妖精殺し | ナノ
「はーーなーーせーー!!」
「なりません、坊ちゃま」
「先程も申し上げました通り、暫く単独での外出は禁止と、大旦那様からの仰せ付けにございます」
何度繰り返されたかも分からぬ、ヘクセベルク家のメイド達とアルベリッヒの攻防に肩を震わせていた勾軒は、笑いを堪えながら磨き終えたカップを置いて、一息吐いた。
この戦いが始まったのは、アルベリッヒが化重と春智の後を追い掛けようとした直後のこと。
いつも使い魔を通してアルベリッヒを見守っているメイド達が直接ストレリチアに足を踏み入れ「何故お前達が此処に」とアルベリッヒが困惑する中。彼女達は「今すぐお屋敷にお戻りください、坊ちゃま」と半ば強制的に彼をヘクセベルクの屋敷に連れ戻さんとし、それにアルベリッヒが抵抗し、何が何でも春智達の所に行くのだと駄々を捏ね始め、離せ、なりません、離せ、なりませんのループに入った。
三人掛かりで取り押さえられて尚、帰ってなるものかと抗うアルベリッヒは、戌丸と沙門がとうに店を出ていることにも、気付いていないのだろう。
予防接種を拒む子供の如く、脇目も振らず、無我夢中で抵抗し続けるアルベッヒを眺めつつ、そろそろどちらかに助け船を出してやる頃合いかと、勾軒は改めてアルベリッヒとメイドの攻防を見遣る。
「ええい、だから、一人ではないと言っているだろう!! 僕はこれから、春智さん達のもとへ」
「なりません、坊ちゃま」
「単独の外出禁止とはすなわち、現状、坊ちゃまがご自由に出歩くことを禁ずるを得ない危機的状況であるというこにございます」
「あのガンダレフ公がそこまで言うとは……一体、何が起きているんだい?」
――ガンダレフ・ヘクセベルク・ベルトラム。アルベリッヒの祖父にして、現ヘクセベルクの当主たる、魔術議会最高機関・六芒星の一人。エルフの魔術を極め、その力は遠き祖先の故郷たるアルフレイムに至ると称され、”妖精郷の魔導師”の名を冠した、世界最高峰の魔術師。
そんな魔術業界の超大物が危機的状況と判断し、孫であり次期当主であるアルベリッヒの身を案ずる程の事態とは、何事か。
事と次第によっては、流石のアルベリッヒも大人しくなるしかないだろうと尋ねた勾軒に、メイド達は揃って顔を曇らせながら、自分達が此処に遣わされた経緯を語る。
「……先程、闇路黒魔術商会より魔術議会へ、六芒星勅命の極秘調査任務の報告が入りました」
「ということは」
「はい。”アップルシード”にございます」
「なっ…………”アップルシード”だと!? ではまさか……この近くに魔女の狂信者が?!」
「その通りにございます、坊ちゃま」
この世界には、魔に通ずる力を操る人間が三種類存在している。奇跡の発現の為、詠唱や儀式によって、魔力を用いた術を扱う魔術師。奇跡の発現の為、魔力のみを用いる魔法使い。そして、奇跡の発現の為、魔なるものと交わった女――魔女。
魔なるものに子宮を捧げることで、魔胎と呼ばれる器官を得て、膨大な魔力と魔法を手に入れた彼女達は、常に世界に十三人存在するとされているが、件の魔女はその一人にして、魔術史上最凶最悪と称される、魔女の中の魔女。
一度に三体の魔と交わり、三つの魔胎をその身に宿した”毒林檎の魔女”――名は、毒喰苹果(どくばみ・へいか)。
百年前、魔術議会によって捕縛・封印されながら、今も尚、世界を脅かし続けるその魔女の狂信者集団。それが”アップルシード”である。
毒喰苹果の有する、常軌を逸した力と思想は多くの魔術師に多大な影響を与え、それは彼女が魔術議会に封印されてからも変わらず、魔女の狂信者は現在も数を増やし続けている。
その絶対的なカリスマ性に魅入られ、彼女を妄信する信者達は、世界各地に存在する毒喰苹果の端末と共に、封印された彼女の本体を奪還すべく暗躍し、その悉くに莫大な賞金が掛けられている。魔術議会はそれ程までに彼等を脅威と見做し、これを撃滅せんと躍起になっているということだ。それは、毒喰苹果の復活を何としても阻止しなければならないというのもあるが、魔女の狂信者達もまた、世界を脅かすに値する魔術師であることにも起因している。
「闇路様の魔瞳術・千里百眼(アルゴス)が先程、”アップルシード”に与する魔術師を二名捕捉致しました」
「”犬狩り”グリズルド・シルベストル、”死屍喰い”ダーキニー・シダリン……何れも第一級魔術犯罪者でございます」
「な……! 第一級魔術犯罪者が二人も……っ?!」
魔術犯罪者を屠る議会の猟犬・ブロー。そのブローをこれまでに二十人以上葬ってきた銃使いの魔術師、”犬狩り”グリズルド・シルベストル。
自ら殺めた人間の死体を喰らうことで魔力を高め、魔術師を含む数百人の人間を、その腹の中に納めてきたインドの魔術師、”死屍喰い”ダーキニー・シダリン。
彼等のような脅威的な魔術犯罪者が二人も動いているとなれば、成る程、ガンダレフも黙ってはいられまい。
事態が収束するまで、あらゆる魔術の加護に因り城塞にも等しい護りを誇るヘクセベルクの屋敷に次期当主たるアルベリッヒを置くのは必然と言えよう。
「ブローと六芒星直下魔術部隊が動き出しておりますが、恐らく他にも魔女の狂信者がこの近辺に潜伏していると推察されます」
「ですので、一刻も早くお戻りくださいませ、坊ちゃま」
アルベリッヒとて、子供ではない。彼の中にはヘクセベルク次期当主としての自覚があり、それに伴う責務も使命も心得ている。
だからこそ、彼は此処で引き下がることが出来なかった。
「……それを聞いて、尚更引けるものか」
「坊ちゃま!」
「僕は、アルベリッヒ・ヘクセベルク・アインス……もとい、アルベリッヒ・ヘクセベルク・一男!! 六芒星が一角、誇り高きエルフの末裔、ヘクセベルクの次期当主だ! それが……自分一人の身を守るだけに甘んじるなど言語道断!! そうだろう!!」
何れ魔術師達の頂点に立つ者が、我先に尻尾を巻いて逃げ出すなど、あってはならない。
高貴なる者には、果たすべき義務がある。幼い頃より、ノブレス・オブリージュの精神を教えられるまでもなく心得ていたアルベリッヒは、次期当主であればこそ、此処で引き下がる訳には行かないと食い掛る。
自分がいたところで、どうにもならないことは眼に見えている。今すぐ屋敷に戻るべきであることも承知している。だが、世界最高峰の魔術師たる祖父さえ危惧する程の魔術師が現れたことを、あの二人は知らないのだ。
愛する春智と、魔術師として認め難いが認めざるを得ない化重――。あの二人の安全が確保出来るまで、自分は屋敷に戻れないと、アルベリッヒは先程よりも強い意志を以て、メイド達に抗う。
「きっと春智さんも妖精殺しも、このことを知らない……。だから、僕が行って、知らせてやらなければ」
「しかし坊ちゃま」
「坊ちゃまにもしものことがあれば」
アルベリッヒが向かうとなれば、必然、此処にいるメイド達に加え、現在動けるヘクセベルク使用人の最高戦力が揃えられることになるだろう。そうなれば、もし二人が既に”アップルシード”と対峙していた場合、彼等に助力することが出来る。アルベリッヒの狙いはそれだ。
杞憂に終わればそれで良い。だがもし、本当に”アップルシード”と応戦することになった場合、戦線まで赴いたアルベリッヒの命は保障しかねる。無論、使用人達はその命を懸け、全身全霊でアルベリッヒを護ることに徹するが、それでも、万が一ということもある。メイド達が頷けないのは、其処にある。
だがアルベリッヒは、何が何でも自分が行くと言って聞かないだろう。戦線に立つのは高貴なる者の義務の一つでもある、と。
主の高潔さを誇らしいと思う反面、心底困りものだと、メイド達は揃って眉を下げ、如何にして彼を止めようかと考えあぐねた。その時だ。
「流石、アルベリッヒ様。その気高き精神と志、感服致しました」
鳴り響く拍手と称賛の声に、一同の眼が向けられる。その視線を引き連れながらカウンターを出て、壁のハンガーフックにカフェエプロンを掛けたのは、言うまでもなく勾軒であった。
「しかし、使用人方の言う事も御尤も。ヘクセベルク次期当主たる貴方に何かあってはなりますまい」
「勾軒……だが」
思えば、この男がストレリチアの中でエプロンを外した所を見たのはこれが初めてのような気がする。ギルドのマスターとして、喫茶店のマスターとして、開店から閉店まで働いているのだから、それは当然のことだろう。
そう、だから、エプロンが特別汚れた訳でも無いのに、彼がストレリチアの開店中にエプロンを外すことなど、有り得ない。何かしらの用件で、外に赴くことなった時を除いて。
「ですので、此処は私めにお任せを」
軽やかに指を鳴らす音と共に、勾軒の肩にチェスターコートが掛かる。それに袖を通すと、袖口から出てきた勾軒の手には、金色の鍵が握られていた。
「魔女の狂信者程度、アルベリッヒ様が赴くまでもありますまい。この老いぼれ一人で十分……なんて、戦闘になるかどうかも分からないのだけれどね」
その鍵は、とあるグリモアールに記された詠唱、儀式、魔法陣を組み込んだ魔術式を刻み込んだ、魔術道具。魔力を流し込むと同時に任意の魔術式を引き出し、展開する、鍵の形をした便覧。
ヨーロッパの古典的魔術書、世界的に有名なそのグリモアールの名を模したそれは、異界の扉を開き、人の世に人ならざるものを喚ぶ。
「召喚式五十九・星の現身(オリアス)――展開(オープン)」
七十二の悪魔を従える為の喚起魔術。その全てを極限まで圧縮した、この魔術道具の名は、ソロモンの鍵。
”悪魔殺し”の異名を持つ元幻想ハンターにしてサモナーである勾軒貞正が、ソロモン七十二柱の悪魔の力、その一部を引き出す為に用いる道具である。
「そういう訳で、少し店番を頼まれてくれるかい、オリアス」
宙に展開されたシジルから現れたのは、三枚の鏡だった。勾軒を中心に、それぞれが合せ鏡になるよう床に配置されたその中には、上半身が獅子、下半身が馬の悪魔の姿がある。その悪魔こそがオリアスであると認識した瞬間、三枚の鏡が白く瞬き、点滅を繰り返した。
視界を焼くようなその眩しさに、アルベリッヒは眼を瞑る。そして、鏡の点灯が終えると共に開いた眼が捉えたのは――。
「な……勾軒が二人?」
「ソロモン七十二柱、オリアスの能力にございます、坊ちゃま」
地獄の軍団三十を指揮する大いなる侯爵、オリアス。その能力は、星の効能の教示、変身、人心操作である。かの悪魔は、自身の姿、或いは、召喚者の姿を変え、人心操作のスキルによってその効果をより高めることが出来る。
勾軒の召喚式は、悪魔自身を呼び出すのではなく、その力の限られた部分のみを引き出すことで高速化、効率化されている為、人心操作にも限度があるが、多少の言動の差異であれば、気のせいだと思い込ませることが可能だ。
――しかし、ほんの一部とはいえ、ソロモン七十二柱の悪魔を呼び出して、命じることが店番とは。
呆気に取られて物も言えずにいるアルベリッヒとヘクセベルクのメイド達の横を軽やかにすり抜けながら、勾軒は目元を押さえ、コートを出した時のように眼鏡を取り出した。
「では、行って来るとしよう。老体には些か堪えそうだが……弟子と、その弟子のピンチかもしれないからね」