「あーもうっ、ここどこなの! 圏外だし街灯ないし人いないし、どんな田舎だよ! この日本で電波立たない地域があるとかびっくりだよ! ていうか何でいきなり秋? まだ三月だったよね? おかしくない? つーかおかしくない?」
 累はスマートフォンのライトで足許を照らしながら近くの農家らしき家に向かって畦道を歩いていた。何度画面を見ても四方八方に向けてみても圏外は圏外のままでしかなく、電波がなければスマートフォンなど賢かろうが洗練されていようがテクノロジーがハイだろうが、何の役にも立たないのだと身をもって思い知った。
 辺りはすっかり暗くなり、普段なら感動すら覚えるであろう頭上の満天の星空も、今ではその輝きすら現代文明から取り残された不便さの権化のような気がしてならなかった。
「……ワォ、今時こんな家に住んでる人いるんだ」
 目の前に建つ家の、近づいて初めて分かるその粗末さ。現代の人工的な建材で作られた家しか見たことがない累にとっては初めて目にする、土で塗られた壁と茅葺きの屋根。玄関は一昔前の木で作られた雨戸のような引き違い戸があるだけで、窓らしい窓も見当たらなかった。近くにある納屋らしき建物との違いと言えば、戸の隙間から漏れる薄暗い光と人の気配くらいだろうか。
 慣れない畦道をローファーで歩き、累の足は疲労を訴えていた。さっさと電話を借りて、迎えを待つ間に一休みしたい。住んでる人が変な人じゃありませんようにと少し緊張しつつ累は戸を叩いた。
「すみません。電話をお借りしたいのですが」
 はっきりと屋内の人にも聞こえるように言ったはずなのに、何故だか反応がない。否、反応は数拍遅れてあった。ひそひそとより一層気配を潜めつつも、こちらを、累を壁越しに探っている気配がした。
 不審者だと思われてるのだろうかと、累がもう一度戸を叩こうとしたその時――戸が開いた。
 そこにいたのは質素な着物を身にまとった男だった。どことなく小汚く、顎には無精髭。累を怪訝そうにじろじろと見ていた。
「あの――」
 無意識に目をやった家の中。その光景を見た瞬間、累は愕然とした。一瞬言葉を失い、気が動転しそうになるのを無理矢理に抑え込んだ。
「やっぱいいです、何でもないです。お邪魔しました!」
 目にした事柄から逃げるように累は踵を返して走り出した。物理的に距離を取ったところで何の意味もないことはよくわかっていたが、そうせずにはいられなかった。
 自分を呼び止める男の声が聞こえなかったわけではないが、振り返ってあの光景をもう一度見る勇気は今の累にはなかった。
 道の暗さなど目が慣れてしまえば些細なこと、明かりがなくとも累は何かにつまずくこともなくひたすらに走った。疲れていたことなどすっかり忘れてしまっていた。
 なに今の……! 先程の光景が何度も何度も頭の中で蘇る。
 土間に竈、囲炉裏を囲む家族らしき人の格好は皆一様に粗末な着物姿。田舎だからでは済まされないほどに現代文明の匂いも気配もなかった。心臓が嫌な感じでばくばくしている。冷や汗が止まらない。意識に浮上させるだけでも危険な考えが脳裏を過ぎりそうになった。
「何なの……っ!」
 どれくらい走ったのかはわからなかったが、もし記録を取っていたのなら、累の今までの人生の中でこの時が一番長く距離を走り一番速く走っていただろう。
 累は道すがら発見したお堂の中で混乱と不安と恐怖に押し潰されそうな一夜を明かした。これ以上何かを見てしまうのが恐ろしくて、スマートフォンのライトは点けられなかった。


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