my back
 自室の扉を叩く音が耳に入り、カンクロウは傀儡を弄る手を止めた。思わず気配を潜めて音源である扉を凝視してしまう。
「……」
 姉のテマリなら「おいカンクロウ、いるんだろ」などと言いながら扉を叩くという些か乱暴な感じになるのだが、今鳴らされたノックは姉のそれとは似ても似つかないごく普通のものだった。
 だからこそ、恐ろしかった。なぜならテマリは木ノ葉へ行っていて、予定通りならば明日まで帰ってこないからだ。ならば一体誰が部屋の扉をノックしたのか、答えは一つしかない。そう、妹の我愛羅である。
 カンクロウは視線で穴が空きそうなほど扉を見つめて、部屋と廊下を隔てる厚さ数センチの板の向こうにいるのであろう我愛羅の出方を窺った。……決して居留守を使っているわけではない。
 一拍、二拍、三拍と間が空き、四拍目を数えようという時だった。

 ――コンコンコン。

 ある程度予測し心の準備をしていたのにも関わらず、肩が跳ねて持っていた工具が手からこぼれた。まずい。そう思ったが後の祭り、カンクロウの目が捉えるのは道具箱へと吸い込まれるように落ちていく工具で、その後どうなるかなどは考えるべくもない。何とか道具箱へ落ちる前に掴もうとしたが、その努力虚しく他の工具とぶつかり合いながら派手な金属音を立てて道具箱へ落ちていった。
 やっちまった! ぶわ、と全身から冷や汗が噴き出し咄嗟に我愛羅がいるであろう扉に目をやる。
「……カンクロウ?」
 しばしの沈黙の後に扉の向こうから聞こえた、訝しむ様な低い声。
「な、何でもねーじゃん! 今開けるから少し待ってろ」
 流石に、いくらなんでも我ながら怪しすぎる挙動をどうにかこうにか取り繕い、カンクロウは深呼吸すると立ち上がって扉に向かった。

「腕が取れた」
 扉を開けて開口一番にそんなことを言いながら、我愛羅が傀儡を抱えて立っていた。カンクロウはドアノブに手をかけたまま愕然とする事になる。我愛羅が自分の部屋に来たことにではなく、傀儡の状態にだ。然程汚れていないことから掃除はしているようだが色んな箇所が緩んでいるし、腕が外れた肩関節からは裂け解(ほぐ)れた腱がぶら下がっている。技術的な手入れをした痕跡が全くないと言う、傀儡師ならばあり得ない有様だった。
 端的に言ってしまえば傀儡はただの道具だ。そんなことは重々承知している。だが、戦う術(すべ)として傀儡に命をかけている傀儡師にとって傀儡は何よりも大切なものだった。
 それを、よくもこんな有様に。
 自身と同じくらいの大きさの傀儡を抱えて部屋の前で佇む我愛羅は、まるで玩具を壊しておきながら何故壊れたのか判らない解ろうともしない、小さな暴君のようだった。この粗末に扱われるだけの傀儡が我愛羅にとっての他者、我愛羅が圧倒し命を握り潰してきた者達に否が応でも重なってしまう。
 傀儡を抱える白い細腕と壊れた傀儡の組み合わせが、酷く異様なモノに見えた。
「……だから何だよ」
 自分に直せと言っているのか? 大体、碌な手入れの仕方も知らずに傀儡を扱おうとするのが間違いなのだ。
 今の返答が大人気なかったことは自覚している。我愛羅の反応が怖くないと言えば嘘になるが、傀儡の有様を見てカチンときたのは事実で、傀儡師としての矜恃がそうさせたのかもしれなかった。
 自分の傀儡を自分で手入れしない傀儡師は往々にして傀儡に愛着を持たず使い潰してはまた新しい傀儡を使う。それも傀儡の使い方の一つではあるが、カンクロウは傀儡を手裏剣やクナイのように消耗品として扱う傀儡師が好きになれなかった。勿論我愛羅は傀儡師ではないし、今ここで自分がこの傀儡を直してしまうのは簡単だが、多分その行為はこの場にいる誰の為にもならない。この傀儡は無意味に使用期間を引き延ばされ消耗されて廃棄されるのが末路だ。
 カンクロウの沈黙を我愛羅がどう解釈したかは知れなかったが、我愛羅は視線を下に外して少し考えるそぶりをすると、まっすぐカンクロウの目を見て言った。
「どうしたら直るのか教えてくれないか」
 うむ、この頼み方ならOKだろ。とでも言いたげな、若干満足そうな様子の我愛羅に拍子抜けした。
 そもそも、我愛羅でなくとも傀儡師でない忍なら大抵が我愛羅と似たような感じだろうし、掃除をしているだけもしかしたらマシなのかもしれない。腹立たしさが収束するに連れて、こんなことに腹を立てていた自分が阿保に思えてきた。
「あー、まぁ、とりあえず入れよ」
 カンクロウは後頭部を掻きながら、傀儡の部品やら工具やらで散らかった部屋のどこに妹を座らせようかと溜息をついた。

 とりあえず状態を確める為に傀儡を床に横たえさせる。工具を箱に放り込んだり部品を適当に端に寄せたりして作ったスペースに我愛羅は座っていた。
 我愛羅が持ち込んだ傀儡をよくよく見てみると、妙な既視感がある上にやけに手に馴染むのだ。はてさて何故だろうと、カンクロウが不思議に思いながら取れてしまった方の腕の内側に目をやると、そこには見知ったとある印があった。
「これ、オレが作ったやつじゃん……」
 何でお前がこんなものを持っている? そんな意を込めて我愛羅を見ると、こてんと我愛羅は首を傾いだ。
「物置で埃を被っていたから要らないものだと思ったんだが、まずかったか?」
「いや、そうじゃねーけど……」
 我愛羅がどこで傀儡を手に入れたのかなんて考えたこともなかったが、言われてみればこの家の中で見つけたというのが可能性としては高かったのだ。
 カンクロウは記憶を呼び起こすように傀儡の感触を確かめた。初めて一から作った傀儡で、完成したばかりはこの世で一番完璧で素晴らしい傀儡を作ってしまったのではないかと半ば本気でそう思っていた。だが時間が経つにつれて客観視が出来るようになってくると、あんなに完璧だと思っていたのに粗ばかりが目に付き始め、黒歴史というか己の技術の未熟さから目を逸らし隠すように物置の奥に放って置いたものだった。この頃は悪戦苦闘していた多重関節も、今では然程苦も無く作ることが出来るようになっていた。
「しかし……今見るとひでぇ出来じゃん」
「そうなのか?」
「左右非対称で自立すらしない。これじゃあ操り手は無駄にチャクラを消費するだけじゃん」
 傀儡師仲間が「出来の悪い傀儡を操るのと、度の合わない眼鏡をかけるのは似ている」と言っていて、あぁ成程なと思ったが、眼鏡を掛けている訳でも傀儡を傀儡として使用している訳でもない妹には今一その感覚が分からなかったらしく、曖昧に頷きながら首を捻っていた。
「そんじゃあ、やるか」
 ざっと見ただけでも、腱の取り替え、ヒビの補修、関節の異物(主に砂)除去、関節の骨棘(こつきょく・刃物を研いだ時に出来る刃返りみたいなもの)の切除、等々。時間は掛りそうだが出来るだけ手出しはしたくない。道具箱を引き寄せ我愛羅が使えそうな工具を見繕う。
「まずは――」
 自分の指示通りに作業を開始した妹を、カンクロウは胡坐に頬杖をつきながら漠然と眺めた。

 ――幼い頃は風影である父親に憧れていた。強く厳しくそれでいて時折見せる優しさがあった。カンクロウにとってはこの里の誰よりもかっこいいヒーローだった。
 ……母親のことはあまりよく覚えていない。
 我愛羅が内なる化け物に飲まれて暴走した時、我愛羅を救うのはいつも父親である風影だった。舞う砂金、目の周りに浮き出た隈取り、実質たった一人で異類異形のバケモノに立ち向かう姿をただ遠くから見ている事しか出来なかった。
 父のようになりたかった。父のように、妹を救えるようになりたかった。
 その時の風影の姿を真似るように始めた隈取りは、時が経つに連れ、自分では無理なのだと思い知らされるに連れ動機を失い、いつの間にか隈取りそのものが目的になってしまっていた。
 動機を失った隈取りは、そのまま我愛羅への恐怖に虚勢を張るための虚飾になり、そしてその虚飾は自分の矮小さを際立たせるだけだった。
 少し前に、テマリに我愛羅の変化の話をしたのだが、その時に「お前も似たようなものだったぞ」と呆れ顔でテマリに言われたのは、妹である我愛羅に怯え、恐怖の対象として見ていた歪みが残虐性であったり好戦的な性格として現れていたのだろうとか、そんな内容だったような気がする。見透かされたというか気付かされたというか、全くもって愉快でない心情に胸の内で舌打ちをしたのを覚えている。
 こんな風に妹と接するようになる日が来ようとは、想像すらしていなかったのだ。

「っ……」
 知らぬ間に思考に沈んでいたらしく、カンクロウは我愛羅が不意に上げた小さな声で我に返った。
「どうした」
「少し、切っただけだ」
 小刀が当たったのだろう。我愛羅は微かに眉間に皺を寄せながら指先を唇に当てて血を吸い取っていた。
 その時、嫌味でも何でもなく「こいつも怪我するんだな」と思った。
 傷を洗いに行かせ、その間に救急箱から絆創膏を用意する。さっきまで我愛羅が作業していた傀儡のパーツを手に取って見ると、成程、案外手先は器用な方のようだった。
「すまない」
「謝ることじゃねーじゃん」
 絆創膏を貼る為に差し出させた手は想像以上に華奢で白かった。日に当たり過ぎると火傷のようになるのだと、聞いたことがあるような気がする。
 白い指の先に滲む赤い傷は既に血が止まり塞がりかけていて、絆創膏を貼るまでもないかと思ったが、作業はまだ続くのだし、念のためということで貼っておいた。
 いつの間にかマニキュアによって黒く塗られるようになった爪は肌が白い分その色が強調されていた。見る者によってはあまり良い印象を抱かないのではないだろうか。
 そうだ、確か初めて我愛羅の爪が黒く塗られている事に気付いたのは『あの日』、我愛羅が暴走して大惨事を引き起こしたあの日から少し経った頃だ。――まさかこの黒は喪に服す黒だったとでもいうのだろうか?
「カンクロウ……?」
 動きの止まった自分を訝しげに覗き込んでくる妹からは以前の様な隔意が感じられない。接すれば接するだけ脳が違和感で埋め尽くされる。認識が誤作動を起こす。
 こんなに細い肩をしていたか? 背中はこんなに華奢だったか? 腕だって首だって、折ろうと思えば簡単に折ってしまえる細さだ。
 そこには、只々恐怖心を抱いていたときには気付かなかった、妹の姿があった。
 ふと、自分を覗きこむ我愛羅の唇の端に肌とは違う色があるのに気づく。
 無意識だった。唇の端についた赤い色を拭おうと手を伸ばして親指が唇に触れる寸前、我愛羅が眼を見開いて驚いたように身を引いた。
「……わり、血が付いてたから」
「いや……」
 行き場のなくなった手は引っ込めるしかなかった。我愛羅はカンクロウから顔を逸らして手の甲で口元を拭っていた。黙り込んだカンクロウとの間に流れる妙な雰囲気を感じ取ってか、ぎこちない空気の中、カンクロウ共々沈黙のままに作業を再開した。

「カンクロウ、終わった」
 我愛羅にそう声をかけられて、集中して詰めていた息を吐く。手を止めて、こまごまとした作業が終わったパーツを一つ一つ見ていく。
「ん、ああ。……いいんじゃねぇか? 傀儡として使うわけじゃねぇし、仕込みとかいらねぇんだろ?」
「このままでいい」
 それからどうにかこうにか組み立て終わり、一体の傀儡として目の前に立つ傀儡を我愛羅も感慨深そうに見ていた。今回を機にパーツの長さを調節してちゃんと自立するようにしたのだ。
 我愛羅がおもむろに両腕を上げると指先からチャクラ糸が延びて傀儡に繋がりぎこちなく動き出す。
「少しなら動かせるんだがな、やはり傀儡師のように上手くはいかないな」
 傀儡として使わないとは言っても、より一層らしくなった傀儡を目の前にして動かしたくなってしまうのは、傀儡師でなくとも傀儡の術の心得がある者ならば仕方のないことなのだろう。
「何つーか、動きが気持ち悪いじゃん……」
 そうカンクロウが言った通り動いてはいるのだが、軸がブレていると言えばいいのか重心が定まっていないと言えばいいのか、とにもかくにも形容しがたい奇妙さでカクカクギコギコと動いていた。
「だから言っただろう。少しだけだと」
 ぶっきらぼうに我愛羅はそう言い、チャクラ糸を断線すると重力に倣って傀儡は崩れ落ちた。
「操り方が甘いんだよ」
 我愛羅に代わるようにカンクロウが手を動かすと、まるで生きていると錯覚しそうなほど血の通った動きを傀儡は見せた。我愛羅が両手を使ってもあの有様だったのに、カンクロウは人差し指と中指だけであの動きをさせているのだ。
「……本業に敵う訳ないだろ」
 じと目で不満そうにカンクロウを見る我愛羅の瞳に少しばかり悔しそうな色が混じっていた。
「つーか意外じゃん。お前の事だから傀儡の術なんかとっくに忘れてると思ったのによ」
「忘れる訳が無いだろう。お前がわざわざ人形持参で部屋に遊びに来てくれていたんだ。嫌でも覚える」
「……そーかよ」
 すっかり治った傀儡の前で我愛羅が印を組むと、傀儡は薄煙と小さな破裂音を上げて手のひらサイズに縮む。
「カンクロウ、ありがとう」
「……おう」
 ぱたん、と閉じられた扉の前にカンクロウはしばらく佇んでいた。じわじわと胸の内に広がるのは面映ゆさだろうか。我愛羅が昔の事を記憶に留めていたことに多少なりとも驚きがあったが、つい口元が緩んでしまうのは、我愛羅が「忘れる訳が無い」と何でもないように口にしたことで、もしかして妹の中で自分の位置はその他大勢よりも妹に近い位置にあるのではないかと考えが至ってしまったからだった。
 カンクロウは中断していた傀儡の手入れを再開した。最近は傀儡を一から作ることは無くなっていたが、初心に帰ってまた作ってみようかと、そんな事を思いながら。




えーと、傀儡師は必ず一体は自分で作ってみて、そこから自分で作って使う派と量産型を使う派に別れる。量産型を使う派にも自分でメンテナンス派と使い潰し派があって、カンクロウは前者。って設定。


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