リク | ナノ
 霞と消える定め

「水野さん」

「…おかえりなさい」


薄暗い廊下を抜けると弁当を食べている水野に遭遇した
日頃から手作りを好む狐にしては珍しい
腹が減って冷蔵庫を見るが、目ぼしいものは見当たらない


「あれ、俺のは無いの」

「今日は帰ってくると聞かされていなかったものですから」

「そうだったか」


少なくとも今まで自分が伝達ミスで食いっぱぐれたことは一度も無かった
疑問を抱きつつも、アカギは一先ず風呂に入ることにした
荷物を取りに寝室へ入るが、所定の位置にあるはずの私物一式が無くなっている
益々怪しくなって水野の元に戻る
狐は依然として弁当をつついていた
卓袱台に座して姿勢良く、米を口に運んでいる
アカギが自分を見ているので、一端箸を止めて目を合わせた


「どうしたのです?」

「俺の着替えは」

「ああ…取り敢えずその辺のものを着てください。その間に夕食を作っておきます」


様子がどうも可笑しい
平生の余裕はどこにいったのか。
調子の外れた意識が水野をよくわからないものにしていた
朧気な狐の片鱗だけが残留して部屋に漂っている
こちらの動向を伺っているのか


「何に怯えている」

「…」


側へ寄って問いただそうとすると水野の腰が上がった
避けているのだ、アカギを
今までにこんなことがあっただろうか。
アカギは僅かに動揺していた
水野との間に某かの大きな隔たりがある
今日、これに何か自分はしただろうか
一日の自分の行動を振り替えってみようとしたが、靄がかかって思い出せない


「…アカギさん、お願いしますから風呂に入ってきてもらえませんか。」


水野の揺れる瞳は見たことがないほど切実だった
あの夏の日に見たものに感情としては近い
今にも零れ落ちてしまいそうだ


「…わかった」





風呂から上がると卓袱台の上に料理が並んでいた
得意料理の卵焼き、野菜炒め、味噌汁、雑穀米


「ちょっとしたものしか出来ませんでしたが」

「十分上等さ」


卓に付き早速食事に手を付ける
水野の手料理を久しぶりに食べたような気がした
当の狐は向かいに座って湯呑片手にこちらを見ている
よくわからないが柔らかい視線
感情が読取り辛いことが歯痒い
聞いたところでそう簡単に教えてはくれないだろう


「アカギさん、昨日は何をしていました?」

「昨日は確か…あんたと一緒にいて、外に飲みに行った」

「では、一昨日は」

「一昨日」


遠くなる記憶を手繰り寄せ、思い返す
そうだ、確か夜中に雀荘へ向かった
ホテルで不意に賭博に興じたくなったのだ

…ホテル

見回すと明らかな一軒家だと思われるそれ
違和感の正体はこれだったか。
得体の知れない魔力を感じて、冷や汗が出る
目の前にいる水野の正体すらも怪しくなってきた


「…あんた」


誰だ

アカギの目尻が吊り上がる
逃がさない様、そして水野の中を探るために手首を掴んだ
不意打ちに狐は驚いた様子だった
予想外にその肌は温かい
アカギの手を認識すると驚きが緩む
何かを諦めたようにも見えた
掴んだアカギの手を解いて、大切に両手で包んで慈しみ、薄く微笑んだ


「アカギさん」


正真正銘、水野もよ子である
白い皺だらけの、手




駆け巡る脳髄の記憶
ああ、わかった、わかってしまった



急ぎ水野の腕を引き、抱き寄せようとした
アカギが声を発するために口を開く

途端、赤木しげるは霧散した
引き寄せられた水野は煙を霞めて傾き、そのまま畳に力なく伏す
人影であった白い煙が一気に部屋に広がり消えた
卓袱台には手の付けられていない手料理がある


もう何度も同じことを繰り返しているが、水野は中々顔を上げることが出来なかった






アカギの残留思念か、水野の見る幻惑か。


何れ来る終わりの話の数年後。
ご希望に沿えているといいのですが…。
あいうえお様に捧げます。






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