014露呈
※五条と付き合っている女(名前が無いモブ女)視点から見た五条と名前の話。
※読まなくても今後の話についていけないということはありませんので、モブ女視点が苦手な方は閲覧をお控えください。
[2016年7月(五条26歳/名前19歳)]
「妹がさ、マンションの鍵忘れちゃったらしいんだよね。
ちょっと僕近くのコンビニまで行ってくるよ」
サングラスをつけない素顔のまま、悟はホテルの部屋を出て行った。
悟は昼でも夜でも関係なく、サングラスをかけている。前に理由を聞いたら、目が良すぎて見えすぎてしまい、疲れるからそうしていると言っていた。必要な時以外は基本的には省エネしているのだと。聞いた時には意味が分からなかったけど、稀有な美しさを持つ瞳には、私が想像出来ない何か特別な事情があるのかもしれない。
今は夜だ。太陽が隠れているから、普通であればサングラスは必要じゃない。けれど、そういう悟の普通じゃない事情を私は知っていたから、忘れたであろうサングラスを届けてあげようとした。
それに、顔を知らない悟の妹を私は一度見てみたかった。いくら頼んでも、悟は写真を見せてくれないから、こんな機会は二度と来ないんじゃないかと思ったのだ。
私が悟に惹かれている所の一つに、悟の妹への態度がある。同居しているという妹に対して、悟はかなり甘かった。本人に指摘すれば、そうでもないよなんて言われてしまうけれど、悟が妹のことを大切に想っていることは、きっと誰の目から見ても明らかだ。
悟が妹からの電話に出ているところを、私は何回か聞いたことがある。通話中の悟の声は、ちょっと信じられないくらいに柔らかかった。普通は恋人がシスコンなんて嫌だけど、悟に関しては例外。電話越しの妹に語り掛ける声を聞いていると、人を愛する気持ちがこの人にも無い訳ではないとわかるからだ。少なくとも、家族愛は持っていると。
どんな宝石よりも綺麗な碧眼が私を見つめる時、いつもその瞳の奥には冷たさがあった。私はいつだって悟が頭の中にいるけれど、悟はおそらくそうじゃないし、私のことを好きなのかどうかさえ怪しい。いつかはそれを私に向けて欲しいというのが、私の願いだ。まぁ、その願いが叶えられる可能性はかなり低めだということは否めないんだけど。
悟は謎の多い人だった。
かなり忙しくしているらしいけど、彼が何をしているのかは知らない。聞いても適当にはぐらかされてしまう。高校教師なんて以前言っていたけど、彼の軽薄さが透けて見える性格から、それは絶対嘘だと思っている。
そんな多忙な彼と会える時間は少ない。突然入った仕事を理由に、デートをドタキャンされるのにも最早慣れた。
だからどうしても、SNSで繋がっている友達の幸せそうな結婚報告を見る度に、自問自答してしまう。悟とこのまま付き合い続けていいのかと。
いつまでも答えの出ない問いかけをしながら、あまり長続きした事がない悟と、私は思いの外続いていた。聞くところによると、私は彼の交際期間の最長記録を更新したらしい。これは一重に、彼の邪魔にならないように、彼に合わせている私の努力の賜物だろう。彼は、私が恋愛に対してはドライなスタイルだと思っているだろうけど、それはその方が彼にとって都合がいいとわかっているからだ。付かず離れずの距離をキープしながら、私は悟と付き合っている。
自分を愛しているのかもわからない上、寂しさを埋めるどころか、あまつさえ、その原因となっている男と別れないなんて、どうかしている。悟は顔が良すぎる上、経済的にも豊かすぎるのがいけない。探しても、悟以上の容姿とスペックを持った男なんてそうそういないだろう。
近くといっても、コンビニに行くには少し歩かなければならなかった。
ガラス張りの店内を覗くと、背の高い悟の白い頭を私はすぐ見つけることが出来た。悟は、彼が偏愛しているスイーツコーナーの前にいる。
悟の隣にいたのは、可愛い子だった。
でも、悟とは似ても似つかない子だった。
悟みたいに髪色は白くない。瞳の色も碧じゃない。色白な方だとは思うけれど、悟みたいに雪のような白さではない。悟と同じ遺伝子が受け継がれていると思われる特徴は、その子には無かった。
あの悟の妹なんだから、それはもうとんでもない美少女を予想していた私は、ちょっと拍子抜けしてしまった。いや、この子だって十分可愛い。でも、悟の妹と言われるとどこか説得力に欠けるのだ。なんなら、幼い頃から周囲に美人だと褒められて育ってきた私の方が整っているかもと少し思ってしまったくらいだから。
コンビニに入ってきた私に、悟はすぐに気付いたから、悟が妹に向ける表情を見れたのは一瞬だった。
だけど一瞬目にしただけで、私はここに来たのを後悔した。わかっていたはずだったけど、改めて思い知ってしまったからだ。私が彼に愛されていないことが。
妹を見る悟の瞳には、いつも私が感じる冷たさなんて欠片も存在していなかった。むしろそこには、これ以上ないくらいに優しく温かい光が宿っていた。悟がこんな瞳をして誰かを見つめることがあるなんてと、私は逆に感動すら覚えた。
コンビニの無機質な明るい蛍光灯のもと、今は無防備に晒されている悟の美しい碧眼。その瞳が私を捉えた途端に、その光はすっと消え失せてしまった。悟は私を見て微かに眉をしかめたけど、それをすぐに戻した。そして口元に薄く笑みを浮かべる。言葉にこそされないだろうけど、なんで来たんだと煙たがっていることは確実だろう。
「どうしたの。なにかあった?」
「……なにかないと来ちゃいけないの」
いつもみたいな軽い口調で悟は言った。なのになんで、こんな言い方をしてしまったんだろうとすぐに悔やんだ。我ながら可愛くない。
多分、悟の反応が私は思いの外ショックだったのだ。彼に気にかけて欲しいが故に、拗ねていることをわざと隠さず、表に出してしまった。
「悟くん、誰?」
「──僕が今お付き合いしてる人だよ」
「そ、そうなんだ。
悟くんの、彼女さん……。
すごく、綺麗な人だね」
悟が私のことを紹介すると、妹さんは私のことを見た。見られているこっちが恥ずかしくなってしまうぐらいにじぃっと。それから、わかりやすく顔を曇らせた。
悟も相当シスコンだと思うけれど、彼女もかなりブラコン度合いが重傷らしい。彼女の態度を見ても、私は最初その程度ぐらいにしか認識しなかった。
「初めまして。
悟くんがいつもお世話になってます」
「い、いえいえ。こちらこそ」
だから、私に向かってお辞儀をした彼女が顔をあげた時、面食らってしまった。彼女の大きな瞳にはうっすら涙が滲んでいる。理由はわからないが、彼女は今にも泣き出しそうだった。
「鍵もらったし、私帰るよ」
「えー、お土産持ってかないの?」
「大丈夫。おやすみなさい」
一応は私のことを気にかけているのか、悟は去った彼女を追い掛けなかった。でも、悟が本心では、私を置いて彼女のもとに行きたいと思っているだろうことはバレバレだった。
今傍にいるのは私なのに、私が目の前にいるのに、悟は私のことなんて全然目に入っていない。彼女が行ってしまった方向を名残惜しそうに見つめていた悟に、段々と胸の中がどす黒い感情に支配されていくのを感じた。
そりゃ、泣いちゃいそうな妹を心配する気持ちは分かるけどさ。妹だよ。そこまでする?
悟が妹に優しいところに惹かれていたはずなのに、どうしてこんなに惨めな気持ちになるのか。きっと私は一目見た時から、ある事実に無意識下では気付いていたのだ。
だって、二人は余りにも似ていない。
「妹さん、とっても可愛いね」
「僕もそう思う。
でも、君の方が美人じゃない?」
「……似てないね、悟と」
「だろうね。
まぁ僕とは血繋がってないし」
「え……?
ど、どういうこと?
戸籍上の妹ってこと……?」
「んーん。
戸籍上でも全くの他人だよ」
「なんで、悟はずっと、妹って言ってたよね?」
「だって説明するの面倒臭いんだもん。
色々あってさ、僕が面倒見ることになってんだよね」
ホテルに戻る帰り道に悟が放った一言は、今までの前提の何もかもを壊した。
私はそれでも、事実が判明するさっきまで安心していた。
電話の向こうにいる彼女に語りかける時の声や、彼女を見る瞳からも、悟が彼女を愛しくて堪らないと思っていることはわかった。でもそれは、一人の女に向ける種類の愛ではないと思っていた。さすがに、血が繋がっている妹を愛している訳が無いだろうと。
そういえば、付き合いはじめの頃、私は悟のことを“悟くん”と一度だけ呼んだことがあった。それを悟はやんわりと否したのを、私は思い出していた。「あー、その悟くんってのはちょっと。普通に呼び捨てでいいよ」と。当時は、よっぽど好きだっか、嫌な思い出のある昔の恋人の呼称がそうだったんだと考えた。正体不明の元カノには、随分ヤキモチを妬いたものだった。
でも、それは間違いだったのかもしれない。
彼女は悟のことを"悟くん"と呼んでいた。
──もしかして、悟くんと呼ばせないのは、彼女がそう呼んでいるから?
今だってそうだ。
悟はサングラスを忘れたんじゃない。わざとかけなかったんだ。彼女に会えるから。彼女を見るには、目が疲れることも厭わないんだ。私の前では、する時しか外さないのに。
「はい、サングラス。
忘れてると思って」
「ああ、僕の目のこと気にして持ってきてくれたんだね。
やっさしー。ありがと」
サングラスを手渡すと、悟はニコリと笑って受け取った。そしてやっぱりなんの躊躇もなく、それを掛けた。
ここまで勘付いていながら、それでもしばらく、私は悟と別れる決心がつかなかった。
理由は2つある。
ひとつめは、悟は自分の本心に全く無自覚だったからだ。
彼が本当の気持ちに気付いたらどうしようかと内心恐怖に震えながら、努めて明るく、何でもない風を装って、私は悟に質問した。
"あんなに可愛い子と一緒に住んでて、変な気持ちになったりしないの?"
"なる訳ないじゃん。名前はそういうんじゃないよ。本当の妹じゃないけど、それと似たようなもんだし。"
彼を深く知る人物なら誰だって、彼が自分自身は気付いていない本当の気持ちに勘づくのではないかと思う。それなのに、私の問いに平然と答えた悟の言葉には、迷いは無かった。
ふたつめは、私の予想が、その実ただの勘違いであればいいと願っていたからだ。私が悟を好きすぎるが故に考え過ぎていただけ。血縁関係がなくても、彼女のことは実の妹のように可愛がってるだけ。
バカみたいだけれど、限り無く0に近い確率だと知っていながら、それでも願わずにはいられなかった。
ようやく私が決心したのは、彼女に会ってから二ヶ月後のことだった。
一夜を共にした朝、私を抱きしめながら、悟が寝言で呟いた一言を聞いたら、そうするしかなかった。
妹だと思ってたら、あんなに切なそうに寝言で名前を呼んだりしないよ。悟のバカやろう。こうなったらもう、一生気付かなければいいんだ。