feel
 任務の報告を終えてカカシは火影邸を出た。ポケットに手を突っこんだまま夜空を見上げて、月もすっかり夜中の位置だと思いながらこきりと軽く首を鳴らして自宅であるアパートに足を向ける。
 空腹にせっつかれて冷蔵庫を開ければ愕然とした。ぽつねんと虚しくビールが一缶。頬がひきつりそうになる。買い物に行かなければと思いつつ任務にかまけていたら、昨日ついに食料と呼べるものが費(つい)えたのをすっかり忘れていた。漂う冷気に扉を閉めて、項垂れながら深い溜息を吐く。面倒でこのまま寝てしまいたいと思ったが、腹の虫は今にも暴動を起こしそうだし、何より明日の朝食がないのは痛手どころじゃ済まない問題だ。
「コンビニで、いいよね……」
 そう、独り言ちる。店に食べに行くという選択肢も一瞬浮かんだが、結局は間に合わせででも明日の朝食を買いに行かなければならないのなら、一度で済ませてしまおうと思ったからだった。
 ざっとシャワーを浴びて、Tシャツの上に薄手のカーディガンを羽織る。財布を尻ポケットに突っ込んでサンダルを突っかけドアを開ければ、爽やかな夜風がシャワー上がりの肌を心地よく撫でた。

 いつ見ても毒々しいまでに皎々(こうこう)と蛍光灯が眩しい二十四時間商店は、時間が時間だけに客足も疎らなようだ。青い光の誘虫灯に羽虫が焼かれる音を聞きながら、めぼしいものは残っていないのだろうなと、間に合わせだと解っていてもついつい贅沢を考えてしまう。硝子の自動ドアが開いて、機械音。いらっしゃいませー、と、レジに暇そうに突っ立っている店員の掛け声を聞き流して適当に弁当と明日の朝食にパンを選ぶ。明日こそは絶対に買い物に行くのだと固く決心しながらやる気のなさそうな店員に会計してもらっていると、機械音。何気なくドアに目をやれば、見知った赤い髪の少女が入ってきた。砂の瓢箪は背負っておらず、襟刳りの広いシンプルな七分袖のカットソーにショートパンツにミュールという格好で、すらりと細く白い素足を眩しく思うのは、多分きっと歳のせいだ。すれ違う瞬間ちらりと視線が通ったがすぐに逸らされて、掛けようとした言葉は喉の奥に消えた。え、何で? そう思ったのと同時に店員と目が合えば、可哀想なものを見てしまったとでも言いたげに目を逸らされる。無視されたことに少なからずショックを感じている自分に驚きつつ、用が済んだのに店内にいるのも憚られるので外で出待ちすることにした。
 満月から少しだけ欠けた月を見上げながら、そう言えば我愛羅が借りているのはこの近くだったかなと、火影所有の独身寮があったのを思い出す。自動ドアの稼働音に目を向ければ、出てきた我愛羅がカカシとはドアを挟んだ反対側のゴミ箱の前でアイスに齧り付こうとしていた。普段の淡々とした印象からは結び付かないが、心なしか頬が緩んでいるように見えるからアイスの力は偉大だ。
「こら、無視することないんじゃなーいの?」
 そうカカシが声をかければ、アイスの端を齧ったまま怪訝そうな顔が振り返った。カカシの姿をその翡翠の双眸に認めて数転瞬の後、少しばかり見開かれた翡翠色の瞳に何故そんなに驚いているのだろうかと首を傾げる。
「何?」
「……普段でも口元を隠しているのだと思っていたから、……」
 我愛羅曰わく。店内で目を逸らしたのは誰だか解らなかったから、らしい。成る程、無視されたわけではないのかと得心した。
「何か用か」
「んー? 偶然会ったから声をかけただけだよ」
「そうか」
 この淡々とした話し方も、言葉が少ないだけなのだと気付いたのは最近だった。
「……折角だし送ってくよ」
 返事を待たずに寮の方へ歩き出すと我愛羅も黙って歩き出した。我愛羅がしゃくしゃくとアイスを齧り、左手にぶら下げたビニール袋がカサカサ揺れた。
「……そのアイス何?」
「ゴリゴリ君」
「何味?」
「レモンスカッシュ」
「……美味しい?」
 こくりと我愛羅が頷いて、会話終了。会話する気が更々感じられない。これはまたどうしたものかと頬を掻いた。横目で見やれば普段は忍服の詰襟で目にする事のない首回りの肌の白さにぎくりとした。溶けたアイスの滴を舐めとる赤い舌から思わず目を逸らして、これじゃあまるで変態だと自分にがっかりしながらその事実を隠蔽するために着ていた上着を我愛羅に突き出す。別に寒くないのに訳が分からないといった風に見上げてくる我愛羅に、女の子は身体を冷やすべきではない、体調管理も忍の仕事の一つだともっともらしいことを言うが、コンビニ弁当で済まそうとしている自分が言っても説得力がないじゃないかと心の中で苦笑いをした。我愛羅は少しばかり不服気に首を傾げながらもカカシにアイスを預けて素直に袖を通す。
「……流石に大きいな」
 指先が出ない袖を折り返す姿に、忘れていたわけではないが、我愛羅が「少女」で「子供」なのだと改めて認識させられた。
 それでいて、同じ年頃に戦争を経験した自分を思い出す。
「何だ?」
 いや、違うのかもしれない。今自分を見上げる彼女の瞳は強くしなやかで、余裕のなかったあの自分とは似ても似つかない。
「いやぁ、丸くなったと思って」
 そう答えると、きょとんとしたあと脇腹に手をやった姿に思わず噴き出した。
「違う。纏う空気が、柔らかくなったよ」
 全てを拒絶するように組んでいた腕も今は解かれ、温度も感情も窺えず全てをくだらないものでも見るようにしていた瞳が、確かにこの世界を認めているように感じた。我愛羅は戸惑ったように視線を彷徨わせた後眉根を寄せて言う。
「自分では、よく、わからない」
 ふい、と顔を背けて足早に我愛羅は歩き出したがはっと気付いたようにカカシの手元を見る。
「――アイスは?」
「あぁ、食べちゃった」
 食べるところがなくなった棒を顔の横で振れば呆れたような視線。
「……半分はあっただろ、頭痛くならないのか?」
「怒らないんだ?」
「お望みとあらば」
「滅相もない」
「なら言うな」
 レモンスカッシュ味のゴリゴリ君は、甘酸っぱい人工的なレモンの味がした。

 それきり大した会話もなく寮に着いた。聳(そび)え立つとまではいかないにしても木ノ葉では高い部類に入る独身寮は所々に明かりが点いているだけだ。寿命が切れかけ蛾がたかる点滅した蛍光灯。上着は洗って返すと、そう言ってあっさり階段を登り始めた我愛羅の腕をカカシは半ば無意識に引いてしまったのだが、それと同時に我愛羅が階段を踏み外したために引き落とす形になってしまった。胴に腕を回して支えた身体は驚くほど華奢で軽く、我愛羅も我愛羅で驚き過ぎて反応が出来ないのかカカシに寄りかかったまま硬直していた。
「っお前……!」
「……こういうときはさ、お茶でもいかがですかって義理でも言うんだよ」
 至極当然な叱責を遮れば何言ってんだこいつと言わんばかりの顰めっ面が見上げてくる。
「覚えとこーね」
 何故こんな事をしているのかしてしまったのか、引くに引けない。表面には出さないように困惑する。ただ、もう少し一緒にいればこのわだかまりの正体が解りそうな気がする。
「……勉強になりました。送ってくれてどうもありがとう」
 カカシの腕から抜け出した我愛羅がもう構ってられないといった感じで投げやりに言い捨てた。その踵を返した後ろ姿に付いて行くと、
「……何で付いて来るんだ!」
 案の定言われたが引く気は更々ない。
「お茶をご馳走になりに?」
 にこにこしたカカシと眉間に皺の寄った我愛羅。彼女の性質を少しばかり知り始めたカカシには最早毛を逆立てた子猫にしか見えない。心の中で猫じゃらしを振りながら、無言の押し問答の末に子猫が毛を逆立てるのも阿呆らしいと観念して部屋の鍵を開けた。その子猫、我愛羅の背中からは不満が滲み出ていた。

 部屋は独身寮と言うだけあって家具家電付きの1K。左右にあるドアは浴室やトイレだろう。キッチンは対面式で、その奥の洋室は六帖ほどだった。
「適当に座ってくれ」
 我愛羅はそう言いそのままキッチンへ。
 ちゃぶ台にコンビニ弁当が入った袋を置いて、部屋の中を見回す。白い壁に白い天井、焦げ茶色のフローリング、色気の欠片もない蛍光灯カバー。室内は殺風景なままで、物を増やさないようにしているのはわかるがもう少し生活感があってもいい気がする。
 窓際のベッドの上にぽつんと置かれた口がπ(パイ)の形に似たクマのぬいぐるみがこの空間では酷く浮いて見える。手に取って見たいのを堪えていると我愛羅がキッチンから戻ってきた。
「『お茶どうぞ』」
 差し出された湯飲みからは緑茶の良い匂いが立ち上っていたが、妙に棘のある言い方だった。
「いやぁ、悪いね。晩飯まだでさ」
「……任務だったのか?」
「まぁね。サクラは綱手様について修行だし、ナルトは自来也様と旅に出ちゃったし」
 包みを開けて割り箸を取り出す。この竹を裂き割る音が、これまた食事をさせる気になるから不思議だ。
「……そうか。お疲れ様」
 何気なく言われる一言がこんなにも嬉しいものだっただろうか。予期せぬ衝撃に箸が止まり、瞠る自分は多分相当のアホ面に違いない。
「?」
「いや、何でもないよ」
 怪訝そうな我愛羅にはそう言うしかなかった。

 コンビニ弁当もすっかり片付き食後の一服。片膝を立てて本を読む我愛羅を湯飲みを傾けてぼへぇーとだらしない思考で見ていると、突然の乾いた音とじんと痺れた手の衝撃にはっとすれば、非難がましい鋭い視線と目が合った。
「……何故お前が驚く……」
「あ、ごめん、……触ってた?」
 確かに手に残る髪の柔らかい感触を消すように、拳を開いたり閉じたりを数回繰り返す。誤魔化すようにへらりとすれば、突き刺さるような視線に変わった。
「ちょ、そう恐い顔しなーいの。女の子でしょ!」
「させてるのはどこのどいつだ」
「……オレだよね。……いや、ほんとに無意識だったから……自分でも驚いてる」
 ちらりちらりと赤い色に引きずられるように脳裏に浮かんだのは、恩師とその連れ合いの仲睦まじい姿。そしてその二人の遺伝子を受け継いだ教え子。ナルトはいつだって、目の前の少女の名を嬉しそうに呼んでいた。
「――親子して赤い髪が好きなんだなって……」
 ナルトの母親は性格をそのまま色にしたような鮮やかな緋色だったが、我愛羅は同じ赤でも静かでいて強烈な紅、同じ赤でも似ても似つかない。
「親子?」
「ナルトの母親もね、綺麗な緋色の髪をしていたんだよ」
 流石にもう人形の様だとは思わないが、素直に綺麗な子だと思う。容姿も然る事ながら、およそ忍らしくない白魚のような手には傷一つない。手だけではなく、きっと見えるところにはどこにも傷跡らしい傷跡はないのだろう。――ナルトも随分と治りが早かったように思う。
「君も傷の治りは早いの?」
「どうだろう……早い方だとは思うが……」
 我愛羅はカカシから視線を外してちゃぶ台の上に目を伏せた。無意識なのか自分の左肩を掴むようにしていた。
「調子はどう?」
 我愛羅の右手の下は、サスケの千鳥によって傷付けられた場所だった。
「……特に不調は感じない」
 ぽつりと言い、自嘲気味に唇を歪めて続きを口にした。
「――傷痕も、まるで初めから何もなかったように薄い」
「……ま、女の子なんだから傷がないにこしたことはないよ」
 すぐに治る傷、残らない傷跡――『初めから何もなかったよう』。目に見えるモノが勝る年頃、自我や感情や人との間に生まれる何かではなく手応えのあるカタチ、証拠や証明に自分を付随させる。消えてしまうモノに確証が持てなくて、自分の中だけなのか本当にあったことなのか、世界との繋がりを傷跡に求めたのか。
「なかったことにはならないよ」
 憶測で言ったが多少は引っ掛かったのか、翡翠の瞳が一瞬揺らいだ。
「傷が消えても、なくなっても。なかったことにはならない」
 カカシの一際目に付く『傷』を我愛羅が見た。徐に手を伸ばし、ひやりと少し冷たい指先が左目を縦に走る瘢痕をなぞる。
「この目は、痛むのか……?」
 反応が出来なかった訳ではない。顔を背ける事も手を抑える事だって出来るのに、こんなにも簡単に接近を許してしまった。自分の目の傷を見詰める我愛羅の瞳に魅入っていると、不意に一方通行だった視線が通い、指先から静電気のような痺れを感じて身を引いてしまった。
「っすまない、痛かったか?」
 手首を掴んでまで引き離したからだろう。申し訳なさそうな目に他意は窺えない。
 調子が狂う。酷く心に障ってかき乱されて不安になる。
「カカシ……?」
 黙りこくったカカシを窺う視線が向けられる。人形のようだと思った第一印象。ガイとその教え子にした仕打ちやサスケとの試合で見せた狂気。そのくせ素直で簡単に戸惑いを見せ、子供らしくアイスに頬を緩ませる。そして、躊躇いもなく自分に手を伸ばして触れてきた。
「お茶ご馳走様、遅くまでごめんね」
 掴んでいた手首を放し、逃げるように席を立った。適当にビニール袋に弁当の容器を詰め込み、我愛羅の顔を見ないように玄関に向かう。
「おやすみ」
 人気のない寮の通路に出て髪に触れてしまった時と同じく細い手首の感触を消すように、拳を開いたり閉じたりを繰り返した。
(……何やってんだオレ……)
 これ以上発展することはないであろう感情を抱えて月が見下ろすなか、カカシは帰路についた。




女主享年十四歳なので魂年齢カカシとあまり変わらないっていう設定があったり。髪の触り方がセクハラで提訴出来るレベルでエロかったらいいなぁとか。カカシはミナト夫婦に憧れてるといいなぁとか思ってるよ。
140627:修正


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