05
 夜叉丸にとって四代目風影は「義兄」になるずっと前から「主」だった。
 戦争で両親が死に、その余波で荒みきっていた自分を救い上げてくれたのが風影だった。
 見合いの相手が自分の姉だと判ったときは仰天させられたが、敬服する主と愛する姉が結ばれることは非常に喜ばしいことだった。
 自分のせいで苦労をかけた姉が幸せになり、そんな姉が風影の安らげる場所であったなら、それほど自分にとって幸福なことはない。
 テマリが生まれ、カンクロウが生まれ、絵に描いたような豊かで心が満たされた、そんな将来があるものだと思っていたのに。蓋を開けてみれば、永遠に続く幸せなお伽噺は、所詮本の中だけだったのだ。

 夜の名残を残す、柔らかい棘のような朝日が風影の執務室に溢れていた。
 執務机の隅に置かれたマグカップの中のコーヒーは冷め切っていて、この部屋の主が休みを取っていないことが伺えた。書類や巻物が擦れる微かな音が静かな室内の唯一の音で、ぱらり、ぱらりとリズミカルに紙をめくる時もあれば、筆を置き印を押すときもある。
 風影の手は、一向に休まらない。
「どうだ?」
 風影が前置きなくこう聞くときは決まって我愛羅のことだ。この人も意地が悪い、全て知っていて、このタイミングで自分を呼びつけたのだろう。
「――利発で大人しいです……」
「取り繕った言い方だな」
 鼻で笑われ胸が締め付けられる。風影の顔を見る事が出来ずに、片膝をついたまま床から視線が上げられない。
「……申し訳、ありません」
 ぎちりと奥歯が鳴り、握りしめた拳が白くなっていた。
 逃げてしまった罪悪感。自分は悪くないと大声で喚きたい衝動、それもまた、自責の念を払拭せんがための回避行動。
「テマリには随分高尚な事を言ったようだが?」
「――あれは……多分テマリ様に言うことで自分に言い聞かせていたのでしょう」
 きっと何も分からない素直な子供に言うことで、テマリが自分をそういう目で見ているのだから、と自身に箍(たが)をはめた。
 それなのに、安心できるところを探している? 私達が支える? 安心できるところなんだと分かって貰う?
 綺麗事で絵空事だと自分自身が証明してしまった。こんなはずじゃなかった。こんなはずでは、なかった。
「夜叉丸。我愛羅と目が合ったことがあるか?」
「? ええ、まぁ、何度か。……それが?」
 藪から棒に何だと思った。顔を上げると風影は手を休めて机の上に肘をつき、口元を隠すように両手を組んで目を伏せていた。
「あの子は誰とも目を合わせない。――だがお前は目が合ったと言う。そのときの状況がどういったものであれ、少なくとも我愛羅の世界にはお前がいるということではないのか?」
 有り得ない、笑えない冗談にしては質が悪すぎる。あの、全てを見下し自身を孤独に置き去りにするような無機質な瞳に背景でも環境音でもなく自分が映っていると?
 我愛羅との関係性に希望も期待も執着も、持つことをやめようとしていたのに、どうして。
「どうして期待させるようなことを言われるのです」
「――期待しているからだ。我愛羅と一番長くいるのもお前、よく知っているのも夜叉丸、お前だ」
「知りません、何も。――何も知らなかったからこうなったのです。返ってくるのは要領を得ない答えばかりで、私には我愛羅様の心の内が分かりません。理解の外です」
「……何故だ何故だと問うばかりではあの子も答え辛いだろう。――自分でも自分の心がよく分かっていないときもある」
 風影は椅子の背もたれに身体を預けると、顔を背けるように椅子を少しばかり回転させた。
「俺は『風影』だ。あの子の為にだけ心を砕くことは出来ん。……だから、あの子のことを諦めないでやってくれ」
 遮る物がなくなり朝日が直に目に届く。逆行で風影の表情は伺えなかったが、その声色には只ひたすらに我が子を思う親のソレだった。
「どうして我愛羅様とお会いにならないのですか」
 ふと湧いた疑問。風影はこんなにも我愛羅を思っているのに、実際に接する回数はテマリとカンクロウに比べて格段に少ない。
 こうして定期的に自分に報告させるのなら、会いに行けばいい。親子なのだから何ら不都合はないはずだ。
「嫌味を言っているのか? 俺はあの子の人生を踏みにじった張本人だ。のこのこどの面下げて会いに行けると言うんだ」
「……それもそうですね」
 あっさりと肯定した自分に素早く向き直り不満げにキッと鋭い視線を向けた風影に思わず笑みがこぼれた。
 実は我愛羅が三人の兄弟の中で一番この人に似ているんじゃないかと思ったのは、ここだけの話だ。


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