花殻
 砂隠れの里の温室には三つの種類がある。
 一つは薬草や作物の栽培のための温室。一つは里の人々の憩いの場となる植物園。そしてもう一つは風影の、否、我愛羅のプライベートガーデンとしての温室だった。
 他の植物園に比べれば小ぢんまりとしているが雰囲気は良く、我愛羅も気に入っているようでしょっちゅう来ているらしい。
 ナルトが我愛羅を探してその温室へ行くと、植物に囲まれるように置かれたテーブルセットに人影が見えた。
 テーブルの上には書類らしき紙が数枚と、紐が解けて床に向かって垂れ下がった巻物があり、それらの上に腕を敷き、そこへ頭を載せて我愛羅は顔を伏せていた。
「……寝てる?」
 珍しいこともあるもんだと、テーブルの脇に立って我愛羅の赤い髪に手を伸ばす。あと少しで指先が触れるというところで視線を感じ、髪ばかり見ていた狭い視野を広げれば我愛羅と目が合った。
 じっと、翡翠の玉をはめ込んだような瞳が見上げるようにしてこちらを覗き込んでいた。
「うわっ! 何だよ我愛羅起きてたのか?」
「寝ていたわけではないからな」
 お前が来るのも分かっていた。と、驚きにのけぞるナルトとは対照的に、我愛羅はおもむろに上体を起こして伸びをすると、額に乱れかかった前髪を鬱陶しそうに掻き上げる。透き通るような白い額に『愛』が見えた。
「我愛羅のおでこって可愛いよな」
 露になった額をまじまじと見て言うナルトに、我愛羅は「お前は一体何を言ってるんだ」と呟きつつ呆れを含んだ視線を向けてから、さっさと隠すように前髪を下ろしてしまった。
「いいじゃん別に隠さなくても。減るもんじゃねーし」
「減りはしないが――」
 続くはずだった言葉は喉の奥へと消え去った。ナルトが手を伸ばして前髪を梳き上げようとしていても、体が硬直したまま動かなかった。露になった自分の額を見て、遠い昔へ思いを馳せるように目を細めていたのを、見てしまったからだった。
 あぁ、まただ。我愛羅は頭が冷えていくのがわかった。すうっと、酷薄と、何かが引いて行くのだ。
 こんな顔をしている時は決まってナルトは昔のことを、サスケの事を思い出している。
 空色の瞳には自分が映っているはずなのに、意識はサスケに向けられていて、それを嫌だと思いながらも、そう思ってしまう自分が何よりも嫌だった。
 サスケを想わないナルトはナルトではない。それはもはやナルトのアイデンティティーの一つだ。
 知っていたことじゃないか、決まり切ったことじゃないか。
 どろりとした黒い感情と胸部の絞扼感を覚え、我愛羅は前髪を押さえるナルトの手を払った。
「何怒ってんだよ」
「怒ってなどいない」
 ナルトから顔を逸らして目についたのは、温室の中に咲き誇る花々に点在する、萎れて黒ずんだ美しくない花の残骸だった。
 花殻と呼ばれるそれらを取り除かずにそのまま残せば病気の原因となり、植物全体にも悪影響を及ぼす。
 早く摘んで捨てなければと、ぼんやりと思った。
 植物は好きだ。手を掛けただけ応えてくれるし、何より決して人を欺かない。不調は目に見える状態で現れ、花が咲く咲かないにおいても世話をする人間の力量次第なのだとはっきりとした答えがある。
 ナルトの中で自分という存在がサスケに勝ることはないだろうと解っていて、分かっているのに、ここにはいない人間に自分は馬鹿みたいに嫉妬しているのだ。
 重ねられる唇も、絡み合った指も、ひどく暖かいはずなのに、その温度の違いを自覚するたびに泣きそうになる。
 それでもこんな確証のない関係に縋っているのは『彼』の似姿ではない『自分』を見てくれていると思いたいからで、すべてを管理されるこの温室の花のように感情をコントロール出来たなら、こんな思いはしないのだろうか。
 そんなことを思いながら我愛羅は一つ、萎れて黒ずんだ花の残骸を床に落とした。


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