リク | ナノ
 古家に住まう怪異


「お待たせしました」


襖をそっと開けて水野が入ってきた
待ちに待った稽古の時間だ
縁側を開け放し新鮮な春の空気を部屋一杯に取り込んでおいた
床の間の花瓶に桜を生けておいたのだが、気に入るだろうか。
少しそわそわしながら彼女を迎え入れる
水野は早速畳に座し、三味線の調弦をした
時間がある時は予め済ませているのだが、今日は前に予定が詰まっていたらしい
手伝おうとすると柔らかく止められた
水野は雇われの身で、枡視は客だった


「俺も出来る」

「いいんですよ」

「な、今日はどのくらい居られるんだ?」

「三味線の後に麻雀も頼まれていますから、夜まで居ますよ」

「やった」


軽くガッツポーズを取ると可笑しそうに水野は笑った
三味線を渡されて軽く慣らすと、稽古に入った
教えてもらうのは長唄や端唄が主だ
歌の方を水野は殆ど見ない
枡視の好きに歌わせていた


「今日は梅が咲いたかにしましょうか」


おや、梅を生けておくんだった。

いつも譜は用意しない
水野の演奏について回って稽古をするのだ
彼女がバチで弦を叩くと自分よりもずっと美しい音色がする
声は艶やかで端唄の調子に合っていた
手本の音を聞いて同じ音を再現するのを繰り返し、慣れると一緒に弾いた
三味線の他の舞踊や琴などもこの方法で練習している
他の何よりも楽しい時間だ
小一時間没頭していると襖を叩く音がした
黒いスーツの部下が茶菓子を持ってきたのだ
丁度切りが良いので休憩を取った
縁側で金つばをつつく


「枡視さんは覚えが早いですね」

「そうかね」

「私などに教わらずにもっとしっかりした先生に教わった方がいいですよ」

「姉さんがいいんだ」


物心付いた時から水野は側に居た
この狐の教え方に慣れてしまっているし、第一他の人間に稽古を付けてもらうと会う口実が無くなってしまう
一等近いはずなのだが、狐は冷淡で内心ではどう思っているのか分からない
手を伸ばすとするするすり抜けていってしまう
縁側で足をぷらぷらさせていると水野が急に真剣な表情になった


「枡視さん」


手招きをして枡視が側へ来ると内緒話の要領で、顔をよせて

「知っていますか。平屋の軒下にはお化けが住んでいるんですよ」

「え」

「それは地を這っています。畳に横になっていると、時々床下からずりずり音が聞こえることはありませんか。暗く狭い場所でゆっくり移動することしか出来ないので、腹が減ると縁側でじっと餌が来るのを待っているんですよ。不用意に足を出しては行けません。」


咄嗟に幽遠寺は両足を上に伸ばした
縁側へ足を引き上げると、恐る恐る頭を下ろして床下を覗き込んだ
逆さまの視界には真っ暗な闇が広がっていて、見るんじゃなかったと幽遠寺は後悔をした
隣で水野はくっくと笑っている
組の頭の子供なので彼の回りでは流血沙汰が多い、時には死人も出る
そういった環境で育ってきた幽遠寺は人一倍瘴気に敏感であった
憎悪、嫉妬、苦しみ、怒り、霊魂、祟り…あるとも分からないものを幼心に感じ取ってしまう
水野はたまにその弱さをからかってくるのだ
以前も遊びで庭に穴を掘っていると、穴から悪魔がやって来て、夜寝ている間に幽遠寺を連れていこうと窓際に立つから用心しろと言われたことがあった
唯一の解決策として、窓の側に水を一杯に溜めたコップを置いておくと蒸気で悪魔が追い払えるからそうすると良いと勧められ、今でも怖くなるとたまにやっている
彼女が真剣な眼差しで語ると無いものもありありと想像してしまう、全く質が悪い
その癖、枡視が本当に眠れない時などは側で手を握っていてくれる
羞恥と気味悪さで居心地が悪くなっていると、ぽんぽんと頭を撫でられた


「この後は麻雀?」

「ええ」





卓のある部屋に移動して、向かい合わせに座った
部屋は畳の匂いと襖で閉ざされた和室独特の浮遊感を持っていた
水野の用意した手配と捨て牌から何を捨てるべきかを問われる
時に実践で部下が卓に入ることもあるが、枡視の親父が習わせたいのは理の部分に必要な計算で麻雀も一つの算術の授業のようなものだった
枡視はそのやり方が大層嫌いだった、きっと水野も嫌いに違いない
親父は麻雀の本質を知らないのだ
理に尽くしても実践では勝てない
それよりも枡視は勝負で踊る水野の手が好きだった
別段特別な動きをしている訳ではないのだが牌を扱う指は美しかった
後に彼女がサマ師であることを知ったのだが、イカサマ技抜きにしても枡視は水野の麻雀が好きだった



「なあ、こんなこと止めて勝負にしようぜ」

「駄目ですよ。旦那様から言われているのは此方なのですから」

「へいへい」


ごろりと後ろにやる気なく枡視は転がった時、襖がすっと開いた
中に部下が入り、水野の隣に膝を付いた
耳に顔を寄せて何やら話をすると狐の顔付きが変わった
こうなってしまうと今日の稽古ももう終わりだ
直接説明をされたことはないが、枡視にはこれが水野への代打ちの依頼だとわかっていた
狐は立ち上り枡視に声をかける


「申し訳ありません、急用の様です」

「いいさ、行ってきなよ」


軽く会釈をすると狐は部下に連れられて出ていった
自分も早く大人になりたい
そうすれば、彼女に辛い思いはさせないし、この手で守るのにと、枡視は常々思っていた







ある日の狐と幽遠寺。
幽遠寺は水野を恋心とも家族愛ともつかずに慕っている。
幽遠寺の話を読みたいと仰ってくださる方がいてとても嬉しいです…。
幽遠寺と水野の間で悶々としているアカギもいつか書きたいです。


たつ様に捧げます。
リクエスト、ありがとうございました。








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