貴方の反証…神域


「すみません…!」


コンクリートの坂でいきなり声を掛けられて振り向くと見たことのない男性が息を切らしていた


「あなた、前に赤木さんと一緒にいらしたことがありますよね」

「赤木しげるさんのことですか」

「そうです」


風は刻々と冷たくなるが、陽射しは優しい、そんな秋の日だった
他人の口から聞く懐かしい名に遠い記憶が蘇るが、そっと押し止めて目の前の男性に集中する
年齢は三十路くらいだろうか


「突然すみません…俺は井川ひろゆきと言います。赤木さんとは何度か麻雀をしたことがあって…」


良い目をしている
赤木の知り合いは殆ど知らないが、相手の年齢を考えると赤木が35を過ぎてからの話だろう


「貴方も赤木さんの墓参りですか」


思ってもみない言葉だった
自分はちょっとした用事でこの辺りに買い物に来ていたのだが、赤木の墓が近いのか。
どうするべきか、水野は思案する
生前赤木は水野に墓の場所を教えないどころか通夜にも参加させなかった
赤木の意図を尊重するべきだろうか。
或いはこの出会い自体が赤木の導いたものだとしたら。
水野は判断を下すべく口を開いた


「…この後、ご予定はありますか」

「えっ」

「お仕事ですとか」

「いや、今日は本当にここに思い立って来たものですから、予定は入ってません」

「でしたら、墓参りの前にお茶でもいかがです」


この井川ひろゆきが赤木の寄越した人間ならば墓に行っても差し支え無いだろう
それを判断するには人となりを知る必要がある


その辺の喫茶店に井川を連れて入った
着物姿で壮年の自分と私服の男性が余所余所しく対面で座る
端から見れば不思議だろうが、赤木で慣れてしまった
適当に飲み物を注文して、本題に入る


「余程赤木さんがお好きなのですね」

「いや、そんな…赤木さんは俺にとって麻雀の神様みたいな存在で。」

「何処で知り合ったんです」

「初めて会ったのは友人の代打ちについて行った時でした。それから日本東西の裏の最強決定戦で再開して…赤木さんには助言を大事な時に頂いて」

「そうですか」

「あの失礼ですが、貴方は赤木さんとどういった関係で…」

「まだ名乗ってもいませんでしたね。水野もよ子と申します。赤木さんとは…なんと言ったらいいでしょうかね…長く、一緒に居ました」


水野の答えに井川は釈然としない様だった
それもそのはずだ、水野自身もわかっていないのだから


「いつだったか、飲み屋を出たらたまたま赤木さんの後ろ姿を見つけて声を掛けようとした時に、貴方を見かけたんです。女性を連れてるイメージが全く無かったからびっくりして。それに貴方は通夜にも出ていなかった」

「それで気になって今日声を掛けた」

「そうです」


先程から井川の視線が遠慮がちに左の薬指に注がれている
無くなった先を気にしているのであろう
わざとらしく左手を見せて彼に問う


「気になりますか」

「ええ。結婚されているんですね」

「…ええ、もう着けてもいいかと思いましてね」


井川が気にしているのは、無くなった薬指よりもそこに通っている指輪だった
赤木との間を考えているのは、容易に想像できるが敢えて言及はしなかった
指に何かついていると麻雀をするのに邪魔であったのと、指輪を着けていると只でさえ煩わしい周囲の視線が余計に厄介になるので遠慮して外していた
もう殆ど麻雀をすることもないので、着けているのだ

話せば話すほど井川は心底赤木に心酔していることがわかった
赤木を語る時の顔が恋をする乙女の様に熱烈だ
それでいて強い意思を感じる
赤木に寄りかからない何か、強固なもの
正直自分よりもよっぽど赤木と寄り添うに向いていると思う
だから赤木も助言めいたことをしたくなった、そんな気がした


「お墓に、連れていってくれませんか」

「えっ知らないんですか?」

「ええ」



こじんまりとした場所にそれはあった
墓石は削られ、そろそろ名前の彫りまで浸食しそうだ
備えられた煙草や博打の景品らしきものが、多くの人間が訪れていることを示している
ここに博打打ちが眠っていると一目でわかる墓

愛されている

若い頃を思えば、無念仏で眠っていても可笑しくはない生き方をしていた男がこの様に奉られていて安心した
墓石に触れると僅かに脈があった
薬指の金物がやけに熱い
現実的に考えれば墓石からそんなものを感じられるはずが無いから、こんなことを井川に話しても怖がられるだけだろう
しかし、確かに赤木しげるがここに居る


「こんなところに居たのですね」

「赤木さんの墓石は縁起が良い、なんて言われて博打打ちが挙って削って持って帰っちゃうんでこんなことになってるんですよ」

「そうですか」


井川は恭しく線香を上げて手を合わせている
この青年に赤木という存在は多大な影響を与えたのだろう


「帰るんですか」


踵を返すと、井川は驚いていた
水野も墓に手を合わせるものだと思っていたのだろう
口調は少し水野を責めているようにも聞こえた


「貴方が此処を大切にしてくださる、それでいいじゃあないですか」

「…」


狐の後ろ姿を見つめる井川は、その薬指から銀が消えていることに気がつかなかった
寺の石畳に下駄を転がしながら、アカギがもう自分の家に帰ってくることはないだろうなと水野はぼんやり考えていた






捨てれば捨てるほど永遠になる






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