お堂を後にして、累はとにかく人のいる場所を目指してひたすら歩いた。道路標識があるわけでもナビアプリが使えるわけでもなかったが、当てずっぽうで歩いていた割には方向は間違っていなかったようで、歩いた距離に比例するように人が増え建物が増えていった。
 農地から段々と様相が変わり、ようやく町らしい場所に辿り付いたのだが――。
「……大河ドラマ?」
 目の前の光景を見た累の口から零れ落ちたのは、そんな呟きだった。
 商店が建ち並ぶ賑やかな通りは累が歩いてきた道同様に舗装されておらず、町並みを構成する建造物は全て木造で精々二階建て。道具屋や食事処など店々のすべてがアナログな上にローテクで、その通りを往来するありとあらゆる人々が累の知る洋服ではなく着物姿だった。
 ついでに言えば人も含めた町並みは全体的に時代劇で見知っている江戸時代と言うよりはそれ以前の時代という漠然とした印象を強く受け、大河ドラマと思わず呟いてしまったのもその印象が要因だった。
 どんなに張り切った歴史テーマパークでもここまで作り込むことはまずないだろうし、それにここには生身の人間が生活をしている気配があった。
 ……これはもう、『アレ』ではないのだろうか?
 意識することすら危険視していた考えが思考を埋め尽くす。必死にその可能性を潰そうとしても、それ以外考えられないじゃないかと、誰かが言う。
「……タイムスリップかぁー……」
 それは口にしてしまえば取り返しのつかないことになる気がしてあえて言わずにいた言葉だったのだが、危惧に反して現実は何も変わらず、累が現代からタイムスリップしたという事実を明確にしただけだった。
「どうりでみんな着物なわけだよ……」
 人のいる場所に行けばどうにかなると思いたい一心で、累はこの町に辿り着くまでに見たモノやすれ違った人々を無みしてきた。そうして現実から目を逸らした報いなのだろうか、逆にどうにもならない気がしてきた。
 仰ぎ見た空は昨日と変わらずに青かったが、累を囲む町並みは昨日までとは違うものだった。
「マジ勘弁なんだけど」
 がくっと項垂れた累の耳に入ってくるのは、累の身形を見ながらひそひそと話す人の声。
「何なのだあの奇妙な格好は」「傾奇者の類か?」「だがあれはどう見てもおなごだぞ」「田舎者はあれで着飾ったつもりなのではないか?」「これだから田舎者は」
 学生服という場違いな自分の格好、場違いな自分の存在。擦れ違う人から向けられる奇異の目は、まるで己という存在こそが間違っていると言われているようだった。
「こんなとこ好きでいるんじゃないんだけどなぁ……。それに私都会っ子だし、田舎者じゃないし」
 居た堪れずにその場から逃げるように町中を歩き回っても、向けられる視線はどれも似たようなものだった。白まではいかない灰色の目が、遠巻きに見ていた。
「お腹すいた……」
 ぐう。と腹が鳴る。最後にした食事は学校で昼休みに食べたおにぎり一つ。ダイエットなど念頭に置かずに盛大に食べればよかったと今更悔いても後の祭りである。累が持つ金銭がこの時代で使えるはずもなく、空腹を感じても饅頭一つ満足に買えやしない。スクールバッグを漁ってもヨーグルト味のスカッチキャンデーが一箱出てきただけで、腹の足しになりそうなものは入っていなかった。
「――食べるべきか、食べざるべきか、それが問題だ」
 ハムレットになった気分で黒地に緑色の花柄が描かれた箱をじっと見つめた。現時点でこのキャンデーが唯一自分が口にしても確実に大丈夫だと言える代物だった。この先どうなるかわからないのだから、なるべくなら温存しておきたい。が、キャンデーというカロリーの高そうなものなら空腹を紛らわすことが出来るのではないかとの期待も少なからずある。累はおもむろにキャンデーを一粒取り出すと両手に乗せてうやうやしく掲げた。
「うましかて」
 そして包みを開けてぽいっと口に放り込む。
「はぁ……うまい……」
 ヨーグルトの酸味の効いたさわやかな味わいが口一杯に広がり、この現実の苦痛を少しだけ和らげてくれた。
「――さて、これからどうしたもんかな」
 現状把握が終わると次に待ち受けているのは今後のことである。勿論死にたくなどないし、生きる為にはものを食べなければならない。ものを食べる為には働いて金銭を得なければならないのだけれど、この時代の職業など見当がつかない上にただの女子高生である累に手に職などあるわけがない。
 不安と孤独が胸の内を埋め尽くす。前途多難、先行き不透明、見通しなど立ちやしない。最後の手段は世界最古の職業の一つに頼ることなのだが、それだけはどうしても嫌だった。
「あーっ、もうっ! どうしたらいいわけ!?」
「おい! もうすぐ信長様が通られるぞ!」
 頭を抱えてしゃがみ込んだ累の耳に入った誰かの声。聞き覚えのあるその名前に反応せずにはいられなかった。
 ……信長様って、もしかして織田信長?
 弾かれたように顔を上げ、何処かへ小走りに向かう男達の姿を目で追った。信長と言う名前は累にとってタイムスリップしたと言うありえないはずなのにありえてしまった異常な状況の中で唯一自分の知っている事柄とこの現実とを結び付ける事ができる要素だった。
 ――織田信長がいるって事は、ここって織豊時代なんだ!
 引き寄せられるように人が集まっていく方へ足を向けた。人集りに近付くにつれ、ざわめきが大きくなるにつれて胸の鼓動が大きくなっていった。信長を見に行ってどうするつもりだったのかはわからない、ただそうした方がいいと胸の奥で誰かが言っていたのだ。


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