何れ来る終わりの話





*死ネタ







「……そうですか。」


手元のお猪口に目を落として水野が答える
赤木がアルツハイマーにかかったのだと言う。
点棒の計算がいくらやっても合わないことに自分で気がついて、病院に行って検査を受けてきた
赤木にしてはなんとも献身的だ
意識が無くなってしまう前に死にたいそうだ
そういうことならば、と水野は常日頃から隠し持っている刃物を赤木に突き付ける
賭博で燃え尽きることが出来ないのなら、せめて自分が赤木のが望む時に介錯をしよう。


「なんでしたら今此処ででも」

「…ククッ、変わらねえなあ、あんたも」


聞けば自分が自分で無くなる前に葬式を開いて、それから逝くらしい
この数十年で赤木は随分変わった
以前ならば葬式なぞ開かなかっただろう
それだけ思い入れのある人間が増えたと言うことだ
水野は赤木の人間関係を知らない、関わろうとも思わない
基本的に二人に共通の知り合いはいないのだ
強いて言うならば幽遠寺くらいだが
彼とは滅多なことでは会わない

死の世界がどうなっているかわからないから、お別れだ
願わくば死後は意識の無いものであって欲しい
そうすれば赤木を失う悲しみが無くていい
この男無しで生きて行くことは、きっともう出来ない


「あんたは葬式には出るな」

「ええ」

「それから、生きろ」

「え」


当然自分も一緒に逝くものだと思っていた
奈落に血がさぁと降下する
愕然と目の前が白くなる
この悪魔はなんと残酷なことを言っているのだ…いや、今は神か


「どうしてです」

「生きて欲しいからだ」


ずっと前から水野の命は赤木のものだ
生きろと言われれば生きる他無い
それに葬式にも出ないとなれば、死に目にも立ち会えない
ここまで長い間付き合っておいて、なんて…


「……」

「明日から岩手に立つ。知り合いの坊さんが居てな、其処で葬式をやってもらって死ぬ。段取りは出来てる」

「随分ぎりぎりに言うのですね」


今日という日ももうすぐ終わろうとしている
赤木はおどけて笑って見せる
もう決めたことなのだ
赤木にとって水野は未練だった
決意が揺らぐ確率があるとすればこの狐


「惚れたやつの側じゃカッコつけたいのさ」


赤木の顔を照らしていた月が一瞬雲隠れする
突然のことに脳味噌が拒絶反応を起こしているが、それを無理矢理落ち着ける
水野は赤木の肩にそっと頭を乗せ、目を閉じた


「あんたとは長いこと一緒だったな。13の時からで途中が空いてるが、20年以上の付き合いか」

「よく居ましたよ」

「そうだな」


今更ながら長年人と共にいた自分が可笑しくて、水野は小さく笑った
つられて赤木も笑う
お互い口角に皺が目立つ歳になった
もう終わりなのだと少しでも思うと笑っても悲しさが押し寄せてくる
涙が流れないように眉間に力を入れた
赤木に何と言ったら良いのか言葉が見つからない
第一赤木しげるという命が、失われていいはずがないのだ
しかし、それが絶たれようとしている
ならば…賭博以外の自分をくれた赤木に何か伝えなければならない
思い付くのは月並みな言葉だ
震える唇でそっと言葉を作る
ちゃんと伝わるだろうか
ああ、目の奥に涙が溜まり始めている


「ありがとう」

「此方こそ」


赤木も本当は何処にも行きたくなかった
このまま水野とずっと一緒に居たかった
しかし、自我が無くなってしまえばそれも叶わない
賭博が出来ない自分など考えられなかった
水野との明日は、もう無い


「…なあ」

「はい」


顔を上げた水野を堪らなくなって抱き締めた
言葉で水野を縛り付けることは幾らでも出来た…出来たのだが…


「また会えますよ」

「…」


水野は背中に手を回した
そっと目を閉じると溢れた涙が下へ流れた
赤木に見つからないように抱き締める腕に力を込める
最後まで赤木を引き留めることはしなかった






ゆっくりと意識が閉じていく
回りで天やひろゆきが何やら言っているがもう耳に入らない
自分には勿体ない連中だ
体はままならないが、心は流動し続ける


自分の進む儘ならない世界の先に、またあの狐はいるだろうか


視界がすっと暗くなっていくのに、赤木は身を任せた



この頃は赤木と平屋に住んでいた
建物には庭があり、植えた桔梗が花を付けている
水野は赤木の墓の場所も知らなかった
赤木に関する全ては水野の中にある
遺品はいくらかあったが、元々ものを持たない性質の赤木らしくないと思い、全て燃やすことにした
最後の遺品である黒い着流しが手元にある
綺麗に折り畳まれたそれを一斗缶の中に焼べた


ゆらゆらと揺らめく炎は件の人の瞳のようだ


「赤木さん」


口に出せば関を切ったように思いが溢れる
自分と赤木しげるが長年築き上げてきたものはなんと形容出来ただろう
死にぞこなってしまった
自分はもう赤木と共にあった時間から遠ざかるのみである
頬の奥の筋肉がぐっと引き締まる
水野の渇いた頬に雫が幾重にも落ちる
掬っても掬っても止まらない
喉の奥から嗚咽が漏れた
いつだって涙を引き出したのは赤木だった



炎の前に伏している水野を柔らかい空気が包み込んだ
縁側の風鈴がちりんと鳴る


風が、逝ってしまった








きっと二人は二度と会えない





「何れ来る」→「露と消える定め」→「貴方の反証」の順で続いています。





[141/147]



戻る


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -