24(完)
 頭部への突然の衝撃は、驚きはしたものの我愛羅にとって状況を理解する妨げにはならなかった。
「っ、結局こうなるのか……!」
 守鶴が消えたことで体が重力に倣って落ちていく。守鶴の残滓にも似た感覚を覚えつつも木々を使って上手く速度を殺しながら着地すると、少し離れたところに同じく降り立っていた『うずまきナルト』を睨んだ。
「お互い似た者同士……、これで最後にしようぜ!!」
「……似た者同士? 誰と誰がだ? まさか『私』と『お前』が、か? ――笑わせるな」
 我愛羅は怒りと憎悪を深いところに宿した暗い声で言った。
「愛してた家族に裏切られ、母殺しと詰られ罵られ、否定、否定、あの場所にあったのは否定だけ! 私はいつも『偽物』だった。『母』の贋物、『彼』の偽者! ……やり直せたと思ったのに、今度こそ大丈夫だと思ったのに、それなのにっ、砕かれて踏みにじられた! ……ずっと痛かった。痛くて痛くて堪らなかった! この痛みが無くなるまで私は消えない、決して消えてなどやるものかっ……!」
 そう叫びながら左胸の身頃を掴む。この胸を内側から叩く鼓動は生きている証で、否定され続けた証で、他者から奪うという誓いだった。
「さっきっから聞いてりゃ、私が私が私がって、お前自分のことしか考えてねーじゃねーか!!」
「だから何だ!? 人間なんてそんなものだろ! ある日突然、今までの日々が嘘のように、嘲り疎み踏み躙る!!」
 胸倉を掴み合い、最早忍の戦いというよりも、子供の喧嘩のようなただの取っ組み合いになっていた。
 ナルトが我愛羅の襟を掴んで地面に抑えつける。肺が揺れた息苦しさで一瞬顔を顰めるも、すかさず横っ面に拳を入れると体制が崩れた隙に足で押し退ける。
 よろよろと立ち上がり、仰向けに倒れたままのナルトに背を向けて歩き出す。
 どこに向かいたいのかすら、もう分からなかった。
「……お前、何から逃げてんだよ。逃げんなよ……独りになろうと、すんなってばよ」
 そんな後ろ姿に掛けられた台詞に、一度振り切れてしまった感情は過敏に反応する。
 弾かれたように駆け寄ると、我愛羅はナルトの胸倉をこれ以上ないくらいに乱暴に掴み上げた。
「うるさい黙れっ! お前みたいな餓鬼に何が解る!? 大勢の人間に囲まれてへらへら馬鹿そうに笑って生きてるようなお前にっ……! ――何も持たず、手に入れるだけ、与えられるだけ。何も失ったことのないお前に、何が解るっ……!!」
 激昂の熱は過ぎ去ればただ虚しいだけ、胸倉を掴む震えた手さえ、最早どこへも行き場がない。
「何で、お前が、泣きそうな顔してんだよ……。辛いなら辛いって言えよ。オレってばバカだから、言われねーとわかんねぇんだっ……!」
 初めて見た時、素直に綺麗な子だなと思った。暗い昏い、何も見ていないガラス玉のような無機質な目が印象的で、組んだ腕は外界を拒絶しているようにも、自身を守っているようにも見えた。それでいてつい目を向けてしまう、吸い込まれてしまいそうな独特の雰囲気を持っていた。
 ただ気になる――それだけでは済まされない感情で、翡翠に似たその瞳に映りたいと強く願った。
 一目惚れと言う言葉で片付けてしまうのは簡単だったが、それにしては少々刺激が強く、サクラに抱いていた仄かな好意とはまったくの別モノで、こんな感情は初めてだった。
 多分、自分に似ていたからだ。自分を認めてくれた大切な人達に出会う前の、イタズラでしか人の気を引けず、そんなことでしか寂しさを紛らわることができなかった空っぽな自分に、我愛羅を重ねていた。
「憎んだって、辛くて苦しいだけなんだ。自分が、惨めになるだけなんだってばよ」
 襟を掴んでいた手から、無意識に力が抜ける。我愛羅は自分をまっすぐ見つめる空色の瞳に、微かな恐怖を覚え始めていた。
「一人ぼっちのあの苦しみは、ハンパじゃねーよな……。なんでだろーな、お前の気持ちは痛いほど分かるんだってばよ。――けどな、オレにはもう大切な人たちが出来たんだ。傷つけるなら、お前を殺してでも、オレはお前を止める」
 ナルトは茫然と後ずさる我愛羅の手を引いて抱き締めた。お互いに疲弊しきっているはずなのに、抱きすくめるその腕にはどこにそんな力が残っていたのかと思うほど力強く、我愛羅が解こうとしてもそれは叶わなかった。
「……何で」
 胸の底から吐く疑問の言葉に、さも当然だと言うようにナルトは答えた。
「一人ぼっちのあの地獄から救ってくれた、オレの存在を認めてくれた、大切な皆だからだ。……お前にはいないのか?」
 大切な人はいないのか? そう問われているのだと解ったが、フラッシュバックするように思い浮かんだ人物を即座に掻き消した。
「っ――そんなもの、いないっ……! わ、私がっ、わたしが、ころしてしまった……っ!」
 震える手で前髪を握りしめるようにして顔を覆い隠す。

 どうでもいい。
 どうでもいい。
 どうでもいい。
 何も、感じないようにしていた。

 我愛羅を否定していたのは『世界』ではなく、『あの人たち』でもなく、我愛羅をバケモノと呼んだ人達でもない、我愛羅自身だった。
 自分を見つめる空と同じ色の瞳――この目は知っていた。

『どうして解って下さらないのですか……!』

 夜叉丸の嘘偽りのない献身、テマリやカンクロウの笑顔、そして最後に胸に染みてきたのは、風影が頭を撫でてくれた、あのやさしい感触。
 目に熱が集まり視界が滲んでくる。
「っ……」
 本当は心の何処かでわかっていたのだ。夜叉丸が本気で我愛羅を殺すつもりなら、外傷でではなく食事に毒を混ぜるなりして身体の内側から破壊するなど、他にいくらでもやり方があったのだ。
 だがそうしなかったのは、本気で殺すつもりがなかったから。
 情けなくてみっともなくて腑甲斐なくて、夜叉丸のせいにして我愛羅は殺した。全部周りのせいにして、怖いから、傷付きたくないから、否定して拒絶して鎧って、独りになろうとした。孤独なふりをした。
 そんな我愛羅の弱さをぶち破ったのが――、
「ガキのくせに……」
「なっ、お前だってガキじゃねぇーか」
 ナルトの肩に顔をうずめ、震える唇を引き結んで、嗚咽を堪えようと噛みしめた奥歯が酸っぱくなり、溢れて止まらないのは、涙。
「……やっぱお前さ、そうやってツンケンしてねー方が可愛いって、ばよ……」
 少し照れたような、明るくつややかな笑顔だった。何を言ってるんだと我愛羅が思うのと同時に、突然全ての力が抜けたようにナルトが我愛羅に凭れかかった。
「っ、ナルト!」
 ずしりとその重さが我愛羅に掛かり、支え切れずに座り込んだ。
 それは人の重さで、命の重さで、我愛羅が復讐だと言いながら空っぽだと思い込んでいた器を満たすために奪ってきた重さだった。
 だが奪ったところで取り戻せはしないのだと、満たされはしないのだと、多分心の何処かで本当は分かっていた。
 何故そんな事すら今まで気付かなかったのだろう。気が付こうとしなかったのだろう。
「……ありがとう、ナルト」
 硬い手触りの金髪を我愛羅は梳きやり撫でた。

「我愛羅!」
 テマリとカンクロウが必死の形相で我愛羅の所へやって来た。そこには怯えも畏怖もない、心配と安堵の色を滲ませていた。
 いつから二人の顔をまともに見ていなかったのだろうかと、我愛羅は本当に何も見ていなかったのだなと自身に呆れるしかなかった。
「ナルトっ! お前っ、ナルトを……!?」
 呪印の影響が納まって動けるようになったのか、少し遅れてやって来たサスケが倒れているナルトと側にいる我愛羅を見て食ってかかりそうになる。
「気を失っているだけだ……いくぞ」
 何が起きているのかよくわかっていない表情のテマリとカンクロウの間を通りながら二人に声をかけ、我愛羅達はその場を後にした。
 そしてしばらく無言で移動した頃、
「……ごめん」
 我愛羅はそう、呟いたのだった。
 テマリとカンクロウは驚いた表情で顔を見合わせた。二人は我愛羅の隣に並ぶと、何も言わずに一度ずつくしゃりと我愛羅の赤茶色の髪を乱した。少し乱暴なようで、それでいて優しさを感じる手だった。

 ――この世界は私が前に生まれた世界とは違って良い意味で単純に出来ていて、イジケて腐っていても良い方向には進まない。
 取りこぼした関係性はもう元には戻らないけれど、今からでも一つずつ積み上げてみよう。
 まだ、間に合うかな。
 まだ、届くかな。

「三つ子の魂百まで? そんなものは嘘っぱちだ。人は変われる、いつだっていつからだったって変われる。悪い方へも、良い方へも」


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