花は手折らぬ | ナノ

011献身


※伊地知視点


[2014年11月(五条24歳/名前17歳)]



 ピックアップした五条さんを送り届ける時、送り先の選択肢は四つある。呪術高専か五条さんの自宅のマンション、もしくはホテルか付き合っている女性のお宅。
 同時期に複数のアパートに送ったこともあるくらいですかは、五条さんは相当モテます。でも、いや、だからこそ、五条さんが誠実な恋愛をしているとはとても思えません。七海さん曰く性格がクソでもそれと反比例するかのように顔が良い五条さんには、至る所に出会いの機会が転がっている。今までの五条さんといえば、いつの間に恋人と別れたと思ったら、またいつの間に新しい恋人が出来ているというのが常でした。五条さんに出会った女性はものの見事に皆、あの人の見た目に騙されてしまうのでしょう。突出した容姿の端麗さの前では、五条さんの性格の悪さもあまり問題にはならないようです。ご自身の性格が悪いことを五条さんは自覚されている。だから女性の前では巧妙にそれを隠しているのか、はたまたそんなところも女性には堪らないのか。真偽のほどは私にはわかりかねますが、世の中やっぱり顔がものを言うんでしょうか。 
 そういえば、何回か五条さんの交際している女性を見かけたことがありましたが……、どの方もちょっとびっくりするくらい綺麗な方だったなぁ。

 不本意ながら、私が五条さんの専属の補助監督のような位置づけになってから数年。長年五条さんといると、ある程度行動パターンが読めてくる。
 金曜日の夜。普通であれば恋人のところに行くのが定石です。ところが五条さんは金曜は自宅に直帰することが多い。

「お疲れ様です、五条さん。
 今日は自宅でよろしいでしょうか」
「あー、今日はうちじゃなくてホテルまで」
「珍しいですね」
「? なにが?」
「明日が土日の場合、五条さんはうちに帰られることが多いので。 
 休日は名前ちゃんと出掛けることが多いんですよね?」

 名前ちゃんというのは、五条さんが高専の一年生の時に任務で助けたという少女だった。
 私が入学した時には既に、その存在は高専内では当たり前のように受け入れられていた。当時の先輩方みんなから名前ちゃんは可愛がられていましたが、名前ちゃんは一番五条さんに懐いていました。五条さんも、名前ちゃんには一応気を許していたようです。気のせいかもしれませんが、名前ちゃんを見る目が優しいんですよね。私は名前ちゃんが高専に来た当初の頃を知らない。だから、五条さんが最初は名前ちゃんに挨拶すら返さなかったと聞いたときは驚いたのを覚えています。

 けれど五条さんが高専を卒業した時に、名前ちゃんを引き取るとはさすがに誰も予想していませんでした。
 私を含む高専の生徒は、愛らしく、絵に描いたように純真な名前ちゃんに密かに癒されていました。名前ちゃんが高専内の寮からいなくなるという事実が明るみになった時は、みんな一様に寂しがったものです。それと同時に、五条さんも遂に名前ちゃんに落ちたかなんて邪推する生徒もいました。ですが名前ちゃんは中学生になろうとしていたばかりでしたし、五条さんには他に交際している方がいましたから、噂は私達以外に広まることはありませんでした。噂が五条さんの耳に入ったらどうなるかわからないので、これは幸いだったと言えます。

「名前が暇なら帰ろうと思うよ。
 一応保護者代わりみたいなもんなんだし、あんまり淋しい思いさせてもさ」
「五条さんって、意外とそういうところはちゃんとされてますよね」
「“意外と”は余計だよ。
 でも最近、アイツ毎週いないんだよね。
 GPS見ると同じマンションに通ってるっぽいから、友達と遊んでるんじゃない」
「GPS……ですか」
「まぁ一応ね。
 持たせてる呪具で、一定の呪力持ってる奴は名前に触ることができないようにもしてるけど」

 バックミラーに映っている五条さんは、手元のスマートフォンから目を離さずに平然と言っていた。
 だがその五条さんらしからぬ言動に、思わず私はおうむ返しをしてしまった。存在自体が呪詛師や呪霊の抑止力となっているくらいだ。現代最強の呪術師である五条さんの前では、人質は殆ど意味を為さない。五条さんにとって大切な存在を人質に取ったところで、買わなくてもいい五条さんの怒りを買って、殺されるか祓われるのがおちだからだ。そもそも、多くの呪詛師や呪霊は五条さんとの遭遇そのものを避けている。皆、命が惜しいはず。五条さんに喧嘩を売るような自殺行為をするはずがない。それは五条さんもわかっているはずだ。

「……五条さんは、付き合っている方の居場所も常にわかるようにしてるんですか」
「面白いこと言うんだねぇ、伊地知。
 僕がそんなことするキャラに見える? ストーカーじゃないんだからさ」
「そうですよね。
 すみません、私変なこと聞きましたね」

 可笑しそうに笑った五条さんは気付いているのだろうか。そのストーカーのようなことを名前ちゃんに対してはしていることに。
 あぁ、なるほど。名前ちゃんのことになると、五条さんは過保護気味になると家入さんが言っていたのが少しわかったような気がします。
 いくら最強の五条さんといえど、大切な人の身を案じるのは当然だ。ですから、五条さんが名前ちゃんの身を案じてGPSで居場所を把握していたとしても、それ自体は咎められることではありません。ありませんが……、これでは五条さんと付き合う方が余りにも可哀想すぎる。名前ちゃんを妹のように大切に思う気持ちが少しでも五条さんの恋人に向けば……、と思うのは私が美人に弱いからでしょうか。
 この時私がぼんやり頭に浮かべていたのは、いつか見かけた五条さんの美しい恋人でした。そんな状態でしたから、口にした話題については、本当に特に何も考えていなかったのです。

「でも毎週だなんて、友達じゃなくて付き合っている男の子なんじゃないですか?
 私は久しく見ていませんが、名前ちゃんも高校生でしたよね?
 きっと可愛くなっているでしょうから」

 途端に、車内の空気がしんと静まり返った。
 え、私なにか変なこと言いましたかね? 至極普通のことしか言っていないと思うんですが。なにこの沈黙怖い。五条さんはこちらが困るくらいうるさい時だってあるのに。なんですかこれ。
 一体どうしたものでしょうか……。しかし不意に訪れた静寂は長くは続かなかった。私がこの何とも言えない空気に窮して数秒、車内には再び五条さんの声が明るい声が響いた。

「なるほど!
 パターンBの方ね。
 いやー、それは思いつかなかったな」

 先程までは確かに凍っていた空気は、まるで幻が何かだったように消え去ってしまった。もしかしたら私が感じた気まずさは、気のせいだったのかもしれません。
 そう私がほっと息をついた時でした。

「行き先変更。
 伊地知、やっぱ僕んちまでね」
「ええっ」
「なに、ダメなの?」
「いえ。別に問題はありませんが……」
「ところでさぁ。
 明日僕が一日オフってことは、伊地知も一日休みってことだよね?」
「え……っと」
「明日。暇だよね? もちろん」

 鏡の中の五条さんはやはりいつもの軽薄な笑みを浮かべている。しかし同時に有無を言わさぬ凄みもありました。
 理由はわかりません。だけど断れば後が恐ろしい。
 結局私は、今しがた五条さんを降ろしたマンションに、明日の指定時刻に迎えにあがる約束をしていました。これはパワハラと言えるんじゃないでしょうか。





「五条さん」
「なに? 伊地知」
「私達は一体何をしているんでしょうか」
「伊地知だって興味あるでしょ。
 名前がどんな男を彼氏にしたのか」
「変な子でない限り、名前ちゃんがその子を好きならいいと私は思いますが……」
「名前ってさぁ、十年近くずーっとこのGLGの僕を見て育ってきてるわけじゃん。
 絶対、男を見る目のハードル上がりまくってると思うんだよね。
 そのハードルを軽々超えた奴だよ。これは見るしかないでしょ」

 いつも以上に五条さんは言葉のキャッチボールが出来ていない。
 休日に呼び出され、何に付き合わされるんだろうと恐ろしく思っていた私は、昨晩から胃が痛かった。
 ですから五条さんの要求には、正直言うと拍子抜けしました。
 五条さんが私にして欲しいことというのは、あるマンションの付近に車を停めること。そして、そこから出てくるであろう名前ちゃんに、ここのところ毎週外出している理由を尋ねること。この二点でした。
 家入さんから聞き及んでいて、私は分かっているはずでした。五条さんの名前ちゃんへの過保護っぷりを。しかしその度合いを甘く見積もっていたのかもしれません。まさか私が何気なく口にしたことを五条さんが気にして、すぐに行動に移すとは。

「というか、彼氏がいるかどうかくらい、なぜ名前ちゃん本人に直接確認しないんですか?」
「だめだめ。
 僕が聞いたら変な感じになっちゃうから」
「変と言いますと?」
「伊地知ってなんもわかってないんだね。
 あー、オマエは二年下だしね。あんまその辺知らないのか」

 私が口にしたのは誰もが真っ先に思うであろう全うな疑問なはずだ。やれやれと呆れたように首を振られるのは、少々納得がいきません。が、触らぬ神に祟りなし。私には沈黙意外の選択肢はない。

「あっ……、あれ名前ちゃんじゃないですか」
「…………マジか」

 五条さんと私が、マンションから出てきた名前ちゃんに気付いたのはほぼ同時だった。隣を歩くひょろりとした痩せ型の同年代の少年と、名前ちゃんはなにやら楽しそうに談笑している。もしかしたら、あの子が名前ちゃんの好きな男の子なのかもしれない。可愛らしい二人の若者の青い春に、私の荒んだ心は洗われる気がした。

「隣にいる男の子、中性的で、なかなか爽やかな子ですね。
 性格も優しそうですし。
 ええっと……、私は行けばいいんですよね?」
「あぁ、うん。よろしく」

 後部座席から、五条さんは名前ちゃんたちを食い入るように見つめていた。その姿は気のせいか寂しそうでした。しかしながら、五条さんのいつもとは少し違った様相に気を止める時間は私には無い。放っておけば名前ちゃんはどんどん歩いて行ってしまう。
 五条さんから頼まれたことを実行しようと、私は車から出る。一応五条さんにも声を掛けましたが、五条さんに珍しく、返って来たのは生返事でした。

「名前ちゃん」
「……潔高くん!
 どうしたの? こんなところで」
「少し久しぶりですね。
 すみません。たまたま通りかかったところに、名前ちゃんの姿が見えたものですからつい。
 お邪魔でしたかね。そちらは……」

 突然現れた私に、名前ちゃんは最初は驚いていたがすぐに笑顔になった。たまたま通りかかったなんてお決まりの文句にも、名前ちゃんは怪訝そうな顔一つしない。

「友達なの。
 最近仲良くなったんだ。ね?」

 迷いのないハッキリとした回答だった。
 おそらく、名前ちゃんはその子のことを友達以上の存在には思っていないのだろう。しかし少年の方は違うようだった。名前ちゃんは気付いていないが、少年は隣でがっくりと肩を落している。名前ちゃんに柔らかく笑いかけられ、微かに頬を染めたことからも、少年が名前ちゃんのことをただの友達だと思っていないのは明らかだった。少年、お気の毒に。
 私と話をするためか、名前ちゃんが少年に別れを告げると、少年はマンションに戻って行った。

「小林くんはここのマンションに住んでて、いつも駅まで送ってくれるんだ」
「さっきも聞きましたが、本当に友達なんですか?」
「そうだよ。なんで?」
「随分と仲が良さそうでしたから。
 近頃は、男女関係なく二人で遊ぶものなんですね」
「えぇ?
 遊んでないよ」
「ではどうして、マンションから二人で出てきたんですか?」
「潔高くんって、基本的に悟くんと一緒に任務行くんだよね……?
 悟くんには内緒にしてくれる?」
「ええ。それはもちろん」

 名前ちゃんのような素直ないい子に嘘を吐くのは心が痛む。
 ごめんなさい。秘密を漏らしたくない張本人である五条さんからの依頼で、私はここにいます。しかもポケットには、任務の時に使用する盗聴器まで入っているんです。私達の会話は全部五条さんに筒抜けなんです。
 
「来月、悟くんの誕生日でしょ?
 まだ悟くんが食べたこと無さそうな、美味しい甘い物をプレゼントであげようと思ってるんだけど、自分でも何かしたくて。
 それで少しでも、ケーキ作るの上手くなりたいと思って……、毎週ケーキ教室に通ってるの」
「ケーキ教室……ですか」
「本当はバイトとかして貯めたお金で、何か買いたかったんだけど……。
 学校で禁止されてるバイトをやるのはダメって、悟くんが。
 だから、その……。
 悟くんがくれる多すぎるお小遣いを、少しでも悟くんのために役立てたいなって思って。
 小林くんは同じクラスの子で、ケーキ教室を紹介してくれたの。
 教室にも一緒に通ってるんだよ」
「そうだったんですか」
「……こんなことしても、あんまり意味ないって思う?」
「え?」
「悟くんにもらってばっかりで、結局私は悟くんに何もしてあげられてないから」
「何を言うんですか。
 普通の高校生なら、それが当たり前です。
 それに名前ちゃんが傍にいるだけで、五条さんも心が休まっていると思いますよ。
 ああいう性格の人です。
 表に出すことはありませんが……、それなりに気苦労も多いでしょうから。
 文字通り、呪術界の命運を背負っている人ですからね」
「そうなのかな……。
 だったら嬉しいけど。
 ありがとう。潔高くんは優しいね」

 はにかみながら話した名前ちゃんを見て、再び小林君を憐れまずにはいられませんでした。名前ちゃんは、相も変わらず五条さんしか見えていない。案外、五条さんの言う通りなのかもしれません。名前ちゃんが五条さんではなく、同年代の男の子に目を向けるのは、どうやらまだまだ先になりそうです。

「伊地知おっかえり〜!
 結果が期待外れで残念だったね。
 まぁ名前に彼氏なんて出来るはずないんだけどさ」
「…………」

 車内に戻ると、私は五条さんにやけにハイテンションに迎えられた。

「僕は最初からおかしいと思ってたんだよ。
 そういえばなんか言ってたな。バイトしたいとかなんとか。
 えー、なんで気付かなかったんだろ?
 あーあ。伊地知が妙なこと言うから、せっかくの名前のサプライズが台無しじゃん。
 名前ってば超可哀想。どうしてくれんの伊地知」

 彼氏が出来るはずないと思っているなら、私が呼び出された意味はなんだったんでしょうか。それに、名前ちゃんの計画を知ってしまう結果となったのは不可抗力です。私にどうしろと。
 などと私が言えるはずもなく、やはり私は沈黙を貫いた。
 名前ちゃんの週一のマンション通いは結局、五条さんのためだった。口では残念とか何とか言いながらも、この事を知った五条さんは大変満足そうでした。以前、五条さんは学長を指して過保護すぎると零していましたが、ご自身も人のことは言えないのでは? 
 しかし、五条さんがこうなるのも致し方ないことなのかもしれません。もし仮に私が名前ちゃんのような子に慕われたら、五条さんのようにならないと断言はできませんから。

 五条さんは自宅に送り届けるまで、高いテンションを保ったままでした。
 何故かその後の任務で暫く、五条さんはわがままを言わなかった。なんなら、私の手が届かない豪勢な食事を奢ってくれたりしました。
 何の理由もなしに五条さんが優しい訳がないので、不可解な厚意を私は恐ろしいとさえ感じました。
 それが五条さんなりのお礼だったということに私が気付くのは、もう少し後の話です。
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