渦…13(番外)

深夜、玄関の戸が静かに開いた
寝室で横になっていたアカギは襖の先に意識を集中する
今日は水野が用事で外出しており、一人で夕飯を済ませていた
足音が下駄なので当人だと推測できる

万が一、物取りだと堪らないので確認に行く
足音を澄ませて冷たい廊下を通ると案の定水野がいた


「おかえり」

「ええ」


予想に反していたのは纏う空気だ
どこか気だるげで瞳には力がない
一見いつも通りだが、微細な違いをアカギは見逃さなかった
出先で何かあったのだろう
それにしても泰然自若の狐も弱ることがあるのだ
しかもそれを自分に悟らせるほどに自身を制御できていないとは、珍しい
水野は手提げの中のものを冷蔵庫に入れると、奥から酒瓶を取り出し再び玄関の戸に向かって歩き出した
外の何処かで飲んでくる気なのだ
手が取っ手にかかろうという時にそれまで黙っていたアカギが声をかけた


「水野さん」

「…はい」

「熱燗、作ろうか」


意外そうに水野は身じろいだ
目じりが締まって何かを堪えているようにも見えた
暫し思考してから、そっとお願いしますと言った


「どうせ風呂にも入るんだろ、作っておくから」

「はい」


袖を泳がせて水野は脱衣所へ向かった
春先はまだまだ冷え込み心を鋭敏にさせる
あの化物もそれに当てられたのやもしれない
風呂の時間を考慮して20分ほど待ってから、台所に入る
棚から徳利とお猪口を取りだし、鍋に水道水を入れる
日本酒を注いだ徳利を一度立て、半分くらいの高さまで鍋の水位が来るように調節する
確認ができれば徳利を取り出し、鍋を火にかける
沸騰した後火を止め、中に再度徳利を立てた
これで日本酒が徳利の縁ぎりぎりに来れば完成だ
数分の待ち時間のうちにお猪口をもう一つ取り出しておいた
誰が使うかは言わずもがな。
風呂場の水音が止まったのでそろそろ上がったのだろう
お猪口を鍋から上げて、底に中指を当てる
程よい熱さだ
水野が前の店でよく熱燗を作っていたので、やり方は知っていた
初めて作ったがなんということもない
酒器を盆に乗せ、居間に入る
気紛れにカーテンを明けて辺りを眺めた
外はもはや、人間の世界では無かった
夜半ということもあり冷たく静まり返っている
まるでこの家だけが置き去りにされたようだった
数分の後、水野が上がってきた
風呂に入っても調子はまだ戻らないらしい
居間でも底冷えする寒さが染みる
火鉢に火を入れておくんだった
このままでは熱燗どころではないので、畳の寝室に入った
家主は何も言わずに後を付いてくる
敷布団の上に腰掛け掛蒲団を引き寄せて暖を取る
傍らに盆を置いた
立ち尽くしている手首を引いて隣に座らせる


「熱燗、ありがとうございます」


水野は笑顔を浮かべて徳利からお猪口へ酒を注ぎ、口に運ぶ
ここまで来てもこの狐は下らない貞操を貫こうとしているのがもどかしかった
他所では良い、むしろ弱みなぞ見せたら許さない
しかし、自分には頼って欲しいと、この頃思い始めている

端的に言うと水野に依存されたい

腹立たしさにお猪口が空になった隙を見て、無理矢理肩を抱き自分にもたれ掛からせる
湯気を仄かに纏う体はずっと温かい
水野は少し思案して体重を預けた
やっと化けの皮が剥がれたか。
暫くは二人とも黙っていた
黙々と杯が空になる
相変わらず酒の旨さはわからないが、夜に酔うには丁度良い
肩の温もりがもっと欲しいとアカギはぼんやり考えていた
水野が息を一つ付いて気を緩めた


「…疲れました」


ああ、やっとだ。


「うん」


アカギ唯一人に向ける水野の本質の片鱗
これはアカギに幸福をもたらす
心が浮わつくのは若さだが、他所にそれが吐露されていようものなら牙を向く諸刃の剣でもある
アカギが頭を水野に乗せる
そうすると分け合える体温が多くなり、心地好い
狐の揺らぐ理由は何だって良い
ただ、隙を見せるのが自分ならば
もっと水野の心が欲しい
調子に乗って顎を持ち上げると口付けた
軽く抵抗を見せるが、構わずに何度も啄む
酔いとは違った熱が体に集中してくる
風呂上がりの石鹸の匂いがした
ここからどうするんだったかと回る思考を制御して思い出す
舌で唇をなぞるとぴくりと相手の体が跳ねた
えも言われぬ快楽がアカギに広がる
途端体を無理矢理引き離された


「終わりです」

「…倍プッシュ」

「却下」


このまま収まる訳がない
もっととせがむが、思いの外酔っていて力が入らない
きっと水野に触れて血の巡りが良くなったせいである


結局何も許して貰えずにアカギはふて寝をすることになった
少しずつ侵食は出来ている
このまま許容範囲を押し広げて行く打算がアカギの中で組み立てられていた






「春の友人」の別荘にて






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