夢の終わり | ナノ





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夢の終わり 8

 千年祭。
 思った以上の人で賑わう珠羽神社の境内だ。

 颯矢が、朝から休む暇もなくお守りを売ってくれていたさくらにやっと休憩を与えられたのは夕方近くになってからだった。
 人に酔ってしまったというさくらが、ひとりで桜林の方に歩いて行ったのは知っているが、それからしばらく経つ。見れば、桜の花は昨日の風でずいぶんと飛ばされ、今もはらりはらりと花びらが舞っていた。今日は風は止んでさっきまでは晴れていた。だが、夕方になった今、薄黒い雲が遠くの方に見えだした。夕立が来るのかもしれない。
 いくら頼りないさくらでも、来慣れている桜林で迷子になるようなことはないと思うが、何故か胸が騒ぐ。千年祭だからなのか、昨日の夢のせいなのか、何故と言う問いに答えは見いだせないが、逸る気持ちを抑えることが出来なくなった颯矢はさくらを探して桜林へと向かった。

 さくらはすぐに見つけられたが、そこにもうひとり、今の颯矢にとってみればあまり歓迎したくない者――蒼空がいた。ふたりは舞い散る桜の花びらの中で他愛のない会話をしているようだった。

「さくら、ぼんやりしてないか?」
「人に酔っちゃったんだと思う」
「人酔いか。うちの村、年始と祭りの日限定で人口が十倍になるからな。しかも、今年は千年祭と重なってるからさらに倍の人出だ」
「うちの神様って若い人にすごい人気なのね…。こんなにも好きな人とキスしたいと願う人たちがいるなんてちょっと驚き…。お守りを買ったところで叶うものだとも思えないけど…」
「おいおい。巫女さんがそんなこと言っちゃ、みもふたもないだろう」
「あ、そうね。颯矢に怒られちゃう…。今の、聞かなかったことにしてね!」

 ばっちり聞いてしまったよ、と颯矢は密かに笑い、ふたりの元に足を進めようとした。だが、その後ふたりの会話の内容が、珠羽と松風の伝説についてに及んでいったため、何となく出ていくタイミングを外してそのまま留まる。

「――そこで人々は社を建て、姫の形見と共に皇子たちの御霊を祀った。すると禍は嘘のように止み、松風と珠羽はひとつの村になって豊かな土地になっていったトサ。めでたしめでたし」
「ちっともめでたくなんかないでしょ。とても悲しい伝説よ」

 ややふざけた口調で伝説を語る蒼空にさくらは真面目に抗議している。だが、今の颯矢は複雑な思いで蒼空の語る伝説を聞いていた。
 松風のふたりの皇子と珠羽の姫。ふたりからの愛を受けた姫はどちらかひとりを選べずに自害してしまったという逸話。
 つい、昨日までは自分も伝説の通りだと思っていたし、今でも半分はそう思っている。だが、もう半分では…。
 あれはただの夢だ。そうでなければ色々な意味でマズイ。
 それでも颯矢は、千年前の真実は今蒼空がさくらに語ったものとは全く違うということを肌に感じてしまう。そして、本当の意味で手に入れることが出来なかった人への想いがこみ上げてくるのだ。

「さくらに願う。俺、おまえにキスしたい。お前の唇に俺の唇で触れたい…」

 やけに真剣な蒼空の声と言葉に、颯矢はハッと我に還った。
 さくらに関わること、そこに蒼空が絡んだ時に蠢く黒い感情が一気に湧きあがった。それはまるで流れる血が沸騰しているような熱い怒りだ。
 固く拳を握りしめ、今、ふたりの前に飛び出して行こうとしたが、

「なーんてな!冗談だよ冗談」
「な…?!」
「本気にしたか?ちょっとは本気にしたか?」
「し…、信じられない!蒼空のバカ!!」
「いて!マジでぶつことないだろ!」
「蒼空が悪いんでしょ、変態!」
「変態って…ヒド、俺立ち直れねぇ…」

 ふたりは颯矢の危惧したことをコントのような展開に発展させていた。人の気も知らずに呑気なものだと思えば少し腹が立つ。
 もしも、蒼空が本当にさくらに触れていたらどうなっていただろう。漆黒の腹を隠すこともできずに蒼空に殴りかかっていたか、それともさくらを――。

「さくらにひとつ教えてやる。キスってのは、ある意味一番神聖なんだ。本気で惚れた相手としかできないんだぞ」
「……そうなの?」
「そうなの!」
「えっちはできるのに?」
「お、おい!」
「えっちのやり方とか友達がよく話してる」
「やめろ!お前はまだそーゆーことに興味持たなくていいんだぞ?!間違ってもえっちのやり方とか誰かに教わったりするなよ!知りたくなった時は俺が教えてやるから!」
「蒼空が…、教えてくれるんだ…」

 いや。ここでふたりを見ているだけでもうわかる。会話の内容は不穏で不快極まりないが、ふたりの間には喋っている言葉には表れていない“想い”が目に見えるぐらいに漂っている。蒼空がさくらを何よりも大切に想っていることはとっくの昔から知っていたが、さくらも自覚していないところで蒼空を想っているのだろう。おそらく、それは今に始まったことではなく、もうずっと前から――幼い頃から。さくらも選んでいるのだ。ふたりの幼馴染のうち、その一方を。蒼空を。

 ――奪ってしまえ。どんな手を使ってでも己の想いに真っ直ぐに、忠実に従って手に入れてしまえ。

 遠いところで囁く自分の声が聴こえ、颯矢は激しく首を振った。これでは千年前の夢と同じだ。愛しい人のささやかな温もりだけで耐えようとしていた領主に、それほどまでに欲しいなら奪ってしまえと囁いた、

 ――悪魔の声…。

 だが、これは間違いなく己が抱く感情だ。
 昔から思っていた。さくらは誰にも、いや、蒼空には渡さない、と。三人で仲良く遊んでいても、もしも蒼空がさくらに手を出したなら必ず奪ってやると、蒼空がさくらをからかい、さくらがむくれ、それをなだめる笑顔の下でいつもそんなことを考えていたのだ。
 悪魔は自分だったのか。
 もしも、あの夢の出来事が本当に千年前に起こったことだったとしたら、前世であった疾風の記憶が…、
「いや…」
 そこまで考えて颯矢はゆっくりと首を振る。
 千年前の出来事を“思い出した”のではなく、今のここにいる“颯矢”が千年前の自分に跳んで起こしてしまった出来事だったとしたら、これまでの不可解が不可解ではなくなるのではないか。
「だとすれば、俺は…」
 両手を見れば一瞬だけ薄く霞んで見えた。だが、それは颯矢の見間違いだったようだ。
 それでも今、ひとつの可能性に辿りついてしまった颯矢は愕然となり、今、この怖れに安堵をくれる人の温もりを求め、その人――さくらの元へと歩き出すのだった。






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