蜃気楼
※死者登場注意

 ナルトが砂隠れにやってくると、馴染みの門番がまるで自里の忍を迎え入れるように気さくになった。街ゆく人に顔見知りも増え、『風影の恩人』として誰もがナルトに暖かく接してくれる。
 我愛羅とナルト、二人の関係に勘づいていてなお、何も言わずに見守ってくれているのは言わずもがなだった。
 歩きなれた廊下を風影の執務室に向かって歩く。窓から臨む砂隠れの里の風景は、初めこそ木ノ葉と違ってよそよそしいとアウェー感を覚えていたが、我愛羅の居場所なのだと思うと身近に感じられ、今では愛着のようなものさえ湧いている。
 そろそろ執務室に着く頃だと窓から正面に視線を戻すと、執務室の扉の前に男が一人立っていた。
 金髪が少しくすんだようなサンディブロンドに柔和な女顔で、着ている忍服から砂の忍なのだと判った。
 その人が誰であったのか、どこかで見たことがあるような気もするのに記憶を一通り舐めてみてもどうにもこうにも思い出せない。そもそも自里でない以上見知らぬ忍の方が多いのだから、馴染みの薄い顔がいても当たり前かと納得しかける。
 だが、その人物の柔和な雰囲気に反してじっと扉を見詰めて佇むその表情が思いの外厳しく、ナルトは思わず声をかけていた。

 ――情けないと思うだろうか、未練がましいと思うだろうか。こんな姿になってまで傍にいる自分を、あの子は笑うだろうか。
 気が付いたらここに――風影の執務室の前に立っていたのだ。初めは意識もなく目の前の景色を眺めているだけだったが、ゆっくりと覚醒していく意識の中で、段々と自分を思い出していく。
 戦争で死んだ両親のこと、姉のこと、主である風影のこと、その子供達であるテマリとカンクロウ、そして最後に思い出したのは、あの子の――我愛羅の事だった。
 風影の執務室にその部屋の主として出入りしている事に酷く驚いたものの、父である四代目の後を継いだのが我愛羅であることに喜びを感じずにはいられなかった。
 かつて思った通りにあの子は美しく成長した。身内の贔屓目抜きにしても里の誰よりも美しかった。堂々とした立ち振る舞いに落ち着いた言動、思案する横顔はどこか四代目に似ていた。
 もっと近くに行きたい。そう思うのに、見慣れた風影の執務室の扉を前に佇んだまま、足裏を縫い付けられたようにそこを動くことが出来なかった。体が動かせない訳じゃないのに、何度も何度も通った扉がまるで彼岸と此岸の境の様で、近付くなと拒絶されている気がしてそこから先に進むことが出来なかった。
 里長として立派にやっているのだから、もう自分が見守る必要はない。見守る必要は、ないのに――。
「なぁ、入らねーの?」
 その時、誰にも見えないはずの自分に少年が声をかけてきた。驚かなかったと言ったら嘘になる。意識がはっきりしてから今までの長い時間、自分を認識できた者などいなかったのだから。
「どーしたんだってばよ?」
 眩しい金髪に空色の瞳、頬に走る髭のような特徴的な痣。忍ぶ気があるとは到底思えないオレンジ色と黒のジャージ。それに、木ノ葉の額当て。ついまじまじと見てしまったが、目の前の少年は訝しむ様子もなく首を傾げるだけ。この少年は自分という存在が普通は見えないものだと分かっていないようだった。
 ならば好都合だと、笑顔を作って此岸の者のフリをした。
「木ノ葉の方ですね、任務ですか?」
「いんや、任務が早く終わったから、我愛羅の顔を見に寄ったんだってばよ」
 いや、あいつの顔が見たくて早く終わらせたんだっけか? と続ける少年の言葉に耳を疑った。一瞬聞き間違いかとも思ったが、確かにあの子に会いに来たと言った。
 一体なぜ? 木ノ葉の忍が何の用であの子に会いに来る?
 同盟を結んでいるとはいえ、一忍が他里の長に単身で会いに来るものだろうか?
「……どうして、わざわざ……?」
「え? 何でってそりゃあ……」
 訝しんでますと言わんばかりに声が低くなってしまったが、少年はそれを気に留める様子もなく気恥ずかしそうに頬を人差し指で掻きながら言葉を濁した。
 ――すぐに分かった。この少年はあの子を好いているのだと。
 あの子に恋をする少年。もうそんな年頃なのか……と時の流れをありありと感じて物思いに耽りそうになってしまったが、少年の態度を見て、なんとなくだがきっと、あの子もこの少年を嫌っては、否、もしかしたら少なからず思っているのではないかと、そんなような気がした。
「……そうですか」
 ――ああ、大丈夫だ。大丈夫、大丈夫なんだ。……あの子はもう、大丈夫なんだ。
 安堵と寂しさが胸中に溢れた。娘を嫁に出す父親の気分ってこういうものなのかと思ったが、そんなことを言おうものなら「オレの立場はどうなるんだ」と義兄に怒られそうだった。
 そんな時だった。
「あ、やっぱりいた」
 執務室の扉が唐突に開き、忍が一人顔を覗かせた。
「風影様がドアの方ばっかり気にするから何かと思ったら、ごめんねナルトくん。風影様もう少しかかるから、あとちょっとだけ待っといてもらっていいかな? ホントごめんね」
 そう言うや否や忍は少年の返事も聞かずに扉の向こうに引っ込んでしまった。
「風影様は今お忙しい様ですし、少し話しませんか?」
「オレは別にいいけど、アンタは用事いいのか?」
「ええ、私のはいつでもいいことですから。……時間だけはたっぷりあるんですよ」
 自嘲した。きっと自分の顔は皮肉に歪んでいるのだろうと思った。
 用事なんてあるはずもない。自分がここにいるのはきっと、あられもない独りよがりの、未練だ。

 場所を移したのは風影の執務室から少し離れたところにある、ベンチと自販機が置いてあるちょっとした休憩所だ。
 昔からひと気のない場所だったがそれは今も変わらないようで、先客はおらず誰かが来る気配もなかった。
「私もナルト君って呼んでいいですか?」
「おう、いいってばよ。そういうアンタは誰だってば?」
「私は――夜叉丸といいます」
 少し迷ったが名乗った。自分の名を知るものがこの里にいたとしても恐らく少数。少年を困らせることになるとは思えないし、少しだけ、あの子に伝わればとの打算もあった。
 それからナルトという少年と色々な話をした。
 屈託のない笑顔が少しだけ眩しかった。
 少年の父親が四代目火影だと知った時は酷く驚いた。少しだけ四代目火影の話をすると物凄く食い付かれたが、先代の風影様ならともかく、自分はあまり良くは知らないのだと言うとあっさりと引いた。
「なんかさー、さっきっからオレの話ばっかしてねーか? はい、次はヤシャマルさんの番な!」
 ――話? 彼岸の者が此岸の者に何を話すのだろう? 泣きごと? 世迷言? 恨み節?
 縋りたくなってしまう。誰の目にも、あの子の目にさえ映らなかった自分を見ることができるこの少年に出会ったのは、天が与えた慈悲なのではないかと。
 無意識の内に口を開いていた。
「……昔、大切な子がいたんです。だけど私は、裏切ってしまった。あの子の心を引き裂いて、あんな、私の我儘で。ただ幸せになって欲しかっただけなのに。……馬鹿みたいでしょう? 自分から突き放した癖に離れられないんです。今更どうにもならないのに、見ていることしかできないのに……。今でも最後に見たあの子の表情が忘れられない。そうしたのは自分なのに、自分でそう、選択したのに……」
 絞り出すように言葉を吐き出し、顔を覆った手で前髪をぐしゃりと握り込む。
「……でもさ、そいつも分かってんじゃねーのか? そんだけ大切に思ってたんなら、伝わってないわけねーってばよ」
 茶化すでもなく、反応に困って口をつぐむでもなく、耳触りのいい言葉を吐くでもなく、正真正銘、少年の言葉だというのが分かった。
「そう、でしょうか……」
「……ヤシャマルさんってば何でそんなにネガティブなんだってばよ」
「私は恨まれても当然なことをしたんですよ?」
 さっき会ったばかりの人間の話を真剣に聞くことができるのだ。きっと優しい子なのだろう。人と本気で向き合える子なのだろう。――そうか、だからこの少年はあの子のことを。
「だからって――」
「ナルトくーん、風影様空きましたよー」
 執務室の方から少年を呼ぶ先程の忍びの声が聞こえた。
「おー、わかったってばよー。あれ、ヤシャマルさんは行かないのか?」
 立ち上がる素振りすら見せなかったからだろう。
「私は遠慮しておきます」
「何で? 用事があったんだろ?」
「もういいんです。もう、大丈夫ですから……」

 だって、きみがいるじゃないですか。

「……ナルトくん。我愛羅様には、傍にいてくれる人が必要なんです。そしてそれは物理的な距離の話ではありません。――私はなぜ自分がここにいるのかずっとわからなかった。だけどやっとわかりました。……君に会えて、本当によかったです」
 柔らかい微笑みと共に、サンディブロンドが揺れた。目尻からこぼれた滴が光の粒になって消える。
「アンタ――」
「ナルトくん?」
 誰だ? と、続くはずの言葉は第三者の声によって遮られ、反射的に声の方へ振り向いたことにより、そのまま喉の奥へ消えてしまった。
「あ、いた。よくこんな場所知ってたね」
 ここら辺誰も来ないのに、と廊下の角から休憩所に顔を覗かせた忍は言う。はっとしたナルトが振り返っても、そこには誰もいなかった。
「……え?」
「なに? どうかした?」
「今ここに――……いや、何でもねぇ。今行くってばよ」

 用事が済んだらしい忍と入れ替わる形で執務室に足を踏み入れた。
 我愛羅は窓枠に手を置いてじっと外を見つめていた。ナルトが入って来たことに気付いていないのか、気付いていてあえてそうしているのか、こちらに振り向くことはない。
 ならばと足音を消し気配を潜めて我愛羅にそっと近付くと、ナルトはその細い肩を後ろから抱きしめる。驚いて振り向いた我愛羅に悪戯が成功したかのような笑みを向けた。
「何見てたんだ?」
 髪や瞼にキスを落として軽く触れるだけの口付けを交わす。
「……昔のことを少し、思い出していた」
 抱き締めるナルトの腕に添えた手が少しばかり握られた。
 ふと、先程の人物が誰だったのか、ナルトは唐突に思い出した。
 随分前になるが、気乗りしない様子の我愛羅に頼み込んでアルバムを見せてもらったことがあった。その中の数枚に幼い我愛羅と先程の人物が一緒に写っていたのだ。
 幻のようにいつのまにか掻き消えてしまっていたその人は、写真と全く変わらない姿だった。
 ――ああ、そうか。
「どうした?」
 不思議そうに顔を覗き込んでくる我愛羅の前髪を寄せて、露わになった額に刻まれた『愛』に口付ける。
「何でもないってばよ」


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