本音の音…19(番外)


「アカギッ」


ある日、通りを歩いていると後ろから聞き覚えのある声が自分に掛けられた
振り替えると見覚えのあるパンチパーマがあった
8月31日の夜、鷲巣との大勝負を共に演じた仰木武司、その人だった
仰木に鷲巣戦の礼をどうしてもしたいと懇願され、仕方なく後日、稲田組の屋敷へと向かった


手厚く玄関で迎え入れられ、畳の大部屋の敷居を跨ぐ
長机にはずらりと稲田組の幹部と思われる者や組に縁のある人間が厳かに座っていた


「よく来てくれたな、アカギ。まあ座ってくれ」


おい、と仰木が手を叩くと給仕が懐石料理を並べ始める
仰木の乾杯で宴会が始まった
料理も然ることながら、三味線の演奏や、多くのコンパニオンの女性を呼んでおり、成る程金が掛かっている


「お前が興味を示すとは到底思えんが、気に入った女が居たら遠慮なく言ってくれ」


アカギは適当に飲み食いして、少ししたら退散しようと考えていた
室内をぐるりと見回すと皆興味津々でこちらの動向を伺っていた
これは、面倒なことになる前に帰った方が良いだろう
部屋の隅、下座にふと見慣れた顔を発見した
アカギは僅かに目を細め、意識をそちらに集中させる
それは束ねた髪をゆらゆらさせて、お酌をしていた
この稲田組の祝賀会に、水野がいるのである
こちらからは対角になっているので気がつかなかった

何故、あれがここにいるのだろう


アカギの手が止まっているのに気がついた仰木がその視線を追うと一人の女に注がれている
仰木は近くのものを呼び寄せて、向こうの女が来るように命じた
言伝が伝わり水野が振り向いた
やはり、かの狐に間違いなかった


「失礼致します」


水野は膝を折り、上座の仰木のグラスに先にビールを注ごうとしたが制され、アカギの方の相手を頼まれた


「初めまして」

「どうも」


あくまでもしらを切るつもりか
にこにこと水野は他人行儀に話しかけてくる
この他人を演じる遊びにアカギも乗ってやろうという気になった
コンパニオンとは、何処まで親しくしていいのだろう
他所を観察すると想像していたよりもべたべたしている
傍へ招いて、隣に座らせる


「何処から来たの」

「はこべらです」


はこべらとは店の名前だろう。
少し記憶とを辿ると、思い当たる節があった
13の時に水野の小料理屋にやってきた女達…あの店の手伝いをしているのか


「すみません、お渡し出来る名刺を忘れてしまって」


いけしゃあしゃあと狐は笑って見せる
化粧は仕事のために何時もよりずっと華美で、目尻には朱が刺している
着物も豪奢な物を纏っていたが、選んだのが水野なのか主張をしない美しさだった


「俺は赤木しげる、あんた名前は」

「椿です」

「椿さん」


源氏名までご丁寧に名乗るので、少し反撃を開始する


「いくつ?」

「女性に年齢を聞くのは野暮ってもんですよ」

「いいじゃない」


腰に腕を回すと水野はみじろいだ
人前で滅多にこんなことはしないのだが、酒の勢いとしておこう


「後で二人きりになろうよ」


耳元で囁くとちらりと刺すような視線がアカギを一瞥した
どうやら反撃は成功しているらしい
水野の反応に満足するとアカギは料理に手を付けた


「お若いのに慣れてらっしゃる」

「誰のせいだろうな」

「お聞きしましたよ、なんでも大勝負に勝ったんですって」

「ああ、随分前さ」

「何時頃ですか」

「二年前くらい」

「楽しかったですか」

「ああ、とても」


アカギの表情が憧憬に染まるのに水野は少し複雑な感情を抱いていた
自分にはどうやっても踏み込めない領域だとわかっていた


「俺の話はいいんだ。あんたの話を聞かせてよ」

「私の?」

「ああ、昔の話でも」

「そうですねえ」


水野はいつも自分の過去についての明言を避けていた
今ならばコンパニオンとして立場が上の自分に話をするかもしれない


「…実は生き別れた子供がいるんです」

「え」

「冗談ですよ」

「…」


幾分不機嫌になったのでアカギはジョッキのビールを飲み干した


「日本酒、頼んでくれる」

「畏まりました」


水野は立ち上がると襖の奥に消えた
暫くすると一升瓶を携えて戻ってくる
透き通ったお猪口をアカギに手渡し、瓶を傾ける


「あんたも飲みなよ」

「では失礼して」


もう一つのお猪口に並々と酒を注いでやると両手で捧げ持ち旨そうに飲んだ


「先程の話ですが、未練が無いと言ったら嘘になります。しかし、自分で決めたこと、後悔はありません」

「博打は好き?」

「ええ、好きです」

「博打が無くても生きていける?」

「いけますが、それは死ぬことと同義です」

「そう」

「…寂しくはありませんか?」

「よくわからないが、生まれてこの方ずっとこうやって生きているからな。今更どうとも思わねえよ」

「そうですか」

「今はあんたもいる」


手元の料理が気がつけば無くなっていた
アカギが先程口にしたしめ鯖が最後だったのだ
他の人間も酔いが回りきって、潰れている者も多く、会場は静かだった


「随分とその人が気に入ったんだな、アカギよ」


仰木は茶化すつもりで言ったのだろうが、思わぬ横槍に顔を見合わせた
アカギはにやりと笑うとじゃあ、そろそろ行きますと言って水野の手首を掴んだ
水野はもうすっかりアカギに惚れ込んでいると言った素振りでしなだれかかってきた
仰木はまだアカギを引き留たがったが、さらりとかわして屋敷を出た


それから夜道を二人でからからと笑いながら、歩いた






「夏の恋人」より






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