花は手折らぬ | ナノ

017自覚


※前半五条視点、後半名前視点。


[2016年12月(五条27歳/名前19歳)]



 名前が術士じゃなくて、僕は良かったと思っていた。呪霊や呪詛師に遭遇した時に、呪術師じゃない名前は自分自身で対向できる術を持たないから、その点は心配だった。でも僕が傍にいる時点で名前を狙ってくる奴なんていないだろうと思っていたし、実際に予想通り、名前が襲われるなんてことは無かった。
 むしろ呪術師をやっていた方が、任務に行ったりなんかして死ぬ確率は格段に上がるだろう。

 万が一命知らずな奴が名前に手を出すなんてことがあった時のために、名前に呪具も持たせてたし、住んでるマンションには外からの侵入を阻む結界も張っていた。かなり低い可能性とはいえ、呪霊と呪詛師が名前に接触して来ても問題がないように、一応の対策を僕はとっていた。
 油断していたと言われても仕方ない。名前がこうなったのは、非術師が名前に接触する危険性を呪霊や呪詛師のそれと同レベルに考えていなかった僕の落ち度だ。

 思えば任務で外に出てる時以外で、名前と離れたことはこれまで無かった。
 高専在学中は名前は同じ寮にいて、会おうと思えばいつでも会えたし(というか僕が会おうとしなくたって、名前の方から勝手に寄ってきた)、高専を卒業してからは一緒に住むなんてことになったからな。
 名前はずっと、僕の傍にいた。
 最初は貧乏くじ引かされたと思ってた。多少なりとも鬱陶しいと感じてたし、実際それを態度に出して、傑に咎められたりなんかもしていた。それなのにいつからか、名前の存在を僕は心地よく感じていた。きっと僕は、そんな名前がいる日々がこれからもずっと、当たり前のように続くんだって信じてた。
 こんなに突然、何の前触れもなく、名前との暮らしが失われるなんて思ってもいなかった。いつか名前が僕から離れてしまう時が来るとしても、それはずっと先のことなんだって思ってた。
 
 願いを叶えてくれる都合のいい神がこの世にいない事を知ってるのに、もしかしたら僕の誕生日に名前の目が覚めるかもしれないなんて、バカげた期待を僕はしていた。出会った頃から一度も欠かさず、名前は僕の誕生日を祝ってくれていた。聞いてるこっちが恥ずかしくなるような名前からの祝福の言葉を、僕はいつも大袈裟だと笑っていたっけ。こんなことになるなら一度くらい、素直にありがとうって言ってやれば良かった。

 名前が目を覚まさないで眠り続けて、もう三週間が過ぎた。
 その間ずっと、僕は恐ろしかった。
 名前の異変に気付けなかった僕が悪いんだけど、僕の知らない間に名前は取り返しのつかない状態になってしまった。だから目を離したら今度こそ、名前がこの世からいなくなってしまうかもしれない。そう思うと、名前から片時も離れていたくなかった。

 僕も呪術師だ。仲間の死も少なからず経験してきた。だからもし名前が目を覚まさずにこのまま死んでしまったら、それを受け入れるしかないなんてことはわかってる。名前の容態を考えれば十分あり得ることだ。でもいざその時が来たとしても、僕は到底名前の死を受け入れられそうになかった。

 ベッドに横たわる名前の寝顔は、血の気が引いてはいるけれど、それ以外はいつもの名前の寝顔となんら変わらないように見える。なんなら幸せな夢でも見てるようなそんな顔をしてるのに、いつ死んでもおかしくないとか、悪い冗談としか思えない。
 名前の寝顔を見ながら、昔から名前が好きで見ていたお伽話のことを僕は不意に思い出した。先生が「女の子ならこういうの好きなんじゃないか」とか何とか言って、まだ学校にも通い出していなかった名前のために買ってきたDVDの中でも、名前にはお気に入りの一枚があった。僕と暮らしてからも、名前はもう何回も見てるそれを時々再生して見返していた。

『またそれ?
 よくそう飽きもしないで何回も見れるね』
『だって、何回見てもすごく素敵じゃない?』
『へー。オマエもご多分に漏れず、こういう王道のラブロマンスが好きなわけね。
 僕からしたらうへぇって感じだけど』
『えぇ、すごく素敵じゃない?
 だって、王子様の真実の愛のキスで呪いが解けるんだよ』
『あのねぇ。
 長いこと呪術師やってるけど、キスで呪いが解けるとか僕今まで聞いたことないから』
『悟くんはまたそう言うこと言うー。
 せっかく見た目は王子様みたいに綺麗なのに、全然ロマンチックじゃないよね、悟くんは』
『はいはい、どうせ僕は王子じゃないよ』
『だ、大丈夫だよ……!
 それでも、私にとっては悟くんは王子様だから』
『待って。オマエなんか勘違いしてない?
 僕は王子になんてならなくていいからね。っていうかむしろなりたくないから』

 誕生日に魔女からかけられた呪いが原因で眠りについてしまったお姫様が、王子からの真実の愛のキスで目覚めるっていう話を、名前は甚く気に入っていた。名前と違って、僕はそのお伽話が好きでもなんでもなかった。話の内容を覚えていたのも、名前が繰り返し見ているのを横で眺めていて、ただなんとなく覚えてしまっただけだ。
 お伽話の中の出来事が現実にあり得るわけがない。そんなの僕だってわかってたし、そもそも僕は名前が言うように、ロマンチックとかそういうのからは程遠い人間のはずだった。それなのに気付けば僕は、眠っている名前に口づけていた。

 十二分にわかってたことだけど、そうやって僕がキスしたところで、当然名前からは何の反応も返ってこなかった。身体の一部が動くなんてこともなかったし、ベッドの脇にある心電計にさえ、少しの変化も見られなかった。
 僕は一体何をしてるんだろう。名前は僕に恨みを持った男に毒を盛られたせいで昏睡状態なんだから、キスなんかで目覚めるわけがないのに。ほんと、バカみたいだな。

 若紫だとかなんとか言ってた傑を、当時はありえないと一蹴した僕が、今こんなことになってるって知ったら、傑はどう思うんだろう。やっぱり僕を笑うのかな。
 名前がいなくなるかもしれないってだけで、その先の未来をうまく描くことが出来なくて、さすがの僕も気付かないわけにはいかなかった。
 最初で最後なんて言ってしまったことを、あれから僕はずっと後悔している。きっと名前から頼まれれば、僕はどんなことだってしてあげるのに。だって多分もう手遅れなくらいに、僕は名前を愛してるんだから。







 なんだかすごく長く寝ていたみたいだ。その間、私はとても幸せな夢を見た。
 おそらくこれは、悟くんの気まぐれのせいだ。悟くんが膝枕なんて出血大サービスしてくれちゃうから、それこそ私は夢見心地のまま眠りに落ちた。それでこんなにも夢見が良かったのかもしれない。

 夢の内容は、現実ではありえそうもないことだった。だから夢の余韻をもう少し味わっていたかったけれど、忙しい悟くんにあんまり手をかけさせちゃいけない。だから早く起きなきゃ。そう思って瞼を開けた私が目にしたのは、見慣れた自分の部屋の天井ではなかった。
 ここは……、呪術高専? え……、なんで?

 私が今寝ているのは、呪術高専の病室だった。まだ高専の寮に私が住ませてもらっていた頃に、みんなのお見舞いにここに来た記憶があるからわかる。
 でも私は、悟くんに運ばれて自分のベッドで寝たはずなのに。
 自分が高専にいる理由に全く検討がつかなかった。私はこの通り何ともないから。でも、私の身に何かあったのかもしれないことだけは予想がついた。ベッドの傍には物々しい機械が置かれていて、私の身体にはいくつもの管が伸びていたからだ。

 自分の身に何が起きたかも十分気になるけれど、目が覚めた時から、それよりも私には気になっていたことがあった。
 それは、私のベッドのすぐ隣の椅子に座っている悟くんの手が、私の手と繋がれていることだった。もしかしたら私は、悟くんにもかなり迷惑と心配をかけてしまったのかもしれない。今は座ったまま悟くんは寝ているみたいだけど、悟くんが起きたらちゃんとごめんなさいって言わないと。
 謝罪の覚悟を決めつつ、私は悟くんが起きるまで、悟くんの寝顔を堪能しようとした。

 けれどそれは叶わなかった。
 悟くんのバサバサの白い長い睫毛が微かに動いて、初めて見た時から焦がれてやまない碧色が私を捉える。悟くんと目が合って思わず頬が緩んでしまった私を見て、悟くんは目を見開く。もともと大きい悟くんの目がもっと大きくなった。

「……名前…………?」
「ご、ごめんね。
 なんで高専にいるのかわからないけど、私、きっと悟くんに迷惑かけたんだよね……」
「……何か違和感感じるとことかある?
 どっか痛んだりとか」
「そ、それが申し訳ないくらい元気なの。
 あのね、寝てる間に私、すごくいい夢見たんだよ。悟くんが出てきてね……」

 悟くんに寝てる間に見た夢の話をしようとしたけど、話の続きは私の頭の中からたちまち消えてしまった。
 さっきからなぜか、少し恥ずかしいと思ってしまうくらい、悟くんは目を逸らさずにじっと私を見つめていた。その悟くんの瞳から数滴、涙が零れた。悟くんの碧い瞳から白い頬をつたって涙が落ちていく光景があまりにも美しくて、私は息をするのを忘れた。

 傑くんがいなくなってしまった時、幼い私の目から見て、悟くんは確かに泣いているように見えた。でも、実際に涙は流していなかった。
 
「悟くん……、どうしたの?
 なんで泣いてるの?
 なにがあったの……?」
「……ごめん。僕がついていながら」
「え?」
「名前はね、僕のせいで死にかけたんだよ。
 僕が殺した呪詛師の恋人の男が、名前を毒殺しようとしたの。
 オマエは三週間以上ずっと、昏睡状態でさ。
 僕がオマエの異変に気付いた時には遅くて、もう目を覚まさないかもしれないって硝子も言ってた」

 悟くんの瞳から涙が流れたのは、ひょっとして私の見間違いだったのかもしれないと疑うくらい、一瞬のことだった。けれど、何があったのか話してくれた悟くんはその後もずっと綺麗な顔を歪めていた。

 そういえばあの日、私は不思議な雰囲気のお兄さんに会った。
 道端で買い物袋を落としたお兄さんに声を掛けて、食材を拾うのを手伝った私にお兄さんはお礼がしたいと言った。厚意を無下にする訳にはいかないと、お兄さんの申し出を私は素直に受け入れた。
 てっきり近くのカフェにでも入るかと思っていたら、お兄さんは自身が働いているというカフェでお手製のミルクティーをご馳走してくれようとした。一度は受け取ろうとしたお兄さんからの厚意を、私はこの時点で丁重に断ろうとした。悟くんに恨みを持つ人間が腹いせに私を狙う可能性が0ではないため、不用意に人から飲食物をもらわないよう悟くんから言われていたからだ。

『アイスミルクティー好き?
 うちの店の美味しいんだよ』
『ごめんなさい。
 せっかくですけど、いただけません』
『どうして?
 あ、他のがよかったりする?
 今ならフレッシュジュースとかも作れるけど』
『だ、大丈夫です。
 ミルクティーは好きですけど、もともと大したことしてないですし。
 私、もう帰りますね』
『そんなこと言わないでよ。
 こんなに美味しいのなぁ』

 取り出した小さいグラスに、私のために用意したミルクティーを少し移し替えて、お兄さんはそれを飲み干した。
 お兄さんのその行動に、私は安心してしまったのだ。
 悟くんからもらった呪具はお兄さんに反応していなかった。それに、優しげな雰囲気を纏うお兄さんは私に危害を加えるような人にはとても見えなくて、お兄さんが悪い人だとは私にはどうしても思えなかった。
 お兄さんから声を掛けられたならまだしも、お兄さんには私から声を掛けた。その事実があって、もともとお兄さんのことをあまり疑いの目で見ていなかったところに、お兄さん自身がミルクティーを飲んだのが決定打だった。毒入りのものをまさかお兄さん自身は飲まないだろうと、私は出されたミルクティーを結局飲んでしまった。
 思い返せば、酷い眠気に襲われたのはお兄さんと会ってからだった。でもただただ眠いだけで他に何の症状も無かったから、私はお兄さんが悪い人だと見抜けなかった。
 

 悟くんはあんまりにも苦しそうだった。今回のことは、悟くんから散々言いつけられていたのに、結局あのお兄さんのことを信じてしまった私が悪いだけだ。もしこうやって目が覚めずに死んじゃったとしても、それは全部私の自業自得でしかない。
 だから悟くんが罪悪感を感じる必要なんてどこにもないのに。私は、悟くんは何にも悪くないと言いたかった。悟くんの辛そうな顔を見ていられなくて、とにかく悟くんに笑って欲しくて、私は必死に言葉を探した。

「そんな顔しないで、悟くん……。
 悟くんのせいじゃないよ。
 悟くんにちゃんと注意されてたのに、私があのお兄さんを信じちゃったのがいけないんだよ。
 今回のことだって、絶対悟くんのせいじゃないよ?
 だけどもし、悟くんを狙ってる人が何かして、その結果私が死んじゃっても、それは悟くんのせいにはならないんだよ。
 それに、私の命は悟くんに助けられたんだから。私は悟くんに助けられてなければ、本当ならとっくにいないはずなんだし……。
 だから悟くんのためなら、私は別に死んじゃってもいいっていうか」
「……なんだよそれ。死んでもいいって」
「え……?」
「なんでそんなこと、オマエは簡単に言えんの?」

 私は失敗したんだとすぐわかった。
 声を荒げたりはしていなかったけれど、悟くんの目を見ればわかる。悟くんを笑顔にするどころか、私は悟くんを怒らせてしまっていた。それもすごく。
 悟くんの涙を初めて見て動揺していたこともあって、私は冷静ではなかった。悟くんの前で冷静でいられたことなんて今まで無いけれど、いつも以上にそうだった。
 なんでこんな当たり前のことに気付かなかったんだろう。
 悟くんが怒るのは当然だ。
 呪術師の皆は命を懸けて呪霊と戦っている。呪霊と戦って、命を落とす呪術師も決して少なくない。雄くんが死んじゃった時に夜蛾さんも言っていた。呪術師に悔いのない死は無いって。それを私もわかっていたのに。いくら気が動転していたとしても、同じ呪術師の死を何回も見て来た悟くんに向かって"死んでもいい"なんて言うなんて、私は大バカだ。

「さ、悟くん、ごめ……」
「いいよもう。
 でも、さっきみたいなことは二度と言わないで。
 僕、硝子呼んでくるね」
 
 慌てて謝った私を見て、悟くんは軽く溜息をつく。立ち上がった悟くんは、目も合わせてくれなかった。私にくるりと背を向けて歩き出した悟くんを見て、きっと心底呆れられてしまったんだと思った。だから病室を去ろうとする悟くんのあとを追いかけようとした。でも数週間歩いてなかったからなのか、悟くんの冷たい態度に焦っていたのか、脚が絡まった私は転んでしまった。すると悟くんは振り返って、ちょっとびっくりするくらいすぐに、私のもとに駆け寄って来てくれた。

「名前……!!
 なにやってんだよ、オマエは……!
 大丈夫か?! どこか打った?」
「だ、大丈夫。どこも痛くないよ」

 余りに悟くんが心配そうに言うから、その勢いに気圧されてしまった。悟くんがこんなに焦っているところなんて、今まで見たことがない。なんだかさっきから、初めて見る悟くんの表情ばっかりだ。
 悟くんは私が大丈夫だとわかると、心から安心したようなほっとした顔をしていた。それから私を抱きかかえてベッドに座らせてくれた。

「ごめんなさい……。
 呪術師の皆が命懸けて戦ってるのを知ってるのに、死んでもいいなんて軽率に言って。
 悟くんが怒るのも当たり前だよね。
 でも信じて、悪気は無かったの。
 だからお願い……、私のこと、き、嫌いにならないで」
「……え?
 あぁ、僕がそれで怒ったって思ったの?」
「ち、違うの……?」
「どうせオマエのことだから、僕のことを気にして言ったんでしょ。
 それくらいわかってるよ。
 ていうか僕、別に怒ってないよ。ただちょっとムカついただけ」

 私の前に立つ悟くんを見上げながら謝ると、悟くんは最初ぽかんとしていた。だけどすぐに私が言おうとしていることを理解したのか、悟くんは涼しく笑って、さっきの私の言動を怒ってないと言った。
 でもそう言われてしまうと、なんで悟くんが私にムカついたのかわからなかった。悟くんが怒るとしたら、私の軽率な発言にしか原因は無いんじゃないのかなぁ。
 考え込んでいる私を面白いと思っているのか、目が合った悟くんは、さっきと変わらず優しい微笑みを浮かべていた。今度こそ硝子ちゃんのところに行くのかと思っていたけれど、悟くんはベッドに座っている私の隣に腰かけた。
 横を向くと、悟くんが私をまっすぐ見つめているのがわかった。悟くんの瞳のどんな色よりも綺麗な碧。いつもキラキラと輝くその煌めきの中に今、私だけが映っていた。
 
「僕がムカついた理由、名前はわかんないだろうね」
「ご、ごめんなさい」
「ほんと、名前は何にもわかってないよ。
 僕がオマエを嫌いになる訳ないだろ」

 その大きな手で悟くんは私の頬を撫でると、目を細めて笑った。こんな風に笑いかけられて、悟くんに心を奪われない人がいるんだろうかと思う。これ以上ないくらい好きだといつも思っているのに、悟くんにはその気が無くても、悟くんは簡単に私の中の好きを更新させてしまう。

「――そんな簡単に死んでもいいなんて言うなよ。
 わかってんの?
 死んだら僕に会えなくなるんだよ」
「……」
「あー、その顔。わかってないね。
 名前に会えなくなったらさ、僕はすごく寂しいだろうと思うよ。
 多分ちょっとおかしくなっちゃうくらいにね」
「え?」
「なのにオマエは僕に二度と会えなくなっても、全然平気そうだからさ。
 ムカつくなって思って」
「なんでそうなるの……?
 わ、私だって、悟くんに会えなくなったら悲しいよ」
「……名前が寝てる間、僕がどんな気持ちかだったか知らないから、死んでもいいなんて言えるんだよ」

 悟くんが私を見る目がいつになく優しいから、さっきから心臓がドキドキしっぱなしだった。けれどそんな私のことなんてお構いなしに、悟くんは更に私が予想だにしていなかったことをした。

「さ、悟くん? な、なにして」
「オマエが死ななくて良かった……」

 気付いたら私は悟くんの腕の中にいて、悟くんに強く抱き締められていた。伝わってくる好きな人の肌の感触や温もりに、心臓の鼓動がどんどん早くなっていくのがわかる。もちろん悟くんにはいつもドキドキさせられているけれど、こんなにドキドキしたことはないかもしれない。だって悟くんの方からこんなこと、一度もされたことがないもの。

「約束する。オマエをもうこんな目に合わせないって。
 だからオマエも約束して。
 もう二度と、こんな風に僕を心配させないって。ね?」
「うん……。約束する」
「ていうか、さっきから名前の心臓の音すごいね。
 超バクバクじゃん」
「そりゃそうだよ……!
 さ、悟くんが離れてくれれば直るよ」

 おかしそうに笑った悟くんに、反射で言ってしまった。離れて欲しいなんて微塵も思ってない。むしろこのまま時間が止まってくれればいいとさえ思っているのに、なんでこんなこと言っちゃったんだろう。

「オマエには悪いけど……、もうちょっとだけこのままでいさせて」

 でも悟くんがそう言ってくれたから、この幸せな時間は延長された。びっくりしすぎて私は悟くんの腕の中で固まっていたけれど、おそるおそる悟くんの背中に腕を回したら、悟くんもぎゅうってし返してくれたのが堪らなく嬉しかった。
 悟くんが私を抱きしめてくれることなんて、この先何回もあるかわからない。もしかしたら、もう一生無いかもしれない。
 だからこんな風に悟くんに抱きしめられた今日の日のこと、私は多分ずっと忘れない。
| back |
top
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -