神無月
 何の変哲もない賊退治のはずだった。それなのに案外しぶとく賊は逃げ回り、やっと捕らえた時には国境を越えて火の国にまで入り込んでしまっていた。
 国境付近での木ノ葉の忍と一触即発、あわや戦争の危機――とまではいかなかったが、そうなってしまった経緯を報告しに我愛羅は木ノ葉隠れの里に来ていた。
「こちらでも調整はするが、まぁ、国境警備にあたっていた忍達との話も付いているようだし、大きな問題にはならないだろう」
「我々の不手際で申し訳なかった」
 執務机で報告書に目を通している綱手に向かい我愛羅は頭を下げる。その後ろでは賊に逃走を許してしまった忍が同じく頭を下げていたが、周りの者が気の毒に思ってしまうほど真っ青な顔だった。
「それはそうと――」
 綱手は報告書を置くと視線で我愛羅を指名し、ちょいちょいと人差し指で呼んだ。口頭でではなくあえてそうした綱手を察して、我愛羅は後ろに控えていた班員に執務室の外に出るよう指示をすると机に近付いた。
「この後ナルトに会いに行くんだろう?」
 正にそのつもりだったので内心ドキッとしたが、何も悪い事をするわけじゃないのだと冷静に答える。
「ああ、顔を見てから里に帰ろうと思っている」
「……そうかい」
「ナルトがどうかしたのか?」
 綱手は肘を付いて物憂げに口元で手を組むとその勝気な瞳を少しばかり伏せた。
「風邪を引いてるんだが、私が診てやると言っても寝てれば治るの一点張りでな。後で自分で行くと言っていたが、多分病院には行ってないだろう。今日は外に出たがらないだろうし、気にかけてくれると有り難いんだが……」
「外に出たがらない?」
「まぁ、何だ。珍しく風邪を引いて気が滅入ってるんだろ」
 綱手は何かを誤魔化すように、近くの書類を引き寄せながら言った。
 その態度にはもうこれ以上詳しく言う気はないとの意思がはっきりと見て取れたが、我愛羅はどうにも腑に落ちないような中途半端でもやくやとしたものを覚えた。
 執務室から出て班員と合流する。「何の話だったんですかぁ……!」と半ベソ状態の班員を適当に慰め、火影邸の外で暫しの解散を言い付けている最中もその心中のすっきりしない原因を探していた。
 何かを、忘れていた。

 最悪だ。ついてないにもほどかある。選りにも選ってこんな日に風邪を引いてしまうなんて、お陰で任務にも行けやしない。
 布団の中は自分の体温で変に温まって気持ち悪いのに、布団を被らないなら被らないで寒い気がする。汗をかいた寝間着を取り替えたいが、ベッドを抜け出て着替えるなんてそんな気力すら今のナルトにはなかった。
 ずっと寝ている所為で体が重い。時間感覚が狂っている。昼間なのは外が明るい事から判るが、今が昼間のどの辺りの時間なのか検討もつかなかった。いつも聞こえてくる里の雑踏が絶対的に少ないのもその一因だろう。外が、異様に静かだった。
 ……理由なんて解っている。今日は、自分が生まれた日だからだ。
「っ……」
 ナルトは胸の絞扼感を上書きするように寝間着の身頃を握り締めた。
 ――だからこの日は里に居たくなかったのに。
 そんな思いで心の内を満たしながら。

 それからどれくらいの時間が経ったのか判らなかったが、ふと、ひんやりと冷たいものが額に触れた。
 その温度の心地よさを不思議に思って瞼を開けると、ロールカーテンを閉め切った薄暗い室内に人影が浮かぶ。
 ベッドの端に腰掛けるようにして自分を見下ろしている、白い顔に赤茶色の髪の人影。
「我愛羅……?」
 確かめる様に名を呟く。ずっと瞑っていたせいで霞む視界が明瞭になるにつれて人影がはっきりとしてきた。やはりそこにいたのは我愛羅だった。
「すまない。起こしてしまったか?」
 額から重みがなくなり、あのひんやりとしたものは我愛羅の手だったのだと気が付いた。
 どうして我愛羅がここにいる?
 問おうと口を開きかけたが、砂隠れの里にいる筈の我愛羅が木ノ葉にいる訳がないのだ。今日に限って人の気配を察しそこねるなどあり得ないのだし、どうせ風邪の熱にでも浮かされているのだろうとナルトは自己完結した。
 夢なら夢で一向にかまわない。せっかく我愛羅がいるのだから、普段会う事が出来ない分、せめて夢の中くらい一緒にいたいと思った。
「凄い汗だな、着替えるか?」
「……あー、うん……着替えたい……」
「待ってろ、今お湯とタオルを持ってくるから」
 薄暗い部屋の中を動き回ったり台所の方へ行ったり来たりしている我愛羅をぼんやりと眺めながら、何だか妙に現実的な夢だなと思った。

 新しい寝間着に着替えて再び布団に潜り込む。清拭されてさっぱりしたお陰かさっきのような不快な暑さは感じなかった。脱いだ寝間着を洗濯機に持って行った我愛羅が洗面器を持って戻ってきた。
 ちゃぶ台にそれを置くと、ちゃぷ、と水の中に手を入れる音がした。
「……なぁ我愛羅。神様って、いると思うか?」
 ナルトはぼうっと天井を眺めながら半ば無意識に口を開いていた。夢なのだから応えが返って来ようが来まいがどちらでもよかった。
 タオルの水を絞っていた我愛羅の手が質問の意図を図りかねた様に止まる。
「信仰はしていないが、いるかもしれないとは思う」
 少しの沈黙の後、我愛羅はそう答えた。
 水を絞り切る音がしてナルトの額に固く絞ったタオルが載せられた。冷たくて気持ち良かったが、我愛羅の手の方がよかったなと思った。
「へぇ、意外だってばよ。我愛羅のことだから、いる訳がないって一蹴すると思った」
「単にいないことを証明出来ないから、いるかもしれないと言っただけだ」
「……お前の言ってる事って一々小難しいんだよなぁ」
 落ち着いているが暗く掠れた声でぽつりぽつりとナルトは話す。床に座っていた我愛羅はベッドに寄り掛かりそれを黙って聞いていた。
「外、静かだろ?」
 今日の木ノ葉隠れの里はナルトが知っている木ノ葉とは違っていた。暗くて静かな精彩を欠いた雰囲気で、人々に覇気はなく、色彩もどことなく『黒』が増えていた。風向きによっては墓前に供えたのであろう花や線香の匂いが鼻を掠めた。
「自分が何なのか知らない頃はさ、何で自分の誕生日がこんな日と重なるんだって嫌で仕方なかった……。オレの中に九尾がいるって知ってからは里にいたくなくてさ、じーちゃんとかばーちゃんに頼んで、里にいなくてすむように任務入れてもらってたんだってばよ」
 目に見えなくとも未だに九尾の爪痕がこの里に残っているのだと、嫌でも思い知らされる。
 物陰から自分を忌む目を向けられ、耳を澄ませば悪意が聞こえる。そんな気がして仕方なかった。
「病人は黙って寝ていろ。余計なことを考えて無駄な体力を使うな」
 無意識に布団の上で握り締めていたナルトの拳を、もうそんな話はやめろと言う様に我愛羅の手が包む。けれどもその労わる様な手を意識すればするほど、その手と対照的な感情がじくじくと滲み出てくる。
「神様のいない月に生まれるなんて、オレってば本当に嫌われてんだな……」
 ナルトは無理矢理絞り出したような震えた声でそう言い、自嘲的な笑みを口元に浮かべた。
 神様ですら自分を遠巻きにするのだ。もしも自分が『普通』の人間だったとしても、今と何ら変わりないかもしれない。それどころか、人柱力でない自分の事など誰も見向きもしないかもしれない。
「ナルト、手が傷む」
 自閉的になっていた思考にすっと届いた声。
 力が入り過ぎていた拳を我愛羅が解くと、そこにはくっきりと爪痕が残っていた。赤い三日月にも見える爪痕が並ぶナルトの手のひらに視線を落としたまま我愛羅は言葉を紡ぐ。
「神様のいない月、か……くだらんな。むしろお前がそんな事を知っていた事に驚きだ」
「あのなぁ……オレだってそんくらい知ってるっつーの。どっかに全部の神様が集まって一年の事を話し合うんだろ?」
「そうだな。だから一般的には神無月と呼ばれているが、お前の言うどこだかでは反対に神在月という。いないどころか掃いて捨てるほどいる。奴らがそこで何をしているか知ってるか?」
「何してんだ?」
「縁結びの相談だ。想像してみろ、日がな一日宴会ついでに誰と誰を番(つが)わせるか話し合ってるんだ」
「……神様もお前にかかったら形無しだってばよ……」
「そもそも神無月の語源は『神を祭る月』『神の月』だ。『無』という字は『の』を意味しているのであって非存在の意味ではない。だから、いるだのいないだの、そんなつまらないことをお前が気に病む必要はどこにもない」
 単に我愛羅は知っていることを話しただけなのかも知れなかったのだが、もしかして慰めてくれているのだろうかと、そんな都合のいいことを考えずにはいられなかった。
「解ってるけどダメなんだ」
 信じたいのに、信じきれない。
「仲間だの何だの言ってっけど、ホントはどーなんだって疑ってる自分がすげー嫌……」
 瞳の奥に何かを見てしまいそうで、皆の目を見ることが出来ない時が未だにある。
 我愛羅の手を取って頬を寄せるナルトの姿は、痛みに耐えているようにも、御手(みて)に縋り祈っているようにも見えた。
 自分と『同じ』我愛羅なら自分の気持ちを解ってくれる――なんて、こんなことを思いたくなかった。思って良い筈がなかった。我愛羅を自分と同じだと思うことは、自分をバケ狐として見てきた奴らと同じになってしまう。
「っ……」
 涙腺が緩んでいるのも多分きっと熱のせいで、それでも、どうしようもなく我愛羅のこの手を離したくないと思うのは――。
「もう休め」
 手のひらが瞼を覆い、やわらかい闇の中で滴が一粒こぼれ落ちた。

「……寝ながら泣いてたとかマジありえねー……」
 涙の跡がぱりぱりしている目尻を拭いながらナルトは体を起こして薄暗い部屋を見渡した。風邪を引いたのなんか本当に久しぶりで、今日という日が重なったのも相まって色々と混乱していたようだ。
 だから、我愛羅が自分の所に介抱に来てくれるなんて都合のいい夢を見るのだ。
「やっぱりいねーよなぁ……」
 人の気配などさらさら感じない部屋に自分の掠れた情けない声だけが響く。ナルトは溜息をつくと起こしたばかりの体から力を抜き、そのまま前のめりに顔を布団に埋めた。
「ん?」
 そしてそこに違和感を覚えた。布団に埋めた顔に感じる布団とは違う、まるで湿ったタオルのような感触。
「起きたのか」
 不意に聞こえた声に思わず跳び起きた。声がした方を見ると我愛羅が今まさに買い物から帰ってきましたという体で袋を手に提げて台所の方から顔を覗かせていた。
「なっ、何で我愛羅がいるんだってばよ!?」
「……あれだけ話しておいて今更そこなのか?」
「え、オレ、何言った……?」
 ガサゴソと買い物袋から何かしらを冷蔵庫に仕舞いながら言う我愛羅の言葉にドキッとした。
 もしかして夢ではなかったのだろうか。どうせ夢なのだからと胸の内を曝け出して、あまつさえ感情が高ぶって泣いてしまったなんて、だとしたら非常に情けなさすぎる。
 ナルトに追い打ちをかけるように、起きた時に額から落ちたのだろうと思われる折り畳まれたタオルが目に入った。
「安心しろ。何を焦っているのかは知らないが、おかしなことは口走っていなかったぞ。汗をかいたとか、喉が渇いたとか、お腹が空いたとか、そんなような事だ」
「そ、そっか……、変な夢見ちまったから焦ったってばよ」
 ナルトからは死角になっている台所で我愛羅が複雑そうな表情をしていたのをナルトが知る事はなかった。

「我愛羅ってば料理出来たんだな」
「人並みにはな」
 ナルトは思わず目の前に置かれた料理に感嘆の声をあげた。
 料理と言っても手の込んだものではなく、膝の上のお盆に載る一人用の土鍋の中で湯気を立てる玉子粥なのだが、主食がカップラーメンで、誰かの手料理など滅多に食べる機会がないナルトにとってそれはとても輝かしいものに見えた。幸せな重さがじんわりと膝にかかる。
「熱いから気を付けて食べろよ」
「えー、そこは『あーん』ってするとこじゃねーの?」
「馬鹿言ってないでさっさと食べろ」
「あー、何か急に熱が上がってきたみたいだってばよ……」
「お前な……」
 額に手を当ててあからさまにぐったりとするナルトに盛大に呆れつつも、レンゲに掬った一口分のお粥に息を吹きかけて冷ましてから口元へ持ってきてくれるのだから、何だかんだ言って我愛羅はナルトに甘かった。しかしそれも最初の三口目までで、残りは面倒だと言ってしてくれなかった。
「ナルト」
「んー?」
 我愛羅が食べさせてくれないのでセルフでお粥を口に運んで咀嚼していると、改まった様に名前を呼ばれた。
「誕生日おめでとう」
 生返事で気にも留めていなかったナルトにとっては不意打ちだった。
 大きく見開かれたナルトの空色の瞳が我愛羅を見た。我愛羅は我愛羅の機微に敏感なナルトですら判るか判らないかで微笑んでいた。けれどもそれは我愛羅が笑顔を作るのに慣れていないだけであって、精一杯の笑顔なのだとナルトには分かっていた。
 我愛羅の顔を見た瞬間、箍が外れた様に感情が決壊した。喉が震えて、目頭が痛いくらいに熱くなる。胸の奥が、打ち震える。
「っ、ありがと、だってばよ」
 我愛羅が自分の存在を肯定してくれる。なぜだかそれだけで全てが説明出来てしまうような気がした。今日と言うこの日を少しだけ好きになれそうな気がした。
 夢の中で我愛羅に言われた言葉がナルトの脳裏に蘇る。
 もし神様がいたとして、本当にそんな事をしているのだとしたら、きっと我愛羅は神様が結んでくれた縁なのだ。




140619:修正


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