18
「我愛羅!!」
 誰のものとも知れないその呼び声にはっとした。
 突然耳に入ってくるようになった音、いつのまにかサスケが千鳥をその手に纏っていた。
 あの時はハエの羽音のようだった千鳥だが、今はその名の如く千の鳥の地鳴きのような音を響かせていた。
 助走のために登っていた壁をサスケが一気に駆け下り向かってくるのが見えているのに、砂の盾を作ろうにも、守鶴に乱された経絡系が混線して思うように動かせない。
 その間にも、あの声は頭の中で延々と私を呪うのだ。
 不安定な砂を無理矢理強引に動かし、すんでのところで突き出された指先すれすれに砂の盾が立ち上がる。
 間に合った――そう思った瞬間サスケの姿が消え、それを理解し切らないうちに背後から砂を踏む微かな音がした。
「ッ……!!」
 やばい。
 カカシとの修行で手に入れた、肉体活性による高速移動。一点集中する『ただの突き』だが、助走を加えれば増すその破壊力。
 ただの忍ではカウンターの格好の餌食になるが、カカシと同じくサスケはそれを可能にする『眼』を持っている。
 サスケとの間に砂が割り込む。砂の壁は砂の殻になり、絶対的な防御になるはずだった。
 だが殻の闇に閉ざされる寸前、視界を青白い光が満たし、次の瞬間には肩口に千鳥で刺突力を増した突き手が刺さっていた。
「つかまえた」
 ぐちゅりと異物に圧迫される肩。そこから滲み出る温かいもの。砂の殻の中に充満する血の匂い。腕を伝い、指先から垂れ下がる血の滴。
 きぃん、と脳幹を痛みが貫いた。

 サスケと対峙する我愛羅から感じるのは敵意も害意も悪意もない、目の前の存在を殺すことに特化した純粋な殺意だった。
 サスケを殺させたくない? 何を馬鹿な。このままでは本当に殺されてしまう。止めなければ、この試合をやめさせなければ。
 だがそう思う心とは裏腹にナルトは二人の試合から目が離せなかった。
 砂の短刀を振るう我愛羅はリーと試合したときの様な受け身のスタイルから一変していて、サスケは砂で足元を崩されながらも何とかクナイで我愛羅の短刀を受けていたが、隙を狙って砂から突然出てきた我愛羅の分身にサスケは羽交い締めにされた。
 最初に砂を撒いた時に紛れ込ませていたらしい。
 薄く笑む我愛羅の繰る砂がサスケを包み始める。
 ナルトの脳裏に蘇ったのは通路で我愛羅に殺された赤い水溜りに伏す忍の無惨な姿。そしてそれにサスケの姿が重なる。
 ヤバイ、止めに入ってもらわなければと、カカシに向こうとした瞬間、我愛羅が何かに弾かれたようにサスケから距離をとった。
 苛ついているように、悔しがっているように、焦っているように、眉間にシワを寄せ憎々しげにサスケを睨み、そのまま動きを止めてしまった。
 サスケはそれを訝しんでいたが、チャンスなのだと気付き千鳥を手に我愛羅に向かって一直線に走る。
 ……なにやってんだ、あれでは真面に食らってしまう。
「我愛羅!!」
 無意識に叫んでいた。シカマルや同期たちが敵とも言える対戦相手の名を呼んだことに驚いていたが気にならなかった。
 サスケの千鳥が届くか届かないかで何かの呪縛が解けたように動き出した我愛羅が結印し、砂が丸く卵の殻のように包む。
 だが、サスケの方が一瞬速く、千鳥は殻を破り我愛羅にまで届いていた。
 さっきまでの歓声が嘘のように空気が凪ぎ、そして。
 ――突然聞こえた悲鳴はその砂の殻の中からだった。
 人間の声とは思えない、高いような低いような、甲高いような野太いような『聲』が、会場中に響き渡った。
 サスケを追うように伸ばされた異形の手を見た瞬間、全身の毛が逆立つ。
 砂の殻から溢れ出した濃度の高い気配を、忍でない者ですら感じ取り会場が沈黙した。
「……何、だってばよ……」
 何が起きたのか理解する前に視界を羽が舞った。
 意識が白く塗り潰される寸前に見たのは肩を押さえて膝をつく我愛羅。そしてそのままナルトは意識を失った。

 会場中に幻術が掛けられ、火影たちの席に煙幕が張られた。
 それを合図に音と砂が一斉に動き出す。
 木ノ葉の東口付近には大蛇が現れ、続いて砂忍が侵入。大蛇丸扮する偽風影によって火影が拘束され、音の四人衆による四紫炎陣によって、大蛇丸と火影との一対一の死闘が始まった。
 ――そんな騒ぎも、どこか遠い世界の出来事のようだった。
 ぼろぼろと無様に砂の殻が崩れ、不完全な原始生物が拍動するように蠢動する。
「馬鹿め!! 合図を待たず勝手に――」
 観客席から降りて来て早々、バキが焦りと苛立ちの色濃く言い放つ。
「っ黙れ……」
 ぐるぐると、頭の中を犯す呪いの言葉が私を責め立てる。
 脈打つような吐き気を伴う痛み。意識を嬲(なぶ)られ脳髄から沸き上がる破壊衝動に身体が疼く。
 このフラッシュバックの仕方には作為的なものを感じる。
 隙を見せようものならすぐさま守鶴が意識を食い破るのだろう、せせら笑う守鶴が容易に想像できた。
「副作用が出てる……もう無理だ!!」「じゃあオレたちはどうすりゃいんだよ! 我愛羅無しでやれってのか!?」「くっ……中止だ! お前達は我愛羅を連れていったん退け!!」「チィ……」「先生は!?」「オレは参戦する、行け!!」
 バキやテマリ達が酷く焦ったように騒ぐなかで、それが気にならないくらいにキリキリと頭が割れそうに痛む。
 眩暈と嘔気、皮下を何かが這い回るような悪寒。
 ――副作用だって? 的外れもいいところだ。こんなのは、あの狸のただの嫌がらせだ。
「我愛羅、立てるか?」
 蹲る私を立ち上がらせようとテマリが手を伸ばす。
 その瞬間、守鶴化した腕がテマリに襲いかかり、あっという間に血腥(なまぐさ)い肉塊の出来上がり――そんなイメージがフラッシュした。
 ぞわ、と黒い何かが体の中を這い上がってくる。
 限界まで膨らんだ風船が破裂する寸前のような、器に注がれた液体が、表面張力の臨界に達して零れ落ちる直前のような、強い衝動にも似た、『何か』。
 背中にゾクゾクと痺れが走る。寒いのに焼けるように熱い。脂汗が額に浮かび、噴き出しそうになる何かを拳を握り締めて堪える。
 ダメだこれは。本当にまずい。
「我愛羅?」
「触るなっ!」
 伸ばされた手が触れる前に印を切る。
 瞬身の名残の砂だけを残して、私は木ノ葉崩しに騒然とする木ノ葉隠れの里を後にした。
 制止する姉兄たちの声には、聞こえない振りをして。


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