花は手折らぬ | ナノ

010戒飭


[2014年10月(五条24歳/名前17歳)]



 目が覚めて気が付いたとき、窓から見える空はすっかり夕焼けに染まっていた。どうやら三時間以上は眠っていたらしい。思ったより寝ていたな。ここんとこ任務がまぁまぁ忙しかったから、僕も案外疲れが溜まっていたのかもしれない。目覚めたばかりでいつもよりか多少鈍った頭でそんなことを思っていると、玄関のドアが開く音がした。
 あぁ、名前が学校からちょうど帰ってきたのか。
 気付くと同時に、僕はさっき外したアイマスクをもう一回着けた。それから一度起こした身体を再びソファに横たわらせる。

「あれ? 悟くん、帰ってきてたんだ。
 寝てる……?」

 寝ているふりをしようと決めたのは、ちょっとした出来心からだった。名前が寝ている僕にどういう行動をとるのか、なんとなく見てみたくなったんだよね。
 名前は僕の思惑通り、僕が起きていることには気付いていないらしい。寝ている僕を起こさないようにしているのか、足音を出来るだけたてないようにして名前は僕に近づいた。肩に掛けていた鞄を脇に静かに置くと、名前はフローリングにぺたんと座る。何をするかと思えば、名前は眠っている僕の顔を見始めた。

 ……いや、見すぎじゃない?
 名前が何をするでもなく僕の顔を見つめてから、一体何分経ったんだろう。体感的にかれこれ二十分以上は見られている気がする。いくら僕の顔がいいとはいえ、これはいささか度が過ぎているんじゃないかな。大体、僕の顔なんて見慣れてるじゃん。今はアイマスクもつけてるのに、そんなに穴があくほど見つめてよく飽きないな。いっそ感心するくらいだよ。
 起きるタイミングを完全に見失った僕はどうしようかと考えあぐねていた。でもこのままだといつまでたっても名前は動きそうにない。結構地味な反応だったけど、見たかったものは見れた。仕方ないからそろそろ起きようとしたその時だった。

「どうしよう……。
 悟くん……、寝てるんだよね?
 実は起きてたりとかしないよね?」

 ここにきてなぜか、今一度名前は僕が寝ているかを確かめた。僕の顔の前で軽く手を振って、反応がないか見てみたりなんかもしている。
 名前の行動の意味は僕にはわからなかった。でも、なにやら真剣に悩んでいる様子の名前を見て、なんか面白そうだなと思った。ここで起きちゃ勿体ないでしょ。寝てるフリを僕はそのまま続行することにした。

「ごめんなさいっ。
 でもこの1回だけなら、神様も許してくれるよね?」
 
 何に対してなのか知らないけど、名前は小声で謝罪をし始めた。
 いよいよマジで意味が分からない。
 名前ってこんな不思議ちゃんだったっけなんて思ってたら、名前はゆっくり僕に顔を近づけ始めた。その瞬間に、僕はさっきの名前の謎の謝罪の理由と、これから名前がするだろうことを理解した。僕なら多分、余裕で避けれた。そもそも僕の術式を使えば、わざわざ避けたりしなくたって、名前がすることを防ぐのは出来たはずだった。でも、そのどちらも僕はしなかった。
 一瞬だけ触れたかと思ったらすぐに離されたそれは、随分控えめだった。だけど確かに、名前の唇は僕のに重なった。

「しちゃった…………」

 自分でしておいて、名前は僕にキスしたのが今更恥ずかしくなっちゃったらしい。アイマスクをつけていてもわかる。多分、耳まで真っ赤になってるんだろうな。さっきまで僕を凝視していたくせに、羞恥心から僕を見ていられないのか、名前は今度は僕に背を向けて座り込んでいた。

「奪われちゃったー」
「……えっ?! さ、さ、悟くん?!
 嘘……! なんで……?」
「なんでって。起きてたからだよ」
「い、いつから……?」
「オマエが『ごめんなさい』とか何とか言ってる声で目が覚めちゃったんだよね。
 全く。人の寝込みを襲っちゃダメでしょ?」

 振り返って起き上がった僕を見た名前の慌て様っていったらすごかった。赤く染まっていた顔から一瞬で血の気が引いちゃうくらいだから、相当驚いたんだろうね。
 どうするか少し迷ったけど、僕は名前に一連の行動が全てバレていることを伝えることにした。僕としては見て見ぬフリしてもよかったんだけど、先生に手出すなとか言われてる手前さすがにね。

「起きてたんなら、なんで避けてくれなかったの……?」
「えー、それオマエが言っちゃう?
 まさかチューされるとは思ってなくてさ。
 びっくりしたよ。てっきり僕は、アイマスクとられんのかと思ってたからさ」
「ご、ごめんなさい……っ。
 その、悟くんを見てたら、どうしても気持ちが抑えきれなくて。
 良くないことだって頭ではわかってたんだけど」
「ん、いーよ。
 別に僕はなんともないからさ。
 飼い犬に舐められたとでも思っとく。
 でも、これからはやめといた方がいいかな」
「……うん。そうだよね。
 本当に、どうかしてた」

 おそらく初めてしたんだろうし、名前にとっては一大イベントだったかもしれない。でも僕にとっては言葉通りなんでもないことだった。だから隣に座る名前に僕はそう言った。
 僕が名前のさっきの行動を全然気にしていないのを知って、名前は複雑そうだった。いつも通りの僕の態度に安心もしていたんだろうけど、その表情を見ると、やっぱりどこか傷ついていたように思う。

「名前も高校生でしょ?
 良いお年頃の可愛い娘がさぁ、いつまでも僕にべったりじゃダメだと思うわけ。
 前から気になってたんだけど、彼氏とか作らないの?」
「勝手にキスしたのは……、私が悪かったよ。
 どうしてあんなことしちゃったんだろって、今は反省してる。
 でも、なんでそんなこと言うの?
 彼氏なんていらないよ……!」
「またまたー、そんなこと言って。
 今はそうでもその内欲しくなるんだから。
 オマエだって好きな男の一人や二人いるでしょ?」
「……悟くん、わかってて言ってるの?
 私が好きなのはずっと前から一人だけだよ。
 そりゃぁ、悟くんが彼氏になってくれるなら欲しいけど……」

 キスなんてされてんだし、名前が僕のことを未だに好きなんだっていうのはわかってた。でも万が一ってこともある。一応の確認のためにそれとなく僕がした質問に、名前は悲痛な面持ちをした。
 まぁそうなんじゃないかとは、実はちょっと前から思っていた。
 でも以前のように好きと直接言われたわけじゃないし、もしかしたら僕を慕う気持ちの種類が数年の間に変わったかもしれない。そうやって適当な理由をつけて、僕は名前が向ける気持ちを直視しないようにしていた。
 
「いやー、それは無理だよ。
 だって僕彼女いるもん」
「そんなこと知ってるよ!
 ……いいの。
 悟くんがたとえ振り向いてくれなくても、一生悟くんだけ好きでいるから」
「一生ってオマエね。
 そんなのありえないでしょ」
「私には悟くんしかいないよ。
 こんなに好きなのに、他の人のことなんて好きになれるわけない。
 悟くんと悟くんの彼女には迷惑かけないから。
 好きでいるぐらいは許してくれる……?」

 真っ直ぐに僕を見つめる名前は、ずっと変わらずに僕を好きでいたんだろう。
 でも名前には悪いけど、僕は名前と付き合うなんてあり得ないと思ってきたし、今もそれは変わらない。
 普通の男だったら、名前みたいな子にこんな感じで好き好き言われたら堪らないと思う。大抵の奴は思わずグラッと来ちゃうだろうな。
 改めて思うと不思議だ。なんでだろう。どうしても僕は、名前をそういう対象として見る気になれなかった。

「……オマエが僕を好きなのはさ、勘違いだよ」
「え?」
「オマエが僕を好きって思ってるのは勘違いって言ったの。
 ただそう思い込んでるだけなんだって」
「なに? 勘違いって。
 そんなことある訳ないよ……!」
「名前はわかんないかもしんないけど――」

 時々考えることがあった。
 あの任務で呪霊に止めを刺して、檻から名前を出してやったのが僕じゃなくて傑だったら、一体今頃どうなってたんだろうって。
 名前が僕を好きな理由として一番大きいのは、言うまでもなく僕が名前を助けたことだ。十中八九、名前の僕への恋心の根幹はそこにある。もし助けたのが僕じゃなかったら、きっと名前が僕を好きになることはなかった。
 いつか暗示が解ける時が来るのを待たずに、今はっきり言ってしまえばいい。多分僕はそうするべきだ。そうすれば、名前だって目が覚めるはずなんだから。名前の気持ちに僕はどうしたって応えられないんだから、名前のためにもそうするのが一番いいことぐらいわかってる。わかってるのに、決定的な一言を結局僕は言えなかった。

「悟くんのバカ……!
 勘違いなんかじゃないもん」
「いずれ名前にもわかるときが来るよ」
「そんなの絶対わかんない」
「わかるよ」
「大きくなったら考えてあげるって……、悟くん約束してくれたよね?」
「なに言ってんの。
 名前はまだ全然子供だよ」
「だったら私、大人になったら、もう1回告白する。
 それでもダメだったら……、もう好きって言って困らせたりしないから」
「……オマエがそうしたいなら、好きにすればいいよ」

 何度想いを伝えられても僕の答えが変わることはないと、僕は名前に言ってやれなかった。名前が求めるものを僕はあげられない。だから僕に無駄な時間を費やすより、別の誰かを好きになる方が名前は幸せになれるのに、僕は名前を突き放してもやれない。
 こんな身勝手な欲求を自分が抱いていることに気付きたくなかった。どうかしてる。名前の気持ちには応えられないくせして、名前に離れていって欲しくないと思っているなんて。
| back |
top
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -