靄…19(番外)


穏やかに揺れる波、雲一つ無い青空
鴎が上空を飛び、釣り人のおこぼれを狙っている
長い竿を立て堤防で海釣りをする親子
たおやかな風、たおやかな波間
実に穏やかな時間が流れている
そこにいる誰もある異変に気がつかない
ざぶりと海の中から堤防のコンクリへ手がかけられた
白く細い指、続いておどろおどろしい海藻のような頭が出てきた
足がかけられるとやっとそれが人間であるとわかる
地上に乗り上げた女は白い襦袢をぺったり張り付けていた
湿って垂れかかった髪をかき上げ、縁にしゃがみこむと海に手を伸ばす
海からもう一人男が上がってきた
髪はすっかり白髪で、色も白くこの世のものではないようだ
二人とも酷く疲弊した様子で海を前にして並んで立った


「…見事に一文無しだな」

「ええ…今、いくら持ってます」

「あんたは」


有り金を出し合うと水野の手にはなけなしの50円が握られていた
アカギに関しては10円だ


「何故あんなことをした…?」

「わかっているのでしょ」

「…」


兎も角、体を休めたい
長時間の水泳は徹夜明けの体には堪えた
隣の水野は緩慢な動作で白い着物の袖を絞っている
大量の水がぼたぼたとコンクリに落ち、水溜まりを作った
アカギも水野に習ってシャツとTシャツを脱ぎ、雑巾の要領で絞る
水野は自分の髪も絞っていた


「二人でこんなに素寒貧になったの初めてじゃない」

「そうですねえ」


快晴もこの状況では虚しい
身仕度もそぞろにぞろぞろと歩き出した
港町は潮の匂いが何処でも付いていた
着物を海に脱ぎ捨てて来た狐の衣服を確保できるといいのだが。


「手っ取り早く稼ぐなら賭場に行くのが早いです」

「賭けるもんが無いだろう」

「私の体を賭けるのですよ」

「あんたな」


この年で今の成りでは大した量にはならないでしょうが、と狐は続けるのでアカギは水野に軽く蹴りを入れた
負けず嫌いな狐も蹴り返してくる
お互い疲れで気が短くなっている
水野は自分のものであり、それを貶されるのはアカギとしてもいい気分ではない
狐の中身は意外と卑屈で出来ている
ともすると自分が色眼鏡で狐が客観ということも考えられたが。

今日のうちに宿泊出来るほどの銭が出来るとは考えづらいので濡れている体を乾かしがてら、塒になる場所を探した
公園は塩だらけの体を横たえるには土っぽい
この辺りは民家ばかりで、なかなかそれらしい場所は見当たらなかった
時々すれ違う住民は、頭からバケツの水を被ったような二人組を凝視していた
疲れで目付きが悪くなっているので誰も近づこうとはしない
人を避けて、丘を登ると古びた神社があった
境内は掃除もされておらず、人が出入りしている様子は無い
お堂に入り込むのは忍びないの水野が言うので、屋根の下で雑魚寝をすることに決めた
幸い、夜間でも外で寝られない程ではない気候だ
半ば倒れ込むように水野はどかりと横になった
襦袢は海水や藻や土で薄汚いが気にしている素振りは無い
こんな狐を見たのは初めてだ
アカギも隣に並ぶと、なるほど眠気が襲ってくる


「あんた今までにこんな風に寝ることあった?」

「掃溜めのようや場所での雑魚寝は馴れてますよ」

「案外図太いな」

「あーたも馴れてそうですね」

「ああ、体に気を使わなさ過ぎてよく体調を崩してた」

「あの冬の日も?」

「あれはちょっと休んでただけ」

「ちょっと、ですか」


狐はくすくす一頻り笑うと、眠りについた
膝を折って丸まっている
襦袢一枚はやはり寒いらしく、僅かに震えていたので、身を寄せて温めてやった





アカギの優勢で事が進んでいたやくざとの勝負。
後で見ていた水野は途中から彼らの様子が可笑しいことに気がついた
見えないように後ろ手に拳銃を持っており、負けが嵩むと目はある種の光を宿していく
じりじりと身を焦がす博打が理性をも焼き切ろうとしている
卓を囲むように仲間が動き出した時、水野は机をひっくり返しアカギの首根っこを掴んで窓から飛び出した
下は海だとわかっていた
大金の入ったボストンバックはサイドテーブルに置いたままだった

水面に勢いよく顔が沈つ瞬間、水野は己がアカギを信じ切れかったことに瞼を閉じた






「夏の恋人」より







[134/147]



戻る


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -