落日…19(番外)

アカギが戸を開けると居間には橙が強く差し込んでいた
西向きで夕暮れが眩しいことがこのボロ賃貸の家賃の安さに一役買っていた
西日が部屋を焼いている
この時間に帰ると大体水野は窓を背に洗濯物を畳んでいるのだが、その姿は見当たらなかった
代わりにベランダで背を向けて立っている
開け放たれた窓から風が入り、カーテンをゆっくり揺らしている
狐のことが気になって、ベランダに近づけば気配に気づいた水野が振り返った
煙草が右手の指の間に挟まっている
アカギを見て狐は音もなく薄く笑った


「何を考えてる?」


狐からの返事は無かった
向こうに向き直り、黄昏る町を遠目に煙草を吹かしている
風が凪いで二人の髪を攫った
今までにアカギが話しかけて水野が答えなかったことは無かった


「なんとか言えよ」


悪魔に狐の考えていることなどわかるはずがない
俺達は永遠に対話を続けなければならないことくらいお前もわかっているだろう
少々苛立つアカギの空気を察して狐は煙草を灰皿に押し付けた
居間に入るとその辺から鉛筆を探して何かを卓袱台で書き付けている
ベランダの柵凭れ煙草に火を付けたアカギに紙を差し出した


暫く声が出せません


白紙に流れるような文字でぽつりと書かれた言葉
狐は口を閉ざしたままこちらを見つめている


「どうして」


問うと、紙を卓袱台に戻し鉛筆で少し書き、また紙が差し出される


喉が切れた


早速文字を余計に書くことを嫌って最小限で返事が帰ってきた
更に付け足された内容によると、代打ちにセッティングされた料亭で食べた料理に極小の剃刀の刃が入っており、誤飲しそうになったのだという
相手の組が仕組んだことだろうが、水野に余程恨みがあったのか。


「俺はやられたこと無いな」

貴方なら気づく


水野も気がつきそうなものだが、刃を盛られるとは思わなかったのかもしれない


特に生活に差し障りはないかと

「あんたが退屈しそうだな」


こくりと狐が頷いた
この家には尋ね人も電話も無い
買い物は話さなくても良いとなると不便なのは博打の時だけだ
煙草の火を消すとアカギは居間の床を踏んだ


「見せて」


顎を捕らえると、狐は口を開いた
暗くてよく見えないので指を突っこみ触診をする
アカギの皮の薄い太い指が柔らかい口内を犯すのだから、身震いでもしそうなものだが水野は涼しい顔でされるが儘だ
喉以外にも舌や上顎が切れていた
指を抜くと、つうと糸が引いた
水野が側にあったティッシュを差し出す


「それじゃ食べるのも苦労しそうだな」

暫くは柔らかいもの作る


水野が黙っているとどうも消え入りそうなしおらしさがあっていけない
水野の反骨精神を促したい、薄皮の下に潜む狂気を呼び起こしたい衝動にアカギは不意に駆られる


「なあ、あんたの体は俺のもんなんだぜ」


忘れたのかと問うとアカギが何を伝えたいのか理解できなかった狐は首を傾けた


「だから、傷つけていいのは俺だけなんだ」


ズドンと派手な音を立てて狐は床に押し付けられた
口を覆うように下顎を鷲掴みにされそのまま床へ叩きつけられたのだ


「がっ」


朱を背景に静止する二人の影
喉からひゅうと穴の空いた風船から空気の漏れるような音がした
水野が顎から伝わる振動に昏倒していると、右指を取られ捻り上げられる


「いっそもう博打出来ないように折っちまおうか」


アカギは本気だった
他所でくたばるくらいなら、手折って手元に置いてもいい
水野の根本否定になるが、そんなこともどうでもよくなるほどに沸き上がる衝動は強かった

どうしてあんたはそうすました顔をしている
もっと熱いどろどろしたものがあんたの下には流れているだろう

アカギが求め止まないのはそういった熱さであるが、ぎらぎらしたものを発し続けるには水野は年を取りすぎた
意識が他へ向いている間に込めた力が抜けていたらしい、水野の指が拘束を抜けてそっとアカギの頭に添えられた
始めから指が折られることはないとわかっていたようだった
さわさわと暮れの冷たい風が凪いでいる
燃え尽きんとする日差しに背中が火傷しそうだ


「あんたは卑怯だな、やっぱり」


13歳の少年の姿がそこにはあった
欲しているものは昔から変わらない
時折垣間見るそれに狂喜し、少しずつ失われるそれに絶望する
水野を力強く抱き締めて、アカギは目を閉じた


それでも共に生きると決めたのだ






「夏の恋人」より





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