03
「君はヒーローになれる」

 それは静かで落ち着いていながらも、奮い立たせるような、熱の篭った声だった。
 切望した言葉を憧れの人から告げられ、少年は泣き崩れた。

    ◆

 商店街でのヘドロ騒ぎが収束した後、マコトは姿を暗部に変えて緑谷出久の後を追っていた。

 ――絶対何かあると思って着けてきたけど、正解だったな……。

 塀の向こうでなされているオールマイトと出久の会話に聞き耳を立てる。
 他人の家の敷地内なので見つかれば不法侵入で待ったナシだが、気配も消しているし暗部面もしているので、例え見つかったとしてもいきなり「相澤マコト」がどうこうなるということはないだろう。

 曰く、オールマイトの個性は引き継がれてきたものである。
 曰く、それは個性を“譲渡”する個性で、冠された名は『ワン・フォー・オール』。

「元々後継は探していたのだ……。そして君になら渡しても良いと思ったのさ!!」

 成程そう来るのか……悪くないねぇ。とマコトは面の下でニヤリと笑んだ。
 これからあの癖毛の少年はヒーローとなり巨悪との戦いに身を投じていくのだろう。
 良き仲間を得、時に得たものの重さや背負ってしまったものの大きさに押しつぶされそうになりながら、悪を打ち払っていくのだ。
 それに、この世界を把握する上で重要な事が一つだけだが推測できた。
 オールマイトの個性名の由来であろう『One for all(一人はみんなのために)』という文言には『All for one(みんなは一人のために)』と言う続きがある。スイスの標語だったり、ラグビーのチームプレイ精神を表す時によく使われる言葉だったり、古くは『三銃士』にも出てくる有名な言葉だ。
 恐らく『オール・フォー・ワン』という名の個性を持つ者が敵になるのだろう。

 この世界もきっと長い物語になる。
 見応えがありそうだと、これからの事を想像すると心が躍った。
 マコトの最終目標は時空間系の個性の持ち主を探し出してあの世界に帰ることだが、今しばらくはこの世界を堪能してもいいかもしれないと思った。

 それにしても、あの骸骨のような姿がオールマイトの正体だなんて、とんでもないことを知ってしまったなぁと夕焼け色に染まる空を見上げた。
 二人がいなくなったことを確認してから瞬身でその場を後にする。

 木の葉がひらりと、一枚落ちた。

    ◆

 上り始めた太陽が水平線から顔を出し、空をオレンジ色に染めていた。砂浜にはゴミの山が影を落とし、歪な斑模様を作り出している。
 早朝の海浜公園はそんな場所だからか人っ子ひとりいなかった。

 あの後マコトはすぐに行動を起こすようなことはせず、出久とは学校で挨拶するぐらいの仲に留めていた。
 その一方で日課のランニングのコースを一カ月かけて少しずつ海浜公園へ近付け、今この場にいても不自然ではない状況を作っていった。

 今までのパターンなら今日はオールマイトがいない日のはずで、この接触を境に出久とは顔見知りから友人へ昇格したいと思っていた。
 砂浜へ下りる石段に座り、ゴミの中でもがく出久に目をやった。
 よほど集中しているのか、先程から何度かゴミを引き摺ってマコトの前を通っているのに、出久は一向に気が付かない。

 ……全然気づいてくれないな。どうしよ。

 太陽の色が金色に変わり、ゴミの山の影が少し短くなっていた。

    ◆

 出久が海浜公園のゴミを片付け始めて一ヶ月がたっていた。
 初日と比べれば運べる物は増えてはいたが、砂浜に漂着し投棄されたゴミの数は途方もなく、無理なのではと考えそうになるのを必死に抑えて体を作ることだけに集中した。
 滴り落ちてくる汗をTシャツの裾で拭っていると、ふと視界の端で何かが動いた気がして目を向ける。
 そこには石段にちょこんと座り両手で頬杖をついてこちらを見ている相澤マコトがいた。

「――えっ、あ、相澤さん!? 何でここに!?」
「ランニングだよー」

 ひらひらと笑顔で手を振るマコトに出久は腹部が丸見えだったことを思い出し、手荒く裾を下げてから駆け寄った。

「おはよー」
「お、おはよう」

 ノートの一件以来、学校で挨拶を交わすようにはなっていたが、やはり女子と話すというのは未だに慣れそうにない。
 マコトに隣に座るように促されてしまい、そのまま出久は休憩することにした。

「最近ゴミが減ってるような気がしてたんだけど、緑谷くんが片付けてたんだね。ボランティア……じゃないよね? ヒーローになるための特訓とか?」
「ま、まぁ、そんなとこ。入試までに体を作らないといけなくて……」
「これ全部片付けるの?」
「そうだよ。どうなるかわからないけど、言ってもらったから、『君はヒーローになれる』って」

 雄英に受かりたい。ヒーローになりたい。
 それになにより、憧れの人が、オールマイトがその“力”を受け継ぐに値すると自分を選んでくれた。
 期待を裏切りたくないのだ。「ヒーローになれる」と言ってくれたオールマイトを、自分の不甲斐なさで嘘付きにすることだけは嫌だった。

「……そっか。私も緑谷くんはヒーロー向いてると思うよ。ヘドロの時も迷わず飛び出してったもんね」

 なんでもないように言われた衝撃の事実に出久は固まった。

「……まって、相澤さんあそこにいたの……?」
「いたよー。めっちゃ怒られてたね」

 あの時のことを思い出したのか、マコトの口元が堪えるように歪んだ。

「……笑いたいなら笑っていいよ……」
「ごめっ、だって、あんなに怒られてる人、初めて見たからっ……!」

 本人からお許しが出たからか、マコトは抑え気味だが本格的に笑い始めてしまった。出久に背を向けて肩を震わせている。
 傍から見れば出久の行動は、無謀にもヴィランに突っ込んで行きオールマイトに助けられ、ただヒーロー達の仕事を増やしただけである。
 今思い返すと本当にありえないことをしたと思うが、あの時は体が勝手に動いたのだ。

「大丈夫、かっこよかったよ。ヒーロー」

 波が収まったのか、笑い涙で潤んだ目元を拭いながらマコトは微笑んだ。
 皮肉やからかいではない、慈愛さえ感じられるような、ふっと浮かぶような笑みだった。

「っ! あのっ、僕っ、続きやるから……!」

 いかんせんゴミ掃除で疲弊した体には情報量が多過ぎた。
 出久はマコトが笑顔を見せた瞬間、なぜ自分の胸が締め付けられたのか分からなかったし、油断をすると思い出しそうになるマコトの笑顔を押し込めて、無心でひたすらゴミを運んだ。
 気付くとマコトの姿はどこにもなく、一気に気分が落ち込んだ。
 そりゃこんなゴミ溜まりに居たくないよね……と、錆びて壊れた扇風機に出久が手を伸ばした時だった。

「緑谷くん!」

 突然名を呼ばれて振り返ると、近くにあるコンビニのビニール袋を手に提げたマコトがいた。わざわざ行って戻って来たらしい。
 袋から取り出されたのは黄色い滑り止めが付いた軍手だった。

「何が落ちてるかわからないし、手袋はしてた方がいいと思うの。あと持ってきてるだろうけど、スポドリあっちに置いとくから、ちゃんと水分補給してね! じゃ学校で!」

 突き出されて反射的に受け取ってしまった軍手に目を落としている間にマコトは走り去って行ってしまった。

「あ、お金……」

 しばらくして我に返った出久の呟きは、波の音に飲まれていった。

    ◆

 それからと言うもの、たまにだがマコトからの差し入れが石段の上に置いてあることがあった。
 自分の邪魔をしないように気を使っているのか、それらはいつのまにか置かれていることが多かった。
 ペットボトルのラベルにはマジックで応援の言葉が書かれていて、それが素直に嬉しかった。
 ちなみに差し入れの代金は、返そうとした出久を野暮なことをするなとマコトが一蹴して終わった。

「彼女?」
「ちっ、違いますよ!! とっ、隣のクラスの子で――」
「隠さなくてもいいだろ、ヒーローにヒロインがいても何もおかしくないぞ」
「本当に違うんですって!」

 そうは言っていても、差し入れを見ては頬を緩めているのだ。気持ちがどこにあるかなんて見ただけのオールマイトにも分かった。
 一体どんな子なんだろう? いつかは会ってみたいものだと思いながら、今日もオールマイトはゴミ相手に格闘する出久に激を飛ばした。


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