キャットウォーク
 目が覚めたら何もかもをが大きかった。朝特有の空気もカーテンの隙間から入り込んでくる光もいつも通りなのに、いつもと違うのはどうやら私の方だった。一人で寝るのには十分すぎる大きさのベッドも、キングサイズを優に超えている気がする。まるでシーツの海だ。その上、身体の見ることができる部位という部位は艶やかな毛皮で覆われていて、手足の平にはぷにぷにで桃色の肉球まであるのだ。
 何というか、突然ではあるが猫になったらしい。
 変化をした記憶はない。一体全体どういうことなのか、さっぱりだ。解印を切ろうにも猫の手では中々に上手くは組めず、ただの拝み猫のようになってしまう。何よりも困ったのは、私のアイデンティティー(と言っていいものやら……)の一つである砂を操れなくなっていたことだった。部屋の隅に置かれた砂の瓢箪は、どんなに念じようともぴくりとも動かずに黙りを決め込んでいる。
 窓枠に跳び乗って、空気まで砂色に染まっているような気がする里を見た。道を往来する人びとや街の様子など、あれらに見える景色は自分以外普段通りなのだと思うと少しばかり腹立たしいような気がしてくる。窓ガラスに映ったのは誰がどう見ても家猫そのもので、私が手を上げればその猫も前足を上げ、首を傾げれば猫も愛らしく傾ぐ。ぴんと天を指す耳に、まるで個別の意思があるかのようにゆらゆら動くしなやかな尾。特徴といえば左目の上辺りにハート型の(ような)模様がある事くらいだろうか。『愛』だからハートって、安直だなと思わざるを得ない。というか猫の額にハート(心)って、心が狭いって言いたいのか失敬な! 窓硝子に映った猫をバシバシ叩いてようやく奇怪しなテンションになってることに気が付く。いかん、これはいかん。
 しばらくはシーツの海でごろごろしていたのだが、このまま部屋にいても仕方がないのでこの際猫目線の里もまた一興かと、尻尾を揺らして足取り軽く中心街へ向かったのだった。
 
 端的に言えば猫目線の里は中々にシュールだった。
 目が眩むほどに建造物は高く、人々は揃いも揃って倍化の術でも使っているのかと思わせる程に巨大。何より驚いたのが、生まれてこの方二足歩行しかした事がないのに普通に違和感なく四つ足で歩けてしまっている事だ(幼児期のはいはいは除く)。見よ、この立派な四足歩行を。ショーウインドーに映るのは四方八方どこから見ても立派な雌猫だ。
 もうやだ。元の姿に戻りたい。
「ありがとうございましたー」
 ドアベルと共に聞こえた店員の声にふと顔を上げると、丁度客が店を出たところだったらしい。その客は黒子のような出で立ちで顔を隈取り、背中には巻物を背負い――って、説明するまでもなく兄のカンクロウでした。相変わらず目つき悪いなぁ。
「……何だよ」
 見ていたのがばれてカンクロウが不機嫌そうにこちらを見た。猫相手にメンチ切るなやめろ。それから何を思ったのか私の前でしゃがむと、自身の懐に手を差し入れる。何だ、何を出すんだ、何をしようとしている。悪態をついたのは謝るから怖い事はやめて。と、いつでも逃げられるように身構え、挙動を注視する。
 そしてなんと、懐から出されたものは猫じゃらしだった。
 何……だと……? 見える、私には見えるぞ。カンクロウが手にする猫じゃらしに光り輝く集中線が!
 目の前でちょこちょこと揺れ動く猫じゃらしの穂先。嫌も応もなく身体が反応してしまう。
 くっ、なぜこんなものを持っている。この私がカンクロウに弄ばれる日が来ようとは! 忸怩たる思いで猫じゃらしにじゃれつく。遊ばれていることが解っているのにやめられない。猫じゃらし、恐るべし。
 鼻息荒く猫じゃらしを掻き、狂ったように追い捲る。爪に捉えては容赦なく叩き、一通り暴れ済んで正気に戻った頃には兄の姿はなくボロボロの猫じゃらしが地面に横たわるのみだった。
 とびきり虚しかったのは言うまでもあるまい。

 猫じゃらしへの未練を残しつつ(本当は咥えて持っていこうとしたが、それは人としてどうだろうと自問自答した結果やめた)しょぼーんと若干項垂れて歩いていると、じゃりっと前方に砂を踏む音がして巨大な爪先が視界に入った。何だよ面倒だな、進路上に立つなよ。避けて通り過ぎようとすると、突として両脇に手が差し込まれてそのままひょいと抱き上げられる。おぉう……。風影を不躾に持ち上げるとは失礼な! まったく、突然の浮遊感に思わず四肢が突っ張ってしまったじゃないか。だが文句を言おうにも残念ながら自分は今猫でしかない。そう、ただの猫なのだ。この姿で文句を言ったとて、ただの猫がにゃーにゃーにゃーにゃー喚き散らしているに過ぎない。なんせ猫なのだから。
「この辺じゃ見かけない顔だな。お前どこの家の猫だ?」
 風影さん家の猫だよ! ……風影さん家の猫か? まぁ、そんなことはどうでもいい。ご機嫌麗しゅうございます、お姉様。三日ぶりですね。なんて猫を被ってみる。自分で言っていて毛玉を吐きそうになった。何故よりにもよって身内にばかり会うのだ。解せぬ。
「お前大人しいなぁ。人慣れしてるってことはやっぱり飼い猫か」
 テマリの腕の中にすっぽり収まり、顎の下をこちょこちょされたり、頭を強くもなく弱くもない丁度いい力加減で撫でられる。ついでに耳の後ろを掻いてくれると嬉しい。腕の中をモゾモゾと動きつつ手のひらに頭を押し付けていると、ふと気になる、目の前の膨らみ。ふにっと前足で押してみる。
 こ、この感触は!
 その弾力に瞠目しそうになった。私は決して変態ではない。前足が勝手に動くのだから仕方ないじゃないか。身体が猫になったせいだ、多分。
「私はお前の母親じゃないんだから、押したって何も出ないよ」
 膨らみをふみふみしているとそう言われて地面に降ろされてしまった。
「母親が恋しいんだろうけど、いないものはいないんだから、ちゃんと飼い主に甘えろよ?」
 最後に私の頭を一撫でして、テマリは人混みの中に消えて行った。少しだけ、テマリが寂しそうな表情をしていた気がした。
 
 もうそろそろ帰ろうかな、なんて考えながら風通しの良い路地の日陰で通行人鑑賞をしていると、複数の気配が近づいて来ていた。横目で確認するだけのつもりが何の不幸かその中の一人と目が合ってしまい、その瞬間、その男の目が「気に食わない」と言わんばかりに歪んだ。
 大人三人が並列しても余裕のある路地なのに、男はわざわざ私に向かってくる。
「どけよ」
 後ろに引かれた男の足、次に何が起こるのかは明白だった。それでもまさか道端にいるだけの猫にそんなことをする人間がいるなどとは毛ほども思っていなかったが為に判断が一瞬遅れ、勢いよく迫り来る足をギリギリで避けるはめになった。
 こいつ、捻り潰してやろうか。何処からともなく砂が煙の様に立ち上り質量を増して奴らの足に絡みつく――はずだったのだが、しまった、砂が使えなくなっていたのを忘れていた!
 時すでに遅し。男は私に手を伸ばすと首の付け根をむんずと掴み上げた。
「この赤毛に緑色の瞳、あの女を思い出してムカつくんだよ」
 あの女って誰だよ知るか。首根っこ掴むな、息苦しいから放せ!
 腱を引いて爪を剥き出し、目の前にある男の顔目がけて前足をフルスイングする。残念ながら男が顔を引いたため爪に捉えることはできなかったが、余裕綽々といった体の表情を少しばかり曇らせることには成功したようだった。
「くそっ、暴れんなよ!」
 暴れるに決まってるだろ、このもっさりポニーテールが! ……うん? 何だろうこの既視感。もっさりポニーテールって、あれ、もしかしてこいつ、昔私に石を投げようとした奴じゃないか?
 なんだよ、あの女って私のことかよ!
 身を捩って逃走を試みていると、もっさりポニーテールが悪どい笑みを浮かべた。
「お前ら知ってるか? 猫って目隠しすると後ろにしか進めなくなるらしいぜ」
「マジで? 何で?」
「知らねー。誰か紙袋持ってねぇの?」
「ビニール袋ならあるけど」
「アホか、それじゃ死んじまうだろーが」
 ……やっべ、何か空恐ろしい会話がなされている。
 脳裏に浮かんだのは、紙袋を被せられへっぴり腰で無様に後ずさりする自分の姿だった。そしてもっさりポニーテールたちは腹を抱えて笑い転げ回るのである。最低最悪この上ない。外に出なければ良かったなんて、今更言っても詮無いことだ。
 そんな時だった。
「お前ら何やってんだ?」
 気が付いたらいた人影。また増えるのかよ、こいつらだけで十分だよ腹一杯だよ。ウンザリしてその人影を見やるとそこにいたのは派手なオレンジ色の忍服の青年。
 言わずもがな、うずまきナルトであった。
「あ? てめぇにカンケーねぇだろが」
「猫一匹にダセェことすんじゃねーってばよ」
 二人が睨み合う中、もっさりポニーテールの仲間の一人が何か耳打ちをした。「おい、こいつ木ノ葉の……」とか聞こえたが、砂隠れでも何気にナルトは有名なんだよな。その言葉を聞いてもっさりポニーテールは苦虫を噛み潰したような顔になり、舌打ちして私を一瞥するとぽいっと空き缶でも捨てるように私を放り投げた。勿論着地には問題なかったが、動物を投げるというその神経が理解出来んししたくもない。
「お前大丈夫か?」
 お礼を込めて足元にまとわりついていると、ナルトが抱き上げて撫でてくれた。ちょっぴり涙が出そうになる。抗う術がないというのは無防備も同然で、知らず知らずに恐怖を感じていたのかもしれない。
 もっさりポニーテールの名前は知らないが、彼やその仲間は昔から私を嫌い、私が風影になった今でも態度を変えないある意味で貴重な存在だった。だからといって好き好んで関わろうとは思わないが。あいつら覚えてろよ近々絶対に3K任務やらせるからな。職権乱用? ハッ、知るか。
「お前の毛色、我愛羅の髪の色に似てるってばよ」
 無邪気に笑って、私の名前を出すなんて不意打ちだ。悔しいが少しばかりときめいた。
 具合良く撫でられ、喉が勝手にぐるぐる鳴って思考がふにゃふにゃになってくる。……はっ! いかん、ゴロニャンしている場合ではない。しっかりしろ私!
 ナルトがいるということは、この後風影邸に行くだろうし、イコール不在がバレるわけで……。一刻も早く術解しなければ。
 眠り姫や美女と野獣、カエルの王子様がそうであるように、大凡物語というものは大抵がキスでどうにかなるものだ。
 ということは?
 ナルトをじっと見る。ついでにさっきの不意打ちのお返しもさせてもらおう。
「な、何だってばよ」
 戸惑う空色の瞳から視線を下げていく。鼻を通り過ぎて顎の少し手前、消化管の最前端、つまり唇が目に入った。
 ナルトの胸部に前足をついて、首を伸ばす。ちゅ、と唇を奪った瞬間にぼふんと煙が上がれば、あーら不思議。猫が人間に戻っちゃったりする訳である。
 おぉ、本当に戻った。ナイスだ童話。
 数時間ぶりとなる人間の身体に感慨を覚える。ナルトにしてみれば、りんご十三個分くらいの重さの猫がいきなり人に変わったのだから思わず落としてしまってもよさそうなものだが、しっかりと横抱きにしたまま煙が晴れても驚きに目を見開いて呆然としている。
「久しぶりだな」
「あ、うん」
「二ヶ月ぶりか?」
「そ、そうだな」
「そろそろ降ろしてもらえるか」
「お、おう……」
「すまなかったな」色々と。
 あー、大変な目にあった。まぁ何だ、素っ裸じゃなくてなによりだ。とりあえず身体に変な所がないか確認をして、寝衣のままだったので忍服に変化した。普通に変化できた。腕を軽く振れば小さな砂の波が起こり、普段通り砂が操れるようになっていることも確認できた。何だったんだ一体。なぜ猫になったのか、謎はますます深まるばかりだ。
 ボディーチェックをしている間、やけにナルトが静かなのでまだ呆けているのかと見やれば、手の甲で口を隠して赤面しているのだからお返しは十二分に成功したことが分かった。しかしこちらとしては半分術解のつもりだったので予想以上の反応をされると何だか急に恥ずかしくなってくる。猫になっていたとはいえ唇の感触は残っている訳で、自分でしでかしたことながらも顔に集まりつつある熱をどうしたらよいのか、私にはわからなかった。


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