夜のしじま…19(番外)

艶々した髪に細い指が通る
たわんだ毛の房からしとどに濡れた項が現れた
つげ櫛で毛先の絡みを先に取り除き、それから徐々に根元に起点をずらして毛先に向かって櫛を滑らせる
抜けた毛が寝巻に落ちたり、櫛に絡まると人差し指と親指でつまみ上げ屑篭に捨てる
狐は淀み無く動作を行い、長い髪を手入れしている
まるで何かの儀式のようだ
行灯の僅な灯りの入る部屋で此方に背を向けて狐は正座をしている
背中は離れてみると思いの外小さかった
アカギが立ち上り天井から垂れ下がる紐を引くと、居間から寝室へ差し込んでいた光は消えた
そのまま水野へと歩み寄る
流れから覗く項に指を這わせると狐が振り向いた


「寝ますか」

「そろそろね」


水野は髪を解かすのも漫ろにつげ櫛を化粧台に置くと、布団に向おうとするので静止する
後ろから黒髪をかき上げて、肩に掛けると首に触れた
石鹸とほんの少しの香の匂いが鼻孔を擽る
すべらかな肌の弾力が指先に返ってくる
そのまま衿に指を掛け、肩まで開いて下ろすと腰の上辺りまでの背中がよく見えた
寝る前なのでさらしは付けていない
ふっくらした肉付きに背骨の筋が浮き出ている
其処ら中に刀傷を縫った跡、火傷や痣が痛々しく残っていた
左肩の小指の先くらいの太さの火傷をなぞりながらアカギが問うた


「この傷は何の傷」

「火傷跡ですか?」

「そう」

「根性焼きの跡じゃないですかね」

「へえ」

「後ろから無理矢理された時に付けられたんですよ、確かパンチパーマのやーさんでした」

「そいつどうした?」

「死にましたよ」

「そうか。…此処は、派手なケロイド」

「覚えてませんが…熱湯でも掛けられたんじゃないですか」

「それでこんなになるか?」

「何度もされれば」

「女だろ」

「ええ。お店に居た時によくやられましたよ」

「相手の客でも取った?」

「そんなとこです、きっと」

「どこにでもいるんだね、陰湿なやつは」


傷から水野の過去がたち現れて来る
ぼんやりした狐の輪郭を掴むにはこの手の話題が一番早かった
内容は物騒であるが、何処と無く二人とも楽し気だ
水野にとってもそれらの話はもう過去のことなのだ
そういえば、と水野は振り向きアカギの黒い着流しに手をかけた
そのままで様子を見ていると右の衿を捲って、アカギの刀傷に触れた


「あーたは此処に派手な傷がありますね」

「ああ、倉田組でやったんだ」

「どんな風に」

「半丁で向こうの組が下らない嘘吐きやがるから、俺の見たままの事を通したんだ」

「それで逆上されたのですか」

「ああ」

「此処まで深く刃が入っては痛かったでしょう」

「ああ、痛かった。安岡さんが来てくれなきゃ死んでた」

「それでも良かったのでしょ」

「うん」


ふ、と楽しげに持ち上げられた口角から吐息が漏れる
水野はアカギの半丁の様子に思いを馳せているらしかった
傷を優しく撫でながらも目は僅かばかり光っている
網膜の潤みが行灯の光を鋭利に反射していた
抜けばたま散る光の刃、狐の懐刀
アカギがその刃を熱烈に見詰めている内に、水野はやがて満足したのか衿を戻した
アカギも水野の寝巻を元に戻してやる
今度こそ布団に潜り込み、各々好きな体勢で眠りについた
冬は寒いので同じ布団で大概は眠っている
アカギが行灯の光を消すと静寂が訪れる
元々狐を見つけたのがその部分であるからだろう、博徒としての水野が意識の奥に現れるとアカギに向かって何時も小波が押し寄せた
心の清水が水野によって乱されるのだ
これが狐に魅入られたということだろうか。

波を飼い慣らすこともこの頃は愉しくなって来ていた






「夏の恋人」の後






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