秋波
 ついまどろんでしまいそうな昼下がり。窓から差し込む光が午後ののんびりとした空気を程よく暖める。電線に止まる小鳥の地鳴きや路地を駆ける子供達のはしゃぎ声が少し遠くに聞こえ、より一層長閑さを演出していた。
 ナルトが今住んでいるアパートはペイン襲撃の後に建てられたもので、以前住んでいた部屋よりも幾分狭い間取りだったが、狭すぎて窮屈な思いをすることもなく広すぎて手が回らないこともない、単身者には十分の広さだった。
 任務で部屋を空ける事も多く、部屋の中は生活感よりも今だに新築の気配が色濃く残っている。
 木ノ葉に訪れていた我愛羅は先程まで火影達木ノ葉側と会談やら会議やらを行っていたがそれも滞りなく終わり、後は夜の会食が済めば全ての予定が終了するのだが、それまで時間があるからとナルトの部屋で過ごしていた。
 床に座りベッドに寄り掛かって本を読んでいた我愛羅の髪の毛を、ベッドの上で文字通りごろごろしていたナルトが弄ぶ。指に巻いてみたり、流れ落ちる赤い色を楽しんでみたり、弱く引っ張ってみたり、捩じってみたり。鬱陶しいと言ってもやめないことを知っているからか、我愛羅は我愛羅でナルトに好きなようにさせていた。
 しばらくはそうしていたナルトだが、遂に飽きたのか退屈そうに我愛羅の名前を呼んだ。
「我愛羅ー」
「……ん」
「なぁ我愛羅ってば」
「……何だ」
 ナルトが何度も呼ぶので仕方なしに振り返る。まず目に飛び込んできたのは眩しい金色の髪の毛で、次に気がついたのは唇に触れる柔らかい感触だった。
 驚きのあまり思考が一瞬フリーズし、ごと、と読んでいた本が我愛羅の手から滑り落ちた。数秒後に離れたナルトはさもイタズラが成功したと言わんばかりの無邪気な笑顔でこうのたまった。
「ちゅーしていい?」
「……してから言うな」
 これ以上ないくらいの無感動さでふいっと顔を逸らされ、怒らせたかなと我愛羅の様子を窺う。すると手元は本を拾い上げ読書を続行している体裁を整えていたが、向きは上下逆さな上に見当違いなページが開かれていた。それに加えて赤い髪から覗く耳はほんのりと赤みを帯びていて、不意打ちを食らって恥ずかしがっているだけなのだと知れた。
 ナルトは肘を立ててそこに頭を据え、にやにやしながら赤みを帯びた我愛羅の耳に触れる。
「本を逆さに読むなんて、我愛羅ってば器用だなー」
「……お前は案外意地悪だ」
 ジロと非難がましい視線を向けられても理由さえ分かっていればそれも可愛く見えてしまう。
「コイビトの部屋にいんのに本読んでる我愛羅が悪いんだってばよ」
 ナルトがそう言うと、我愛羅は小さな溜息をついて本を床に置き、ベッドに頬杖をついてナルトと視線の高さを合わせた。
「お前は嫌いか?」
「何が?」とナルトがキョトンとする。
「特に何をするでもなく一緒にいるのは嫌か?」
「んー、嫌いってわけじゃねーけど……こう、手持ち無沙汰っつーか何つーかさー」
「暇なのか」
「暇っつーんじゃないんだよなぁ」
「退屈なのか」
「ちょっと近くなってきたかも」
「……構って欲しいのか?」
「あー、うん。多分そう」
「……用事が済めば夜はゆっくりできる。その時にでもお前が心行く迄構ってやるから、大人しくしていろ」
「えー、でもどうせ宿に帰っちまうんだろー?」
 枕を抱きかかえて壁際までベッドを転がり、拗ねるように向けられたナルトの背中に我愛羅は言った。
「宿は取っていない」
「は?」
「だから、宿は取っていないと言っている」
 シーツに残るナルトの温もりを確かめるように手を這わせる我愛羅の、隈によって強調され、翡翠の玉を嵌め込んだような瞳が器用に首だけこちらに向けるナルトの空色の瞳を捉えた。そのまま暫し視線が通い、はっと何かに気が付いたナルトが同じく転がりながら元いた場所まで戻る。
「それって、綱手のばぁちゃんと飯食ったら帰るってことか?」
 大真面目にそう言うナルトの言葉を聞いた瞬間、苛立ちを表すように我愛羅の眉間に皺が寄った。何処からともなく駱駝色の砂が煙のように立ち上り、ナルトの周りを不穏に漂い始める。
「ちょ、何でだってばよっ!?」
「少しは察しろ」
「何を?」
「……もういい」
 それきり我愛羅はまた本を読み始めてしまい、話し掛けても徹底的に無視をされ、重苦しい気不味い空気だけが流れて行った。
 先程まで長閑さを演出していた、窓から差し込む午後の柔らかい光や路地から聞こえる人々の生活音が、場違いに虚しく無機質で息が詰まる。
 只々、時間だけが過ぎて行き、窓から差し込む光も影も薄くなっていった。室内と屋外の光度のバランスがもうすぐ逆転しようという時刻になると、我愛羅は徐に腰を上げ黙って出て行った。
 ドアの向こうに消える背中に声を掛けることも出来ずに、人が一人減った、それだけで広く感じる部屋にナルトの盛大な溜息が広がる。
「察しろっつったってよー、宿取ってないって、帰るって事じゃねーの? 泊まるけど宿取ってないなら、宿じゃない別の所に泊まるって事になっけど……って、アレ……?」
 ふと目に入った部屋の隅に置かれた自分のものではない荷物。それは我愛羅が来た時に持っていたもので、出て行く時には持っていかなかったものだった。
 ナルトは枕を抱えたまま、むくりと起きると口元を手で覆う。
「それってば、つまり……そういうコト、だよな?」
 と、頬をほんのり紅潮させて、確認と疑問が織り交ざった様な声色で呟いた。
 ぼすん、と枕に顔を埋(うず)め、あーだのうーだの譫言の様に呻いていたかと思うと、急にそわそわと無意味にベッドのシーツのシワを伸ばしてみたりする。けれど今更何をしたら良いのか分からず右往左往して結局疲れただけで終わった。
「よし、ラーメン食おう」
 腹が減っては戦はできぬ、と人は言う。
 台所の棚からカップラーメンを取り出して、ヤカンを火にかけた。程なくして注ぎ口から蒸気が出始め、甲高い笛の音が台所に響いた。既にビニールを外して蓋を開けてあったカップラーメンにお湯を注ぐ。時間を計るために見た時計の針は、我愛羅が出て行った時から然程進んでいなかった。
「早く帰って来ねーかなぁ……」
 ナルトの心情とは裏腹に、待っている時ほど時間というモノは遅く進むものである。


 我愛羅は一人、アパートの扉の前に立ち尽くしていた。
 なぜそうしているのかと言うと、部屋の中へ入る踏ん切りがどうにもこうにもつかないからだった。
 宿をとっていない理由を要領良く察してもらえなかったが為に自分勝手に怒ってしまったこともさることながら、腹立ち紛れに部屋の主であるナルトへ一言も声をかけずに出てきたことも我愛羅の足をこの場に縫い止めている要因だった。
 ナルトと我愛羅は「親しき仲」だが、それは礼を欠いていい理由にはならないし、改めて自分の言動を思い返してみるが、あまりにも自分勝手過ぎた。
 けれどあれは仕方がないのでは? とも我愛羅は思う。一層の事「お前の部屋に泊まるから宿は取っていない」と明け透けに言ってしまえば良かったのかもしれないが、そもそも自分はそんな性分ではないし、女としての恥じらいだって当然ある。
 だからこそナルトに何とか察しては貰えないかと誘導してみたものの、我愛羅の言葉が足りなかったのかナルトが鈍いのか、結果失敗に終わり今に至っている。
 このままここでこうしていても、ただ無意味に時間が過ぎていくだけだ。手のひらで顔を覆い、ぎゅっと前髪を握り締めた。肺の中の空気と一緒にもやもやを出すように長く深くまで息を吐いた。
「……行くか」
 意を決すると言う言葉に相応しい表情で我愛羅はドアを開けた。外廊下の蛍光灯の光で暗い室内に洗面所の扉やキッチンが浮かび上がる。その先の引き戸の隙間から部屋の明かりが漏れているのが見えた。
 どんな顔をしよう。何と言おう。声は、裏返らないだろうか――そんなことを心の内で思いながらも平静を装って部屋に続く引き戸を開けた。
「ただいま」
 返事はなかったが、あるものに自然と視線が引き寄せられた。少し俯く見慣れた金髪。待ちくたびれてしまったのか部屋の主は床に座ったままベッドに寄り掛かって眠っていた。
 風呂上がりだったのだろう、髪は湿り気を帯びてツンツン具合が普段より大人しく、首にはタオルがかかったままだ。
 何と言うか、肩透かしと言えば良いのか、気を揉んで損をした気分だ。ナルトの寝息だけが聞こえる静かな部屋に我愛羅の安堵とも呆れともつかない溜息が漏れた。
 我愛羅はナルトの側にそろそろと近付くと膝をついてその顔を覗き込んだ。寝顔は何度も見ているが、それでも飽きることはない。
 案外長い睫毛は髪と同じ色で、深い眠りの時の寝顔は少しだけ大人びて見えるのだ。
 触れるか触れないかで頬を撫でてみるが全く起きる気配がない。
 どんなに気配に鈍い忍でもここまで近づけば普通は気が付いて目を覚ますのに、身じろぎすらしないなんて忍としてどうなんだそれと疑問に思う。しかしそれは見方を変えればそれだけ自分に気を許してくれているという証なのだろうかと微かに頬が緩んだ。

「やべ、寝ちったってばよ……」
 ふっと目を覚ましてナルトは反射的に口元を手の甲で拭う。幸いにも手の甲には「よ」で始まる類の液体は付着していなかった。
 目を覚ますように顔を捏ねると、一瞬何かを思い出しかけたがその感覚すらすぐに消えてしまった。壁に掛けられた時計を見ると風呂を上がってから少しだけ時間が経っていた。
 自分以外誰もいない部屋をぐるりと見回して溜息をついた。
「あいつまだ帰って来てねーのか……」
 荷物はあるのだから我愛羅はこの部屋へ戻って来るはずだ。そう思ってはいても着替えなんぞは最悪買ってしまえばどうとでもなる。迎えに行こうかとも一瞬思ったが、入れ違いになっては元も子もない。
 喉の渇きを感じてキッチンへ行き、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して飲んでいると、浴室へと続く洗面所のドアの隙間から明かりが漏れているのに気付く。風呂から出た後消し忘れたのかと、何の疑問もなくスイッチを消すためにドアを開けた。すると――、
「!!」
「!?」
 なんと、そこにはバスタオルで体を拭く我愛羅がいた。
 ナルトの手からペットボトルが滑り落ち、床で鈍い音を立てた。とぷとぷとぷと水音をたてながら床に水溜りを作っていく。
 我愛羅は一瞬目を見開いて驚いた様子を見せたが、叫ぶことも慌てた様子もなくおもむろに後ろを向きつつ体をバスタオルで包んでいた。
 それら一連の動きを放心状態で見届けてからナルトは我に返った。
「っ――わりっ! でっ、電気ついてたから、消し忘れたのかと思って……」
 慌ててペットボトルを拾い上げて床に置き、首にかかっていたタオルで床の水溜りを拭く。ペットボトルの中の水は半分以下になっていた。
「ナルト」
「なっ、何だってばよ?」
 床に無理矢理固定した視界の端に、黒いペディキュアを塗った我愛羅の足が現れた。
「その……さっきはすまなかった」
「さっき?」
 唐突な謝罪に思わず顔を上げると、目の前で我愛羅がしゃがんでいた。水滴の残る赤い髪、水気を含む白い肌、太ももまで露わになった脚。バスタオルを巻いているとはいえ、とどのつまり裸同然なわけで、無防備にもほどがある状態だった。
「っ!」
 これはマズイと勢い良く立ち上がって我愛羅に背を向けた。一刻も早くこの場から離脱すべきだと部屋の引き戸に手をかけたのだが、我愛羅がナルトのTシャツを掴んだため部屋に逃げることができずにいた。
 これらの行動を我愛羅はナルトが怒っているからだと解釈したらしく、声が沈む。
「お前の怒りは当然だ」
「いや、そうじゃなくて……」
「私が一言素直に言えば済んだ話なのに、自分勝手に腹を立てて何も言わずに出て行ったのだからな……」
「そ、それだったら全っ然気にしてねーから、我愛羅、ちょ、離れて」
「……やはり怒ってるのか?」
「違うから! えーと、この状況、オレがヤバいんだってばよ……!」
「やばい?」
「……お前さ、自分の格好分かってんのか?」
 見たい、けれど見てはいけない。振り向くなど言語道断。けれども欲求は抑えきれずに全神経で後ろにいる我愛羅を探った。
 たった一瞬でも目に焼き付いてしまったのは艶かしいお風呂上がりの姿で、際どい部分こそバスタオルで見えなかったが、それでも、否、それ故余計に扇情的だった。
「……今更だろ?」
 見なくても不思議そうな表情で首を傾げているのであろうことが分かる。
「そりゃそうなんだけど、それとこれとはまた別っていうか、なんつーか……」
「そういうものか?」
「そういうものなんだってばよ」
「……そうか」
 Tシャツから重さがなくなり、我愛羅が離れたのが分かった。
「か、風邪ひかねーように、ちゃんと髪乾かせよ」
 平静を装ってそれらしいことを言ってみるも、ベッドに倒れ込んでもだつかずにはいられなかった。

 引き戸が開く音がして、意外と早く出てきたなと起き上がってそちらに顔を向ければ、肩にタオルをかけたままの我愛羅が「髪を乾かしてくれないか」とドライヤー片手に立っていた。
 頼みごとをされるのは珍しく、もしかして甘えているつもりなのだろうかと、床に座る我愛羅の形のいいつむじを見た。
 ドライヤーのスイッチを入れて、水気で色の濃くなった赤い髪に指を梳き入れる。
 適当に乾かして終わりにする自分の髪とは違い、熱風を当て過ぎて傷めることがないように、細心の注意を払ってドライヤーを扱った。
 湿って束になっていた髪が、乾いてくるにつれてさらさらと指の間を流れ、柔らかな長い髪が鮮やかさを取り戻す。
 ふと意識したのは自分とは違う細い首と薄い肩で、昔から華奢ではあったが、下忍の頃はそこまで大きな体格差がなかったように思う。
 いつの間にかお互いの体つきも変わり、彼女を腕の中に収めてしまえるようになったのは、一体いつからだったか。
 冷風で髪の熱を取り、手櫛で整える風を装って耳や首筋を指でなぞる。まだほんのりと温かい髪を寄せてうなじにキスをすれば、ぴくりと肩が撥ねた。
 おかしな触り方をするなと怒りださないということは、やはりそういうことで、肌がほんのり朱に染まっているのは風呂上りだからではないのだろう。
 終わったと言う代わりに我愛羅を抱き寄せて腕の中に収める。
「――」
 首筋に顔を埋めて耳たぶを食むように囁けば、耳を赤くして小さく頷く我愛羅。
 寝間着代わりのTシャツの中に手を差し入れ、自分と同じ石鹸のはずなのにどこか甘い匂いがする柔肌を、愛しく撫でた。




「する?」


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