見物人が集まる通りは累が今までいた通りよりも大きい通りで、散々不評を買った制服姿が気にされないほど町の人達は通りを通る何かに夢中だった。
「確か尾張の土豪から美濃を制する大名に成り上がった男だったよな?」「そうじゃそうじゃ、何年か前に今川の軍勢を少数で打ち破ったとか言う」「もうお帰りになるのか?」「随分早いな」
 要約するとそんなような内容の会話があちらこちらから耳に入る。大名の行列なのに「下に、下に」とお決まりの号令も聞こえなければ誰も地面に平伏していなかった。子供を肩車している家族連れまでいて、そこに集まる見物人の姿は某夢と魔法の王国のパレードの見物人となぜだかダブった。
「すいませーん、通してくださーい」
 人の間に体を捻じ込ませて累は何とか最前列に割り込むことに成功した。所々舌打ちやら文句が聞こえたが、時空すら超えるという壮絶な経験をしたせいかそんなものを気にする余力はなかった。図太くなったとも言うが。
「おぉ……大河っぽい」
 目の前を物々しく進んで行く兵士達の隊列。やたら長い槍を持つ兵士、火縄銃を肩に担ぐ兵士、その他諸々。そして列のメイン部分と思われる馬に乗った武将らしき人物がやって来た。馬廻りの者に囲まれ、一人だけ馬丁に馬を引かせているのが信長なのだろう。
「お気をつけてお帰りくだされ!」
「どーもー」
 ……軽っ! 親に肩車されて手を振る子供に手を振り返す信長はイメージと違い中々にフレンドリーな人物であるようだ。周りの人たちも驚いたのか、意外と気さくじゃ……とどよめいていた。
「馬に乗ってるからブレちゃうかなー」
 累はスマートフォンのカメラを起動させ、信長と思しき人物をフレームに収めた。
 白い着物に深い青緑色の袴、派手な柄のビロードのマント。活発そうな印象の割りには肌の色は白く、この時代の人間にしては珍しく栗色の髪をしている。そしてその容姿は――幼馴染のサブローによく似ていた。
「……」
 もう二度と会えない幼馴染の顔を思い浮かべる。ちゃんと朝起きられたのだろうか。学校には行っているのだろうか。授業は真面目に受けているのだろうか。
 もう一度タイムスリップでもしない限り幼馴染に会えるのは数百年後、ヒトの寿命では到底無理な話である。感覚的には世界大戦でさえ遠い昔の話なのだ、織豊時代など神話の域に近い。
「サブローが大人になったら、こんな感じになるのかな……? ふふ、かっこいい」
 少々逆光ではあったが露出を調整すれば信長の顔がはっきりと画面に映し出される。累は成長した幼馴染を想像しながらボタンにタッチした。
 そのシャッター音が聞こえでもしたのだろうか、画面の中の信長が不意に累の方を見た。馬が累の丁度正面になる所で歩みを止めたため、自然と目が合い時間が止まったような錯覚に陥る。正面から見た信長は、本当に幼馴染に似ていると思った。
「殿、いかがされました?」
 信長の後ろにいた長い槍を持った馬廻りの男の声で累はハッと我に返った。

 Q.自分は今何をしていた?
 A.無許可撮影。

 全身からサーッと血の気が引いていくのがわかった。この時代に盗撮や肖像権といった概念自体がないことはわかっているが、なんせ相手はあの織田信長だ。敵の頭蓋骨で酒を飲み、女性にちょっかいをかけた兵士を斬り殺し、焼き討ちや皆殺しなんて朝飯前の、あの魔王信長なのだ。何をしでかされるのか予測はおろか予想もできない。
 手のひらや脇や背中にじっとりと汗が浮かんでくる。雑踏は妙に遠くに聞こえるのに、耳のすぐ近くにあるのかと錯覚するくらいに心臓が激しく鼓動していた。平静を装い不自然な動作にならないようにスマートフォンをブレザーのポケットに仕舞う。その間も累と信長の視線は通ったまま。思考が読めないその表情に幼馴染の顔がオーバーラップしたが、馬上から逆光で見下ろされていることも相まって威圧感が半端ではなかった。
 ――こ、殺される……?
 つ、と背中を冷や汗が流れ、ごきゅり、と喉が鳴る。食道の感覚で飲み込んだのが固唾ではなくキャンデーだったのだとわかった。
 信長が何か動きを見せた瞬間に脱兎のごとく逃げ出せるように、わずかに身構えた正にその時だった。

「――累?」

「……へ?」
 今、自分の名前が聞こえなかっただろうか? そう思ったが、そんなことはあり得ないのだと、信長が自分の名前を知っている訳がないのだと、すぐさまその考えを打ち消した。それでは一体何のことだったのかと辺りを見回したが、周りの人も何のことを言っているのか分からなかったようで累と同じくキョロキョロとしている。やはり聞き間違いかと、そう結論づけようとした時だった。
「あっ、殿!」
 急に列の方が騒がしくなり反射的に正面に顔を戻すと、なんとすぐ目の前に信長の顔があった。
「わっ!」
 いつの間に馬を降りたのか信長が累の前に立っていた。あまりの顔の近さに思わず仰け反ってしまう。
「……な、なんでしょうか……」
 焦げ茶色の双眸に見つめられてたじろぐ累を、信長は顎に手を添えてまじまじと見ていたかと思うと、こてんと首を傾げて心底不思議そうな声音で言った。
「え、累だよね? なんでそんな他人行儀なの?」
「!?」
 累は目を瞠り、信じられないものでも見るような顔で目の前の信長を見た。
 やはり先ほどのは名前だった。聞き間違えなどではなく、自分の名前だったのだ。
 驚愕する累を余所に信長は更に言葉を続けた。
「てゆーか何で累がいるの? ここ戦国時代だよね? ……え、なに。累もタイムスリップしちゃったの?」
 混乱していた累はただただ黙ることしかできなかった。黙ろうとして黙っているわけではなく、言いたいことは沢山あるのに気持ちばかりが急ってしまい喉の手前で言葉が渋滞を起こし、結局どれも真面な言葉にならなかった。
 なぜ自分のことを知っているのか、なぜ幼馴染とよく似た顔をしているのか、『戦国時代』『タイムスリップ』こんな言葉を口にする目の前にいる信長は、一体《誰》なのか?
 累の中に湧いた疑問は、今となってはあまりにも白々しいものだった。


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