私の相談に乗ってくれている。

「ごめんね。
 応援してくれてたのに、ずっと黙ってて。
 自分の中で、振られた事実がなかなか受け止められなくて」
「それは全然いいけど、大丈夫?
 だって、ちっちゃい頃から10年以上好きだったんでしょ?」
「それがね、すごく今幸せなの」
「ん? 
 名前は振られてるんだよね?」
「多分、私が好き好き言いすぎたから、悟くんも温情をかけてくれたんだと思うんだけど……。
 ハグくらいならしてもいいって言ってくれて、お願いすれば、いつでもぎゅうってしてくれるの」
「えっ。待って、なにそれ?
 意味わかんないんだけど。
 そんなことされたら、いつまでも名前が五条さんのこと諦められないじゃん」
「悟くんは何にも悪くないよ。
 私が可哀想だから、優しくしてくれてるだけなんだから」

 向かいの美咲ちゃんは、私の話を聞いて眉根を寄せ、なんとも悩ましげな表情をしていた。テーブルに肘をつき、額に手を当てている美咲ちゃんは、さっき店員さんが持ってきてくれたガトーショコラにも手をつけていない。

「それにね、卒業しても一緒にいてくれるって、悟くんは言ってくれたの」
「マジ?
 名前は卒業したら、一人暮らしじゃなかったっけ?」
「そう思ってたんだけど、今まで通りでいいんだって。
 仕事も、特にやりたいこととか無ければ、悟くんのお家の使用人になればいいって……」
「なんていうか……、五条さんは名前のこと、可愛くて仕方がないんだろうね」
「え?」
「まぁ名前だから、そうなっちゃうのもわからないでも無いけどさ。
 女としては見れないって、本人が言うんならそうなんだろうけど、名前に自分から離れて欲しくないんだね」
「……そうなの?」
「なんとも思ってない子には、ここまでしないよ。
 話聞いてると、なんか五条さん、シスコン拗らせてるお兄ちゃんみたいなんだもん」

 美咲ちゃんの憶測だから、悟くんが実際にそう思ってるかはわからない。でも、美咲ちゃんの言う通りだったとしたら、素直に嬉しい。悟くんが私と一緒にいてくれるのは、悟くんが優しいからだと思ってた。長い月日を共にした結果、何となく絆されてしまっただけなんだって。
 私の求める形とは違うのかもしれない。でも、悟くんが、こんな私を必要としてくれているのかもしれない。そう思うと、一欠片口に入れたタルトにも勝る甘さが、胸の中に広がっていく。

「最終的にどうするのかは名前次第だけど……、私は、五条さんとは少し距離置いた方がいいと思う」
「えっ。どうして?」
「気付いてないの?
 五条さんのこと話してる間ずーっと、名前、泣きそうな顔してるよ?」
「そ、そんなことないよ。
 振られたのに悟くんに触れられて……、これからも一緒にいられるなんて、幸せすぎて信じられないくらいなんだよ」
「確かに幸せには違いないんだろうけど、本当にそれだけなの?」

 真っ直ぐに私を見つめて、美咲ちゃんは問いかけた。昔からそうだった。何も言わなくても、美咲ちゃんには私の気持ちが全てバレてしまう。

「こんなこと言うのは、贅沢だってわかってるんだけど……。
 悟くんが、心から好きだって思う女の人がいつか出来たりした時にも、今のままでいられるのかって思うと、すごく怖くて」
「名前……」
「恩人の悟くんには誰よりも幸せになって欲しいんだ。
 でも、悟くんが幸せになった時、私は傍にいられないかもしれないって思うと、素直に悟くんの幸せを喜べなくなっちゃってるの。
 最低だよね、私」
「なに言ってんの。そんなん普通だよ。
 好きな人の幸せを素直に願えないのなんて、当たり前じゃん。
 ――とりあえずさ、好きな気持ちがこれ以上辛くなる前に、そのハグはやめなよ」
「ごめん。美咲ちゃんにはつい弱音吐いちゃったけど、私なら大丈夫だよ。
 だから……」

 私の為を思って言ってくれている美咲ちゃんの提案を、あろうことか私は拒否した。悟くんがせっかく許してくれているのに、悟くんに触れられる機会を自分から絶つなんて、やっぱり私には考えられなかった。あるかもしれない喪失がいくら恐ろしくても、悟くんに触れる権利を放棄することには繋がらない。
 
「名前は納得いかないみたいだから、あえて言うよ。
 変に供給があって、このまんまだと名前は五条さんの前で暴走しかねないよ。
 名前的にもそれはNGなんじゃないの」
「うん。それは絶対だめ。
 悟くんには、ウザいって思われたくない」
「ぶっちゃけ、出来るならずっとやめた方がいいと思うけど、この際期間区切ってもいいよ。
 気持ちの整理が出来るまでとかさ」
「……ハグしてもらうのやめてみるの、考えてみるね」

 美咲ちゃんが忠告するように、自分の感情を持て余して、悟くんにまた気持ちをぶつけるなんて事態になるのは避けたかった。悟くんをまた困らせたくはない。それに、振られた時に悟くんがした冷たい笑顔を向けられるのには、もう耐えられそうになかった。



「おかえりなさい」
「ただいま。
 あれ。どうしたの?
 なんかあった?」

 私が毎回断らないからか、最近では、最早悟くんは私の意志を確認することはなくなっていた。軽く腕を広げても、一向に悟くんに抱きつく様子がない私を見て、悟くんは不思議そうに首を傾げる。
 
「きょ、今日はいいの」
「え? なに?」
「大丈夫だよ。
 今日はハグしてもらわなくて」
「めっずらし〜!
 何気に初めてじゃないの?
 僕が任務でいない日以外でハグしなかったのって」
「そうだったかな。
 っていうか今日だけじゃなくてね、しばらくはずっと、してもらわなくて大丈夫だから」

 恍けてみたけれど、ちゃんとわかってる。悟くんに抱きついてもよくなった日から今日までずっと、私はずっと悟くんに甘え続けていた。
 与えられるはずのない幸せを、私は知ってしまった。分不相応な幸せは多幸感をもたらしてくれるけど、それは元々、私が手にするはずのないものだ。だから時々、どうしようもなく辛くなってしまう。
 これ以上この幸せを私が受け取るのは、きっと良くない。美咲ちゃんが言うように、いっそきっぱりやめるのが正解なんだとわかってる。でもどうしても、それだけは出来なかった。
 
「…………しばらくっていつまで?」

 悟くんは少しの間何も言わなかった。私の発言を、悟くんは別に気にしてなんかいないと思う。でも私の方は、なんでか悟くんの顔を直視できなかった。

「それは……、わかんないけど」
「でも、いきなりなんで?
 どういう心境の変化?」
「別に、なんでもないよ」
「なんでもないって顔してないけど」
「そ、そろそろ私も、悟くんから卒業しないとなぁって思って」
「――藪から棒にどうしたの」

 嘘を言っているわけではなかった。振られてからずっと、悟くんから卒業しなきゃとは思っていた。それが果たして私に出来るかどうかは別として。

「悟くんに片想いして、今年で12年でしょ?
 干支も一周しちゃったし、ちょうどいいタイミングなのかなって」
「なんだ。そういう理由?
 それなら別に、卒業しなくていいじゃん」
「よ、よくないよ。
 いつまでも好きでいられても、悟くんも迷惑でしょ。
 重いのは面倒だって、携帯で彼女か誰かに話してるの、聞いたことあるんだから」
「言ったかもしれないけどさ、オマエなら僕は別にいいよ」
「嘘だよ。
 だって、前に言ってたでしょ。
 私が悟くんから卒業するのはいつになるのかって」
「んー、昔のことは忘れちゃったなぁ。
 その時とは、僕も考えが変わったんじゃない?」

 話している間に包帯を外していた悟くんの瞳と目が合う。相も変わらず、悟くんの瞳は恐ろしいほど綺麗だ。そのよく見える目に、私の気持ちも全部見透かされてしまいそうで、慌てて私は目を逸らした。
 いつもの軽い調子で、悟くんは何でもない事のように言った。一体どういう意味なんだろう、“私なら別にいい”って。このまま悟くんを好きでいるぐらいはいいって意味だと、私は捉えてもいいのかな。
 
「12年間も名前が僕を好きだったのは知ってるし、今更迷惑とか思わないよ。
 だから卒業とか、そんなこと言うなよ。
 寂しいじゃん」

 そう言って優しく笑うと、悟くんは私を引き寄せて抱き締めてくれた。意図がわからない悟くんの突然の行動に、激しく動揺する心をなんとか静める。
 悟くんに抱き締められながら、カフェで美咲ちゃんが言っていたことを私は思い出していた。もし美咲ちゃんの憶測通りなら、悟くんにとって私は何なんだろう。これまで何千回も考えたことを懲りずに考えそうになって、やめた。悟くんがくれる言葉や、悟くんが私に対してする行動の意味を、こうやっていちいち考えてしまうのは、期待を完全に捨て切れていない証拠だ。でも、いい加減もうやめなきゃ。悟くんを好きでいるのはやめられそうにないけれど、私の想いはどうしたって、悟くんには受け取ってもらえないんだから。

「悟くんがそんなこと言ってくれるなんて、すごく嬉しい。
 でもやっぱり、今日でしばらくはやめにするね」
「なんで?
 僕はいいって言ってるだろ」
「実はさっき言った理由の他に、もうひとつ他の理由があって」
「まだなんかあんの?
 僕に遠慮してるとかなら――」
「も、もう一つの理由は、悟くんには全然関係ないことだから」
「……へぇ。
 なに、僕には言えない理由なんだ?」
「うん。悟くんには秘密」

 私は、悟くんに隠し事が出来たことがない。悟くんに何かを隠したり、嘘を吐いたりしたことも今までに何回かあったけれど、結局全部バレてしまっている。そして私がそうするときは決まって、悟くんが関係していた。今回もその例外じゃない。でも今回ばかりは、失敗するわけにはいかない。悟くんがこれからも一緒にいてくれる約束までしてくれたのに、自分のせいで全部台無しにしたくない。

「そっか。
 再開したくなったら、いつでも言っておいで」

 身体を離した悟くんは、私の頭を軽く撫でて言った。私が嘘を吐いたことは、悟くんに見抜かれなかったみたい。自信はあんまり無かったけど、なんとか私はうまくやれたんだ。良かった。

「あ、ありがとう」
「まぁでも、どんな事情なんだか知らないけど、もうしなくていいって言わないとこが名前だよねぇ。
 楽しみだよ。寂しんぼの名前が、『ぎゅってして』ってまた泣きついてくるのが」
「大丈夫だよ。
 もうそうはならないと思うから」

 そうはならないというのは、そうなって欲しくないという願望を込めて言った。さすがに悟くんの言う通りになったら困る。だって、寂しくて泣いて縋るなんてことしたら、本末転倒すぎる。悟くんの前で取り乱さないようにするために、悟くんとの距離感を元に戻したんだから。

「名前、」
「なぁに?」

 悟くんに後ろから呼びかけられて振り返ると、悟くんは私の頬に手をあてた。いつになく真剣な表情の悟くんは、高い位置から私の顔をじーっと見つめている。
 
「ど、どうしたの。悟くん……?
 わ、私の顔になんかついてる?」

 聞いてみても、悟くんは黙ったまんまだった。
 かと思えば、悟くんの整いすぎてる顔が段々と私に近づいてくる。そんなことある訳ないのに、バカな私は浮かれた。悟くんにキスされるのかと、思わず期待してしまったんだ。
 
「いやー、オマエのほっぺ、やっぱ柔らかいんだね」
「さとるくん、い、いひゃい」
「ごめんごめん。
 でも実はずっと前から、こうしたいって思ってたんだよねぇ」

 反射で目をぎゅっと瞑ってしまった間に、悟くんがしようとしていたことはキスなんかじゃないとわかった。悟くんは私の頬を指で掴んで、ぐにぐにとした感触を楽しむように引っ張っている。今やすっかり悟くんは、いつもの悟くんだった。ごめんと口では言っておきながら、悟くんはニコニコしっぱなしだ。痛いと訴えているのに、悟くんの指が私の頬から離れる気配もない。

 空を写したような悟くんの碧眼が、さっき一瞬だけ揺れていたような気がした。でも多分、私の気のせいだったんだ。だって、悟くんの瞳が揺れるような理由がないもの。
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