妖精殺し | ナノ


”幻想使い”のオーギュスト。フランス出身の使い魔術師である彼は、若き頃より稀代の天才使い魔術師と称され、二十代の時分に、かのユニコーンさえ従えたことから一躍その名を轟かせ、何れ魔術史にその名を残すとまで言われた実力者であった。

そんな彼が何故、魔術議会を離反し、毒喰苹果という禁断の果実に手を出したのか。それを知る者はいない。だが、魔女の狂信者となり、外法に手を染め、これまで幾人もの魔術師達を魔女の為にと葬ってきたオーギュストが、この世界を脅かすに値する存在に成り果てたことは確かなことだ。

故に、魔術議会は彼を第一級魔術犯罪者とし、ブローも討伐に努めて来たが、彼が魔女の狂信者に堕ちてから二十余年。誰も”幻想使い”オーギュスト・ダルクールを止めることは出来なかった。


「オォオオオオオオオオ!!」


それも無理はないかと、化重は他人事のような感想を抱いた。

幻想ハンターとして幾度かスプリガンと対峙したことがある化重だが、これ程までに巨大な個体は終ぞ見たことが無い。恐らくあのサラマンダー同様、オーギュストの使い魔術によって何かしらの改造を施されているのだろう。超大型スプリガンは、その大きさも然ることながら、体の頑強さ、自然放出される魔力量も通常のそれとは比にならないことが一目見ただけでも明らかだ。これは最早、生き物というより兵器に等しい。

一個人が有する力の範疇を越えたものが相手では、ブローとて手を焼くだろう。妖精兵器・スプリガン――これは最早、人の手に負えるものではない。


「オオオオオォォオオオ!!!!」

「!!」


ただの咆哮だけで、存在が掻き消されるような威圧感に頭が痺れる。だが、一瞬でも呆けていれば死ぬぞと本能に弾かれて、反射的に魔術防壁を張ったのが功を奏した。腕を上げて、下ろす。ただそれだけの動作が自然災害にも匹敵するパワーを以て、振り下ろされた棍棒が、爆発的な風を生み、化重の炎を吹き飛ばす。

魔術防壁がなければ、紙屑のように飛ばされていただろう。床にへばりつくように身を屈め、何とか初撃から身を守ることに成功した春智であったが、ただの一撃を命辛々防いだということが如何に絶望的であるか。

いっそ滑稽なまでに震えた体が起き上がることを拒むのは、頭より先に理解してしまったからだろう。どう引っくり返っても、あれに勝てる見込みが無いということを。


「ムーーーー!!」


恐怖が脳の奥にまで食い込み、あらゆる感覚を鈍らせる。耳元で叫ぶムーの声さえ、何処か遠くの、夢の中の出来事のような気がして、春智が反応出来ずにいる間に、スプリガンの二撃目が振り下ろされる。

それがどういうことかを理解した瞬間。春智の体は凄まじい勢いで後ろに放り投げられた。


「――あ、」


急速に広がりゆく視界の中には、スプリガンの棍棒の上を駆ける化重の姿があった。

あの凄まじい一撃を躱した化重は、続く二撃めをすり抜けながら春智を投げ飛ばし、迫る棍棒の上に飛び乗ってみせたのだろう。いたずらに投げられた小石さながらに宙を舞いながら、放たれた矢の如き速さでスプリガンを翻弄する化重を見ていた春智は、再び耳元に響いたムーの叫び声によって意識を自分の中に持ち直し、落下に備えて魔術防壁を張った。

スプリガンの棍棒さえ届かぬ距離まで投げ飛ばされただけあり、落下の衝撃は中々に重い。あのまま落ちていたのなら、酷く体を打ちつけていただろう。尤も、己の身さえまともに守ることの出来ない自分など、動けなくなったところでだと、地面の上に数枚重ねた魔術防壁を破りながら不様に着地した春智は、切歯した。


この状況に於いて、自分は石ころも同然だ。何も出来ないままに踏み砕かれるならまだしも、化重の足を取ってしまう可能性すら有している、矮小なくせにこの上なく疎ましい障害物。いつか、ユニコーンとタム・リンに襲われた時と同じ――否。あの時以上に、今の自分は無為で無力だ。

あれから幾つもの経験を積み、知識を付け、魔術を使うことが出来るようになっても変わらない。自分は、傷付く彼の為に何もすることが出来ないのだと、春智が拳を握り締める中。スプリガンの上を踏み台に宙に舞い上がった化重は、身を翻しながら炎の槍を放った。

無尽蔵に生み出される炎を圧縮して作られた槍は、その一つ一つが名匠が手掛けた武器に等しく精錬され、研ぎ澄まされている。その鉄をも穿つ鋭さは、魔力によって硬度を極限まで高めたスプリガンの巨躯さえ砕く。だがそれも、通常のスプリガン相手であればの話だ。


「操作式・黒胆汁質なる霊性(メランコリックスピリトゥス)、展開」

オーギュストの詠唱に呼応して、スプリガンの腕に刻み込まれた魔術式が黄色い光を放つ。
同時に、スプリガンの皮膚がバキバキと音を立てながら変質し、石の巨躯は瞬く間に、金属質の光沢を帯びた棘の鎧に覆われる。


「オオォォオオオオオオオ!!!!」


書いて字の如く、それはまさに剣山だ。棘というには余りに大きく、一切を拒むそれは、無骨を極めた剣に等しい。変容したスプリガンによって炎の槍は悉く弾かれ、着地点を失った化重の体は無防備にも宙に曝される。オーギュストはその隙を見逃さず、次の魔術式を展開する。


「操作式・黄胆汁質なる霊性(コレリックスピリトゥス)、展開」


”幻想使い”オーギュスト。その使い魔術の真髄は、古代インドやギリシャで唱えられ、広く医学と占星術に影響を齎した四体液説を用いた水属性魔術である。

オーギュストは、四大元素に対応するとされる、血液、黄胆汁、黒胆汁、粘液に、プネウマ――生気や霊気と呼ばれる肉体を操る力――と魔力を混合し造り出した魔力水溶液を使い魔の中に流し込み、対象を内側から支配する。体を構成するエーテルも、思考も、余すとこなく全て掌握し、操作する。それがオーギュストの使い魔術だ。

使い魔の中に流し込まれた魔力水溶液は、対象に四元素の力と気質を与え、エーテルの分解・再構築を以て、使い魔を意のままに、臨機応変に強化する。


「――荒べ、スプリガン」

「オ、グ、ェア……アアアアアアアアアアアア!!!!」


スプリガンの体が、熱せられた鉄のように赤く光る。その身に流し込まれた魔力水溶液が、魔術式の展開に伴って激しい熱を起こし、スプリガンの全身を巡っている為だ。

黄胆汁の魔力水溶液は、四元素の火を司る。これにより、本来、火の力を持たざるスプリガンは熱を得て、その身を活火山たらしめる。内側から生じる熱はスプリガンの身を焼き、石の隙間から噴き出る蒸気と共に、聞くに堪えない悲鳴が上がる。その苦痛に身悶えながら、スプリガンはオーギュストに命じられるがまま、マグマの如く湧き上がる力を揮う。


「グェアアアアァアアア!!」

「く……っ!!」


降り上げられる足が、地響きを起こす。ただの足踏みだけで命という命を粉砕し、土に還すその一撃が、熱風を伴って春智の元まで轟いた。突貫工事の魔術防壁で吹き飛ばされることは回避出来た。だが、地面を伝う衝撃を殺すことは叶わず、春智はその場に尻餅を付いた。

化重に放り出されていなければ、今頃蟻のようにぺちゃんこに踏み潰されていただろう。次いで訪れた棍棒の一撃に、魔術防壁が破壊されぬよう力を込めた春智であったが、ただの余波だけで身を守る盾は容易に砕け散った。

魔術を齧ったばかりの手腕で、何の事前準備も無しに繰り出される魔術防壁など、大き過ぎる力の前では硝子も同然だ。力任せに叩き割られ、余計な魔力を消耗するだけ。
それを理解しているのか。はたまた、身を守るという選択肢が無いのか。化重は先程から、スプリガンの攻撃を躱すことだけに専念している。いつものように、妖精を捕縛したり、動きを苛む魔術さえ、一切用いていない。その身一つでスプリガンを翻弄し、湯水の如く溢れ出す魔力を炎へ転換し、縦横無尽に飛び回る。


今の彼は狩人ではなく、獣のようであった。獲物の首を食い破るまで駆ける、孤高の獣。スプリガンの棍棒の上を四足で疾駆するその姿は既に、人のそれではなかった。鱗に覆われた手には鋭利な爪が生え、燃え盛る髪は松明の如く、赤橙色の流線型を描く。

魔法を使う度に、サラマンダーへと近付きつつある化重の姿に、春智は臆した。人ならざるものに成り果てようとしている彼にではなく、彼が人でなくなることに。


「ガァッ!!」


短い咆哮と共に化重が飛び上がり、棘の鎧に覆われたスプリガンの唯一守りが薄い顔を狙い、より大きく鋭利な炎の槍を打ち出す。

至近距離からの攻撃には、腕が追いつくまい。半ば捨て身の一撃は、スプリガンの片目を貫く――だが。


「グォアアアアアアアア!!」

「!!」


頭部まで穿たれ、顔を焼かれても、スプリガンは怯むことなく腕を振るう。その天災にも等しい一打を受け、化重の身体が吹き飛ばされ、床に叩き付けられる。

人の身であったなら、とても堪えられる衝撃ではなかっただろうが、化重は未だ原型を留めている。しかし、腕はひしゃげ、脚は有り得ない方向へ捻じれ、顔の半分が潰れている。満身創痍どころではない。未だ息があるのがどうかしているくらいだ。放っておいても死ぬだろう。
だがオーギュストは、速やかにその息の根を止めるべしと判断し、その命に従い、スプリガンはボロ雑巾を抓むようにして化重を拾い上げる。

後は、握り潰すだけで事済む。ゴミを丸め込むようにグシャリと、拳を握るだけで終いだ。


「あ――化重さん!!」


春智の嘆願にも等しい声が響く。意味など無いと知りながら、それでも喉の奥からせり出たその声は、至極当然、スプリガンの動きを止めることはなかった。

隙間なく握り込まれる、焼けた岩の拳。飛び散った傍から蒸発していく血潮。化重叶という人間の終わりを知らしめるその光景に、オーギュストが呵々大笑と声を上げるのを聴きながら、春智は崩れ落ちた。


(複合属性魔術……他の奴に習ってくれ)


彼のあの言葉は、自分が此処で斃れることを見通していたからなのか。いや、そうではなかった筈だ。

化重は勝てない戦いはしない。どんな窮地にあっても、常に自分が出来る最善を行い、最適な判断のもとに動く。彼はそういう男だ。これが勝てない戦いであることを見抜いたのであれば、その場で逃走し、体勢を立て直すことを選んでいただろう。

だのに、終わりとは、こんなにも呆気なく訪れるものなのか。あの化重が、こんな所で――。


焼け焦げた血肉の匂いを嗅ぎながら、春智は失意の底に膝を付いたまま、項垂れた。今からでも逃げ出さなければ、次に握り潰されるのは自分だと分かっているのに、指先一つ動かす気になれなかった。

彼の手助けをするどころか、徹頭徹尾足手纏いでしかなかった自分が、どうして逃げ果せることが出来ようかと。化重の喪失にしがみ付かれ、生きる気力さえも失った春智は、裁きの槌が下るのを待つ罪人の如く、スプリガンの拳が振り下ろされる時を望む。されど、その望みが果たされることは無かった。


「グゥオォオオオオオオオオオ!!」

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