妖精殺し | ナノ


炎が撓う。それは意思を持って動く生き物宛らに、ローブの男を捕食せんと唸りを上げる。その追撃を軽々と躱し、距離を取ると、男はローブの端についた火の粉を軽く振り払いながら、感心したような眼で化重を見遣る。


「ふむ……流石はエレメンターガイスト。それもサラマンダーとは、何と因果な」


その口振りからするに、やはりあの巨大フラスコの中にいるのは四大精、サラマンダーなのだろう。黄金の液体の中で身を丸め、時折肉厚の目蓋の下で眼窩を動かしたり、口の端から気泡を吐き出すそれを春智が仰いだのも束の間。更に激しく燃え上がる炎に眼を向ければ、刹那、振り上げられた化重の腕が垣間見えた。

炎を自在に繰り出し、操るその手には、彼の頬に浮かんだそれと同じ黒色の鱗が視認出来た。


――あれは徐々に、彼の身体を蝕んでいるのか。


まるで、炎が燃え盛るごとに化重の身体が人から遠ざかっていくようだと息を飲むと、熱せられた空気が肺を満たす。
喉から焼かれるようなその痛みを吐き出さんと春智が咳き込んでいる間にも、化重は炎を唸らせ、ローブの男を焼き殺さんとするが、男は炎に捕らわれるより早く身を翻し、影法師の如く消えたかと思えば、化重の視界の外に降り立つ。

このままでは、鼬ごっこだ。何が楽しくて、あれと戯れていなければならないのだと、化重は炎を傍らに携え、男を睥睨した。


「……エアリエルの加護か」

「如何にも」


風を自在に操り、時に嵐さえも巻き起こす大気の妖精・エアリエル。あのローブはその羽根を編み込んで作り上げた物だろう。魔力を流し込み、靡かせることで風を起こし、向い来る攻撃の軌道を逸らす妖精のローブ。厄介な物をと盛大に眉を顰めながら、化重は一度、攻撃の手を止めた。

力任せ、感情任せに勝てる相手ではないと嗅ぎ取れるだけの冷静さが残されていたのは僥倖であった。長年幻想ハンターとして数多の幻想生物、並び、その生態を脅かす者と戦ってきた経験が、化重の殺意を鎮める。

だが、この炎を絶やすことは決してないのだと言うように、化重は熱せられた空気を深く肺の中に取り込んだ。


「…………三十年前、あの人の手によって、てめぇらの研究は悉く処分された筈だが」


燃え滾る激情と共に吐き出された吐息が、小さな炎となって、大気に溶ける。

竜の息吹きを彷彿とさせるその仕草にローブの男がほくそ笑む中、化重は唸るような声で問う。今、目の前にある惨劇。それが、かつてこの身を蝕んだものと同質のものであるか否かと。


「お前ら……まだこんなくだらねぇことしていやがったのか」

「サラマンダーの力に、その口振り……貴様、やはり化重叶か」


その、まるで答えになっていない返り言こそが答えであると、何も知らない春智にも理解出来た。

巨大なサラマンダー。硝子容器の中の子供達。ローブの男。その全てが、化重を魔法使いにしてしまったということが。


「哀れな。あの御方の寵愛を受けながら、我等に牙を剥こうとは。その炎、己の身を焼くことになるぞ、妖精殺し」

「あの女をてめぇら諸共燃やし尽くせるなら本望だ。……俺があの地獄から這い上がってきたのも、その為だ」

「全く、恐ろしい男だ。やはりサラマンダーに……いや、あの御方に選ばれるだけのことはある」


それが化重の神経を逆撫でると知りながら、敢えて言い換えた男の頬を炎の槍が掠める。エアリエルの加護が無ければ、槍は男の頭部を刺し貫き、見事な兜焼きが出来上がっていただろう。

男の動きと反応の速さは、化重が十分捕捉出来る範囲内だが、あのローブを纏っている限り、此方の攻撃は紙一重のところで躱される。さながら闘牛だ。となれば、肉迫し、直接男を捕らえるに限るのだが、あれは自分の得意不得意を熟知している口だ。

接近戦、肉弾戦は自分の不得手とするところ。だからこそ、男は常に化重と一定以上の距離を取り続けている。相手とどの程度の位置関係を保ち続けるのが最良か。それを瞬時に見極めるだけの戦闘経験は積んでいるらしい。


――対魔術師戦に長けた魔術師ほど、狡猾になるものだ。


化重は、じりじりと後退していく男を見据えながら、その腹の内を掴み次第、瞬時に引き摺り出せるようにと構える。


「逃げる気か」

「そうしたいところだが、そうはさせてもらえないのだろう?」


わざとらしく肩を竦めて一笑すると、男はローブの中から杖を取り出した。

酷く捩じれ、鹿の角のように枝分かれした大振りの杖。それが葡萄の木のドリアード、アンペロスから造られたものだと一目で判別出来たのは、夥しく実った果実の為だ。幹を覆う無数の粒。突けば其処から裂けて、赤黒い果汁を滴らせそうな葡萄が疣のように実っている異形の杖。ブラジリアン・グレープと呼ばれる植物、ジャボチカバにも似たその杖を男が振り翳すや、彼の前に巨大なシジルが現れる。


「私は魔術師としては非力でね。エレメンターガイスト相手では手も足も出ない……よって、然るべき相手を用意しようという魂胆なのだ」


幾つもの魔術円を組み合わせ、構成された一つの巨大シジル。其処から現れ出でし物が規格外であることは、その指先だけで十分過ぎる程に理解出来た。


「あ、あれは…………」


最も的確に形容するのなら、それは動く山だった。苔むした岩石が積み重なって出来た巨体。その身体を飾り立てるように生い茂る蔓植物や草花と、獣の骨や毛皮で出来た装飾品。ただ振り下ろすだけで、あらゆる命を無遠慮に押し潰す手に握られた棍棒は、巨木を丸々一本使って作られた物だろう。

自然という猛威が意思を持ち、一個体として成り立ったが如きその巨人を前に、春智が竦む中。化重は静かに、その幻想生物の名を呟く。


「……スプリガンか」


――スプリガン。イングランド、コーンウォール地方伝承の大いなる妖精。妖精の守護者、財宝の番人とされるこの幻想生物は、古代遺跡に巨人の魂が宿って生まれたと考えられ、無双の怪力を以て、幻想の領域に踏み込む人間達を排除してきたとされている。用心棒、警衛にはうってつけの妖精だ。

とはいえ、スプリガンはそう容易に従えられるものではなく、凡そ使い魔として契約出来るものもない。が、魔術を以てこれを強制的に従属させることは可能である。


「ドワーフ、エアリエル、スプリガン…………お前、使い魔術(ファミリア・アーツ)の使い手か」

「如何にも」


使い魔術とは、魔術的干渉を以て他の生物を従える使役魔術である。

魔術師の大半は使い魔を所有しているものだが、それらは主に自ら赴くまでもない雑事の為に用いられるものであり、また、使い魔というのは主たる魔術師以上の力を持たざるものであるとされている。だが、使い魔術の使い手達は違う。魔術師達がペットの飼い主であるのなら、使い魔術の使い手は猛獣使いだ。

彼等は単純な力で上回る生物をも従え、自らの魔術を以てこれを強化し、武器とする。また、彼等は対象を完全に隷属化しているが故に、サモナーのような契約の縛りや反動を受けることがない。使い魔達は主の為に命を賭すことを厭わず、その働きに対価を求めることもない。よって、使い魔術の使い手は、従えた使い魔の性能をノーリスクでフル活用することが出来るのだ。

尤も、使い魔術の精度や練度によって、従えられる使い魔のランクもたかが知れているが――優れたる使い魔術の使い手は、この限りではない。


「我等が毒林檎の魔女の名のもとに、名乗らせていただこう」


卓抜した手腕を持つ使い魔術師は、強大な幻想生物さえも従える。本来、人に仕える筈のないスプリガンでさえ、男の使い魔術を以てすれば飼い犬と化す。


「我が名は、オーギュスト・ダルクール。またの名を、”幻想使い”のオーギュストだ」



prev next

back









×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -