錯綜
今回の任務はマジで面倒だった。『砂漠の民の部族間抗争の仲裁及び止むを得ない場合のみの武力による鎮圧』なんて、いかにもややこしくなりそうな任務内容を聞いて最初から乗り気じゃなかった。
大体、争いが起きるくらいなのだから双方に仲裁など聞く耳がないだろうし、妥協も譲歩も有り得ないのなら最初から鎮圧してしまえばいいのだ。
しかもよりによって報告書は輪番で書かせると言うバキの方針で、運悪く自分が提出する番。その上何のつもりか知らないが、普通だったら報告書は受付に提出するのに、風影に直接見せに行かなければならない。暗殺命令を下した対象を自分の所へ赴かせるとか、正気の沙汰じゃない。
乗り気じゃなかった任務なだけあって、書くのに随分時間がかかってしまった。宵が夜中に変わりそうな時間だが、まぁ平気だろう。
執務室の扉をノックして入室許可の声を待つが、何拍おいても何のアクションもない。不思議に思っていると突然、重量と弾力がある何かが床に叩き付けられる鈍い大きな音がした。瞬時にドアの向こうの気配を探るが風影のもの一つだけ。警戒しつつ執務室に入り、目に入ったのは執務机の脇で床に伏している風影の姿だった。
――何だ?
駆け寄り風影の様子を窺うと、浅く荒い呼吸を繰り返しながらきつく眉根を寄せ、痛みや苦しさに耐えるように鳩尾の辺りの身頃を強く握りしめていた。額には脂汗が滲み、普段は口布と笠で窺えなかった顔は土気色。
自分の手に負える状態ではないと判断し、人を呼ぶためにしゃがんでいた腰を上げかけた瞬間手首を引かれ、それに驚いて振り向くと風影がこちらを睨むように見上げている。
「誰、も……、呼ぶな……!」
思わず気味が悪いと思ってしまうほどの強い瞳に胸がざわついた。
風影の手は冷たく、痛みを感じるほど強く掴まれているはずなのに、その冷たい手に熱が奪われていくような恐怖を覚えて思わず手を引いた。しかし風影の手は外れずその衝撃で風影の懐から小さな瓶が転がり落ちた。
その白いラベルには馴染みのない薬品名。思わず眉をひそめた異常さ。瓶の中に収まるのは毒々しいまでの赤い錠剤だった。見る者に違和感と不吉を感じさせる赤い色は警告の色。健康体が服用すれば劇薬になると言う証。それほど危険な薬を服用しなければならない病には心当たりがあった。
苦悶する風影を見やり瓶を手に取った。
――口布をするようになったのも、やつれた顔を隠すため。木ノ葉崩しと言う後世まで里の評判に響くようなことをするのも、もう自分が長くないと知っていたから。風影ともあろう者が大蛇丸にみすみす殺されるのも、病気で弱っていたから。……自分が死ぬことを知っていた?
そう意識した途端に胸が締め付けられるように息苦しくなった理由が、判らない。
「……分かった。誰も呼ばないから、手を離せ」
短く息を吐いて力を抜いた風影の手を外すと、掴まれていた手首にはくっきりと赤紫色の手の跡が残っていた。砂の鎧を外しておくんじゃなかったなと痣を解すようにさする。
少しは状態が落ち着いたのか、風影が上体を起こす。そのまま立ち上がろうと執務机に手をかけるが、力が入らないのか崩れてしまった。背負っていた瓢箪から砂を出して風影の身体に添えるように支え、私の行動に驚いて瞠目した風影の視線と勝ち合わないようにわざと視線を外した。
「本当に誰も呼ばないで良いのか」
「薬が効けば痛みは収まる」
接待用のソファーに横になった風影が懐をまさぐり何かを探している。そういえば持ったままだったなと薬瓶を差し出す。
「……二人は知ってるのか?」
言わずもがな二人とはテマリとカンクロウのことだ。
「数人の医療忍者だけだ」
「……何で――」
続きはノックの音に遮られ、風影の耳に入ることはなかった。
「風影様、ご報告したいことが」
何て間の悪い。未だに痛みに苦しむ風影は対応できる状態じゃない。風影に目配せで伺うと、代わりに出ろと目が語った。
「何だ」
「っ! 我愛羅様!?」
執務室に入らせないように扉を背に廊下に出れば、名前は思い出せないが見た事のある忍が驚愕を隠そうともしないまま慄いていた。
「……父さまは今手が放せない。用件なら私が聞く。話せ」
そう言ってもきょろきょろと視線を彷徨わせながらしどろもどろに何事かを言う目の前の忍に微かに苛立ちがわく。自分で言うのもなんだが、多分風影があの状態だとばれやしないか焦っているのだろう。
「二度も同じことを言わせるな」
「は、はい!」
何をやっているんだ自分は……。忍が去ったのを確認すると、ドアに凭れそのままずるずると座り込む。自分を殺そうとしている張本人を助けて庇って、私はまだ『父親』を諦めきれないのか?
顔を埋めた手で前髪ごと一度ぐっと握りしめると、苛立ちを吐き出すように一つ溜息を吐いて風影の所へ戻る。ソファーで横たわり目を瞑るその姿は死体のようで、四十歳と言えばまだまだ男盛りなのに、病のせいか老けて見えた。
ふと目を開けた風影が私を見据えて口を開く。
「我愛羅――近いうちに田の国の隠れ里の長が来る。お前には同席してもらいたい」
ああ、始まるのか。何の感慨もなく、只そう思った。
「それは命令か?」
頼み事のような言い方だったからだろう、我愛羅は温度のない声でそう聞き返してきた。そのことにやるせなさを覚えつつも、命令ではなく頼み事だと言ったらあの子はどんな反応をするのだろうかと、無意味な事を考えた。
「――ああ、そうだ……命令だ」
父親としての頼みよりも、上司としての命令に逃げた自分が情けなかった。
夜叉丸、きっとお前は修羅でも良いからあの子に生きていて欲しいと願ったのだろう。だがあの子は今幸せなのだろうか。何の感情も伺えず、あたかも義務や習慣かのように淡々と生きている。今ではこの里であの子をおそれない者はいない。
両耳に光る加流羅の形見のピアスに、まだあの子が明るかった頃の面影を見てしまう。そうなることを許容してしまったのは自分なのに、都合のいい浅ましい考えだ。
「俺が憎いか」
あの子は冷たい翡翠の瞳を向けるだけで、その問いに答えてはくれなかった。
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