dirty
 白い満月が浮かぶ荒涼たる砂漠に守鶴の咆哮が響き渡る。それは慟哭と呼ぶに相応しく、孤独や悲愴に染まっていた。
 そして、ひたすら虚空に向かって、喉を枯らすのだ。
「我愛羅……」
 絶望を纏う我が子の姿を見詰める風影の人差し指と中指は右目に添えられ、その表情は厳しかった。
 野生動物も、小さな虫ですら息を潜める、静寂に凍えそうな砂漠の夜だった。

 砂色の迷宮のような里を、初老の男は自分を追う者の気配を感じながら縺れそうになる脚を叱責し逃げ惑っていた。
 男は長い間この砂隠れの里の上役として上層部を掌握していた人物で、我愛羅をよく思っていない派閥の実質的なリーダーだった。
 実戦から離れ現役を忘れた肉体は悲鳴を上げる。手足は鉛のように重く、劣化したゴムのようにぎこちなかった。喉からは虎落笛(もがりぶえ)に似た音が呼吸をする度に悲鳴のように漏れ、粘り付くような不快な渇きを感じた。
「!?」
 何でこんなところに壁が、と、男はしきりに手を動かして壁を探る。男の中では道はまだ続いていて、こんな壁は記憶になかった。
 道を間違えたのかと記憶を巡らすが何一つ誤りが見付からず、引き返そうにもすぐ側まで気配は迫りその猶予は与えられそうにない。
 小さく舌打ちをして仕方なく少し戻ったところの脇道に入ったが、そこにあったのは見知らぬ砂隠れの里だった。
 知らない道、知らない建造物。自分の荒い息遣いと重い足音が、両脇に聳える建物に反響し歪に姿を変えて男の耳に届いた。
 ……里が変わったのだ。男が知り尽くした里は最早過去として何処にも存在しなかった。怠惰で代り映えのしない日々にどっぷりと浸かっている間に、里は生き物のようにその様相を変えていた。
 ふと、男の足が止まった。通路が行き止まりになった訳でも、体力が限界を迎えた訳でも、逃げるのを諦めた訳でもなかったが、男は立ち竦んだままその場から動く事が出来なかった。
 闇に音を食われてしまったかのような、耳が痛くなるほどの静寂。
 すると、残滓にも等しい男の忍としての感覚が異変を感じ取り慄然し、振り返った。

 目玉が、浮いていた。

 眼球を抉り出して空気中に浮かべたような、水気さえ感じられる生々しい『眼』が男をじっと見ていた。
「ひっ――」
 踵が地面に引っ掛かり尻餅をついた。辺りを見回し、その眼の主を闇に探しながら声を荒らげる。
「私を葬ったところであのバケモノの殺処分命令は撤回されないぞ!」
 虚ろに響くだけかと思われたが、何処からともなくいらえがあった。
「――だろうな」
 虚空から、声が聞こえた。闇自体が言葉を発しているような声だった。
 砂煙と共に男が現れ、今度は術による「第三の眼」ではなく、男――四代目風影の眼が男を見た。
「だが、そんなことはどうでも良い。寧ろ我愛羅が修羅であり続けるには好都合だ」
「好都合だと……? そうやってお前は妻を利用し義弟さえあのバケモノの餌食にしたのか?」
「……」
 少しでも風影の動揺を誘い、逃走の足がかりになればとの浅知恵だった。だがその思い付きが舌禍を招き、風影の逆鱗に触れてしまった事すら男は判らなかったようだった。
 表面的には全く意に介さないといった体で淡々と近付いて来る風影に、底知れない恐怖を感じて後ろ手で地面を掻くように後ずさった。
「っ、あのバケモノは危険だ! 何故それが解らない!!」
 嫌な予感や不吉に似た気配が蠢いている。視界の端を金色が霞める度に男の気力が削られていった。
 そしてどこか白々しく風影は言う。
「だから夜叉丸に殺させようとしたんだろ? だがその夜叉丸も死んだ。どうする、この里にはもうあの子を殺せる忍はいないぞ?」
 何故それを知っている? そんな表情が出てしまっていたのか、風影が、くっ、と喉で嗤った。
「まさか、本気で夜叉丸がお前に付き従っていたとでも思っていたのか? 随分とお目出度い頭だな――アレは俺の忍だ」
 明らかに見下され馬鹿にされているのが分かると、男は歯噛みしまくし立てるように言い募る。
「何も解っておらぬ若僧が! 軍縮はもう抗えん時代の趨勢(すうせい)なのだ! この里は国土に対して忍の数が少な過ぎる。大名様はそれを憂慮して同盟国であり尚且つ忍に余裕のある木ノ葉に依頼を回しているのだ。今更『兵器』を作り出したところで――」
 男の言葉はそこで遮られた。風影が男の首を握り潰さんばかりに掴んでいた。
「――古狸がっ……忍であることも忘れたか?」
 射るような眼差しを向けられ、静かな声の中に底冷えするような怒気が籠められた、心肝を寒からしむる低い声に鼓膜が震えた。
 砂金が男を覆い始める。
「人柱力は隠れ里の力を示す存在、外への抑止力になる。この国は火の国の属国ではない、この里もまたそうだ。手を取り合うことはあっても、その手に縋ってはならない。何も解っていないのは、お前らだ」
 骨を噛み砕くような鋭い音がして、縊られた首を有らぬ方へ曲げた男が砂金からずるりと落ちた。
「いるな?」
 何処へともなく声をかければ怯えた声で返事をする、今は屍になっている男の「元」直属の暗部達。
 主を助けようともしなかった不忠者だが、こんな忍達でさえ「里」という居場所が必要なのだということを、風影は嫌と言うほど理解していた。
「この不埒者を片付けろ」
 そして、こんなやり方でしか何もかもを守れない自分に諦観してしまっていることに微かな絶望を感じながら、身体的ではない疲労感に長嘆した。
 こうして、一人の男が消えた事を知る者は少ない。

「戦争のない今の時代、軍縮は仕方のないことなのかもしれない。だが湯隠れのように戦を忘れることもできないこの里を守りたいと思って何が悪い? 戦いの中で非人道的な行為を繰り返して生きていかねばならないからこそ、正心を忘れぬように義や忠心を里に国に行うのだ。忍は里や国がなければただの賊と同じだ」


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