盛夏
 夏は暑い。そんなのは当たり前だ。その上、今年は近年一番の猛暑だと言われている。まあ、毎年そんな事を言っているような気がしなくもないが、とにかく猛暑なのだ。
「暑……」
「砂隠れって砂漠だろ? もっと暑いんじゃねーの?」
「砂は木ノ葉ほど湿度がない」
 暑いのは苦手だし嫌いだ。自分の住んでいる砂隠れの里は気温が高いだけで湿度は低い。それはそれで辛い暑さなのだが、多湿よりはマシだと思う。ところが木ノ葉隠れの里のこの気怠い暑さときたら、まるで高温多湿なあの世界のようじゃないかと倦(う)まずにはいられなかった。
「大丈夫か我愛羅?」
 隣を歩くナルトが気遣わしそうに覗き込む。思考から引き戻され、一瞬くらりと眩みそうになったのを堪えた。
「ああ、大丈夫だ」
 本当は全く大丈夫ではない。格好付けて涼しい顔をしていても、熱中症を起こしそうなほどに気分が悪かった。夏の熱気が身体の中に留まったまま停滞している、そんな感じだ。普段は気にならない砂の瓢箪さえも打ち捨ててしまいたい衝動に駆られるくらいだった。
「今日は暑いってばよ……」
「……」
 滴ってくる汗を手の甲で拭いながらナルトが独りごちた。もう何か言葉を発する気力すらないので心の中だけで激しく同意する。
 吹き出す汗は不快なだけ。動けば動くほど暑く、日差しはもはや凶器的で思考能力も低下の一途を辿る。逃げ水に惑わされ、陽炎が大喜びで立ち上りそうな、そんな木ノ葉隠れの夏だった。

 木ノ葉に来ると何だかんだ最終的にはいつもナルトの住むアパートに落ち着いていた。慣れた通路は夏の日差しの強さを物語るように濃い影に浸かり、日に曝される景色をまるで白く見せる。
 ナルトがドアの鍵穴に鍵を差し込むのをぼうっとした頭で何となく見る。隠れ里において施錠の意味はあるのかと不思議だったが、道義的なものなのだと考えが至ったのはつい最近の事だ。
「うげ……」
 開かれたドアから、締め切った室内で熱せられて限界まで膨張した空気が傾(なだ)れ出る。もったりとした熱い空気が肌に触れ、地獄の釜に放り込まれるような悪さをした覚えはないと辟易した。
「我愛羅も窓開けるの手伝えってばよ!」
 あまりの熱気にナルトは慌てて飛びこんで行った。我愛羅も三和土で靴を脱ぐと、砂の瓢箪を下ろして荷重から解放された肩をほぐす。
 だが手伝うほど窓の数がないのを知っているからか、うだるような暑さにやられてか、その動きはのろのろと緩慢で、ダイニングキッチンを通り過ぎて部屋に入る頃には窓という窓が開け放たれていた。空気の動きがあるからか、先程に比べれば室内は少しだけ涼しくなっていた。
 だが、それでも暑いものは暑い。先程よりもマシになったというだけであって、決して過ごしやすくなった訳ではない。
 我愛羅は真っ先にちゃぶ台の上に置かれたリモコンを手に取り、ベッドの上に設置されたエアコンに向けてスイッチを押した。
 ピッと電子音がして動きだし、今日のような猛暑日に相応しい涼風が火照った体に心地良い――そんな妄想紛いの予想は申し訳なさそうに言われたナルトの言葉によって粉々に打ち砕かれた。
「ごめん、今エアコン壊れてんだってばよ」
 愕然とせざるを得なかった。
 スイッチを入れたら動くという当たり前を破って沈黙に徹するその白い筐体に抱くのは最早殺意に似た何かだった。
 だから窓を閉める素振りもなかったのか、とぽつりと呟いて項垂れ、激しく落胆する我愛羅らしからぬ様子に慌ててナルトが言う。
「だ、大丈夫だってばよ! ちゃんと涼しくてエアコンより体に良いのがあるから!」
 このままじゃ我愛羅が暑さでキャラ崩壊しちまうってばよ!
 そんな訳のわからない危機感から咄嗟に出た台詞だったが、想像以上に我愛羅の目はそれに食い付いた。
 ベランダの近くに置かれた一際異彩を放つそれは、銀色のフレームに緑色の透明な羽を持つ少し古めかしいデザインの扇風機だ。コンセントを挿したままだったので、普段からの活躍ぶりが知れた。
 吸い寄せられるようにその前に座り、徐に「入」のスイッチをカチッと音が鳴るまで押し込んだ。順調に羽が回り始めて風量が増える。目を瞑ると、風が髪を梳き身体の熱を拭い去ってくれるような、そんな爽やかな気分になった。
「我愛羅ってば一人占めは駄目だってばよ」
 膝で肩を小突かれた。座るから少しずれろということらしい。
「あー涼しー……」
 ばさばさと黄色い髪が送風に煽られて靡く。
「ワレワレハ、ウチュウジンダッテバヨ」
 ナルトが面白がって扇風機に向かって「あー」と声を出す。この震える声を前の世界では宇宙人の声だと言って遊んでいたが、この世界でもそれは変わらないらしい。
 全く違う世界なのに、こうして時々見付ける二つの世界の共通点。
 それは隣にいるナルトはおろかこの世界の誰とも共有できない感覚で、これから先も一生死ぬ迄そうなのだと思うと少しだけ寂しく思った。
 そんな我愛羅の心の内など露とも知らないナルトは暫くの間遊んでいたが、飽きたのか寝転がってしまった。
「我愛羅、我愛羅」
「何だ」
「床冷たくて気持ちーぞ」
 大発見でもしたような表情で手招きをするナルトに倣って我愛羅も横になった。床板の冷たさが確かに肌に心地よかった。
「な?」
「まあまあだな」
 肌を風が撫で床板が火照った体の熱を吸収してくれる。そんな風に涼んでいられたのも束の間、
「――変な臭いがしないか?」
 二人の鼻に金属が焦げたような臭いが届いた直後、飛び起きはしたもののなす術などあるはずもなく、その扇風機は煙を上げて完全に沈黙した。
「うそ……」
「死んだな」
「そんな……最悪だってばよぉぉぉ!」
 扇風機の前で頽(くずお)れるナルトに残されたのは微かな煙とプラスチックの融けた臭い。希望も何もかもを根こそぎ奪われた気分だった。

 まとわり付くような暑さに朦朧とする頭、汗でベタつく肌を何とかすれば少しはマシになるだろうとシャワーを浴び、直接日が当たらずに風が通る場所を選んで床にぐったり寝そべるナルトと我愛羅。床板が温くなっては向きを変え、一時の涼を取る。
「我愛羅ー、暑い―」
「私だって暑い」
「そんなに涼しい顔してるのにか?」
「……顔は関係ないだろ」
「冷蔵庫に入りたいってばよ」
「無理な相談だな」
 目を閉じて無心で暑さに耐えていると、何を思ったのかナルトがもそもそと我愛羅のタンクトップをたくし上げた。
「おい、何してるんだ」
 怠そうに首を起こして我愛羅はナルトを見たが、どういうわけかナルトと思しき黄色い毛の塊が自分の露になった腹の上に乗りつつ弄(まさぐ)っているのだ。
「あー、我愛羅の腹冷たくて気持ちー」
「やめろ暑いだろ」
 しっとりと汗ばんだ白い肌は気化熱現象とやらで確かに冷たくなっていたようで、ナルトの体温で何処を触られているのかがよくわかる。いくら先程シャワーを浴びたとはいえ汗をかいている肌を触られるのはあまり気分がいいものではない。そろそろやめさせようとした矢先に手とは違う生温かい湿った感触にビクリと腰が引けた。
「……しょっぱい」
 言った瞬間、ナルトの側頭部に我愛羅の拳骨が入った。
「ってー、何すんだってばよ!」
「お前が変なことするからだ」
「何だよ腹ぐらいで! もう何回も見――」
「それ以上言ったら本気で殺すぞ」
 砂を漂わせる我愛羅の目に冗談の色は見えず、ナルトは血の気の引いた表情で砂が大人しくなるまでひたすら頷くしかなかった。

「あーもう駄目だってばよ!! 無理! 超無理!!」
 むくりと起き上がって台所の方へ行ってしまったナルトに、ついに冷蔵庫に入りに行ったのかと思ったがどうやら違ったようで、冷蔵庫の開閉音が聞こえると足音はこちらに戻ってきた。
「我愛羅、あーん」
 そう言われて何があーんなんだと目を開けるとナルトが氷を持っていた。
「氷舐めれば少しは涼しくなるってばよ」
 上体を起こしてナルトの指ごと氷を食んだ。ナルトがさり気なく舌を触ったのが分かって、わざと指に舌を絡ませた。爪のつるつるした感じと指先の少しざらざらとした指紋。ちらとナルトを窺い見ると熟れたような熱っぽい瞳をしていた。きっと、ナルトも舌の味蕾のざらつきや裏側の柔らかさをその指で感じ取っているだろう。
「ん、冷た……」
 少しだけ糸を引いた指先をナルトがどうしたのかは知るところではない。
 口の中は冷えているのに身体は熱いままのアンバランスな温度差。
「暑いな」
「そうだな」
 ころころと口の中で転がした氷が融けて水になったものを飲み込めば、喉から身体の中に冷たいものが流れてすぐにその感覚はなくなった。
「なぁ我愛羅、もっとアツいことしねぇ?」
「勝手にしろ……」
 後髪に梳き入れた手で我愛羅を引き寄せる。窓際に強い陰影を作り出す真夏の高い陽と蝉の鳴き声を聞きながら、季節外れの冷たい息が唇に掛った。




140618:加筆修正


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