不動の勇者 | ナノ


「噂には聞いていましたが、とんでもない奴ですな……」


グリゼルダの説得に失敗した一同は、取り敢えず昼食にしようというマルディン将軍の指示の元、食事の仕度を始めた。

焚き木に使えそうな枝を拾い集める者、石で竈を作る者、水を汲みに向う者。それぞれが己の役割を全うしながら、さてこれがあと何日続くことかと、煙突から細い煙を上げる小屋を眺めた。どうやらあちらも昼食の時間らしい。

マルディン将軍と共に具材の皮剥きに勤しむ兵士達は、一体どんな心地で飯を食っているのかと嘆息しながら芋の皮を剥いていく。


「確か……シェオルと言いましたか。あの娘が旅に同行すればいいだけの話では無いのですか?」

「それが出来ないから、奴は”不動の勇者”なのだ」

「……? どういうことです?」

「シェオル殿は故あって、この森から出られないのだ。だからグリゼルダも此処を離れない、という訳だ」


事情を知らない若い兵士が言う通り、シェオルがグリゼルダの旅に同行出来るのであれば、彼が”不動の勇者”と呼ばれることは無かっただろう。


グリゼルダがこの森から離れない理由は、シェオルがこの森から離れられない。これに尽きた。

もしシェオルが自由の身であれば、グリゼルダは不承不承、魔王討伐の旅に出ることを請け負っただろう。母さんと一緒なら、と。だが、それは決して叶わぬ願いだ。此方にとっても、グリゼルダにとっても、シェオルにとっても。

手慣れたナイフ捌きで皮剥きを進めながら、マルディン将軍は森の中心部に聳える”神霊樹”を見上げた。


「あれは、呪いとも呼ぶべき誅罰だ。それを最も疎ましく感じているのは、間違いなくグリゼルダであろうな」


神族が天より与え賜うた聖なる巨大樹。グリゼルダの楔がシェオルであるのなら、彼女の楔はこの樹か、或いは――。


初めてそれを知った日のことを回顧しつつ、マルディン将軍は皮を剥き終えた芋をボウルへと放った。頭上では、鳶が細く澄んだ声で鳴きながら旋回していた。





「母さん、少し顔色が悪いんじゃないか? また何処か痛むのか……?」

「大丈夫よ。ちょっと外を歩いて回っていたから、少し疲れただけ」

「本当か……? アイツらが森に入って来たせいとかじゃ」

「そんなことないわ。そんなことないから、怖い顔しないでグリくん。包丁を持ったまま向こうを睨まないでグリくん」


鹿肉を切り分けながら度々外を睨むグリゼルダをどうどうと宥め、シェオルは鈍痛を訴える額に宛がいかけた手を誤魔化すように前髪を撫でた。


「マルディン将軍は良い人よ。”神霊樹”様も彼を受け入れている。だから大丈夫。心配してくれてありがとうね、グリくん」


努めて明るい顔をしてみせたが、顔色までは誤魔化せていないらしい。痛切に眉根を寄せるグリゼルダに、シェオルは申し訳無さそうに小さく俯いた。


マルディン将軍らが森に来たことと、体調が優れないことは関与していない。彼等がこの森に拒まれる人で無いことは、前回の魔王討伐時、既に証明されている。
新たに加わった兵士の中にも、そうした人物は一人としていないだろう。マルディン将軍が、此方に配慮して兵士を選んでくれているからだ。

彼がそう言ったことは一度も無いが、シェオルには分かる。マルディン将軍は”神霊樹”が受け入れるのも頷ける、心優しく誠実な人物だ。

森に敬意を払うのみならず、自分にまで礼を尽してくれて、本当に頭が下がる。


――自分が此処にいるせいで、こんなことになっているのに。


シェオルの眼差しの翳りを感じたグリゼルダは、ばつの悪そうな顔をしながらまな板を持ち上げ、一口大に切った鹿肉を鍋の中に滑らせていく。

依然として、マルディン将軍に悪いとは欠片も思っていない。彼はただ、シェオルが自分を責めていることが心苦しく、彼女をそうさせるものが憎らしかった。


「……”原初の勇者”を殺せとか、そういう依頼なら喜んで受けるのに」

「ダメよ、そんなこと言っちゃ。……これは、私が負うべき罪。悪いのは私だから」

「そんな訳ないだろう」


シェオルが背負う咎など何処にもありはしないのに、どうして致し方ないことだと言えようか。

行き場の無い怒りを湛えた眼で、グリゼルダは泡を立てる鍋の中を見つめる。顔を合わせたことも無いその人が、この鹿肉みたいになってしまえばいいと唾棄するように。


「何が勇者だ。俺からすれば、魔王なんかより余程悍ましい。こんなに優しい母さんを、アイツは……」

「グリくん……」


自分の為に心を痛めてくれなくていいと言っても、グリゼルダは首を縦に振ってくれない。

グリゼルダは本来、とても優しい子であるとシェオルは思っている。そんな彼に、この世界のことなんてどうでもいいと言わせてしまったのは自分で、その度々に、自分はこの世界にとっての害毒でしかないのだと思い知らされる。


(お前に罪は無い)

(だが、お前に流れるその血に罪がある。故に、お前はその血に宿る罪を贖う義務があるのだ)


例えこの手を汚したことは無くとも、掌を透かせば、其処に流れる血潮に罪がある。他人事だと言える場所は、生まれた時から遥か彼方に存在していた。だから、自分が償いの為に生きることは必然だということは受け入れられる。それでも、この運命に彼を巻き込んでしまったと痛感させられる時、シェオルは思う。

どうして自分は、生まれてきてしまったのだろう――と。


もう何度繰り返したかも分からない自問自答。不毛で無益な自己分析に意識が浚われる寸前で、シェオルは思考を打ち切った。

ただでさえ顔色が優れないというのに、表情まで暗くしていてはグリゼルダを不安にさせてしまう。
この件についはもう自分の中で決着が付いているのだから、これで終いにして切り替えようと、シェオルは調味料棚に手を伸ばした。その直後だった。


「う…………うぁ、ああ……うああああ!!」

「母さん!!」


胡椒が入った瓶に伸ばしかけた手が宙を掻き、床に吸い寄せられるように落ちて行く。

頭が割れるように痛む。呼吸をするだけで体が軋む。眩暈がして、吐き気がして、とても立っていられない。膝から崩れ落ちたシェオルは、体中に走るあらゆる苦痛を押さえ込むように頭を抱え、身を丸めた。


「”神霊樹”様が、戦慄いてる……。近くに、強い魔族、が…………うあぁあああ!!」

「母さん、しっかり……母さん!」


何かの接近に呼応してシェオルが悲痛な声を上げる。それに、何一つとして意味が無いことをグリゼルダは知っていた。

強い力を持った魔族が現れる。それを森に近付けまいと”神霊樹”が力を揮う。その影響でシェオルの体が苛まれることに意味も意義も無い。
彼女が叫び立てようと、その声が聴こえる距離には誰もいない。そも、”神霊樹”が起動した時点で警報を鳴らす必要は無い。当然だ。言ってしまえばこれは、ただの八つ当たりでしかないのだから。

何の罪も咎も無い彼女を徒に苦しめる為だけのシステム。それが、この呪いの全てだ。


「…………少しだけ待っていてくれ、母さん」


シェオルをベッドに運んだグリゼルダは、煮え滾る血潮に駆られるように玄関口に立て掛けられた剣を掴み取った。


世界なんてどうでもいい。国が滅びようと、人が斃れようと知ったことではない。だが、其処に彼女を脅かすものがあるというのなら、自分はその悉くを鏖そう。

それが自分の存在理由。それこそが己を勇者たらしめるただ一つの意義であると、グリゼルダは家を出た。


「母さんを苦しめる奴は全部、俺がこの手で叩き潰すから」

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