妖精殺し | ナノ


燃え盛る炎の中に、夢を見た。思い出とも言うべきそれは、焼べられた薪の如く、炎に焼かれ、灰になろうとしているようで、春智は力無く伸ばしたままの手を握り締めた。


(そういえば、化重さん。魔術師と魔法使いの違いって何なんですか?)


あれは、いつのことだったか。彼に魔術を習い始めて間も無い頃のような、それなりに日が経ってからのことのようにも思える。

修行に行き詰まり、少し休憩しようと、ラボの中で二人、コーヒーを飲んでいた時。手持無沙汰に彼に問い掛けたのは、それとなく尋ねる機会を失っていた、とある疑問だった。


(初めてストレリチアに来た日からずっと気になってて……勾軒さんは呼び方の問題と言っていましたが、区分されているからには、違いがあるんですよね?)


未だ彼が何者であるかさえ知らずにいたあの日。魔術という言葉を口にした化重と勾軒を、春智は魔法使いと呼び、厳密には異なると正された。それからずっと、春智は魔術師と魔法使いの違いとは何かと疑問視していたのだが、化重の弟子になってから、聞きたいこと、気になることが次から次へとやってきて、この事について触れる機会を逃していたのだ。

そんな訳で、特にこれと言って質疑も話題も無い今こそ、魔術師と魔法使いを区分する定義とは何かと問う春智に、化重は咥えかけた煙草をそのままに答えた。


(端的に言えば、魔術師は魔術を使う奴。魔法使いは魔法を使う奴だ。じゃあ、魔術と魔法の違いは何なのかっつーと、これも単純明快。奇跡を発現する為に儀式や詠唱を要するのが魔術、魔力だけを使うのが魔法だ)


あの時、一般にイメージされる魔法使いと殆ど同じようなものだ、と勾軒が言ったのも腑に落ちた。

魔術師と魔法使い。どちらも行うことは、手を触れずに物を操ったり、空を飛んだりといった奇跡の発現だ。それでいて、両者が別物とされているのは、結果に至るまでの過程に絶対的な違いがあるからだ。


(魔術師は基本的に魔力さえあれば誰にもなれる……が、魔法使いはそうはいかねぇ。魔術師は職業みたいなものだが、魔法使いってのは種族みたいなもんだ。本当の魔法使いってのは凡そ、奇跡を奇跡と思っていない。自らの手足を動かしたり、呼吸をしたりするように、奴等は奇跡を起こす。其処に道具も呪文も知識も要らない。時に、意識さえ必要としない。魔法使いはそういう生き物だ)


如何に手早く、如何に簡潔に、如何に強力に奇跡を起こそうと、其処に何かしらのプロセスが生じた時点で、それは魔法ではなく魔術である。世界には、最早兵器とも言うべき力を持った魔術師達がいるが、彼等とて、魔術師の領域を出ることは叶わない。

魔法使いというのは、その存在そのものが奇跡であるが故に、奇跡を奇跡と考えていない。彼等にとって魔法とは、体の機能の一部も同然だ。息をしたり、物を考えたり、歩いたりするのと同じように、魔法使いは奇跡を起こす。それは人の身で生まれながら、幻想生物と同じ力を有しているということだ。
故に、魔法使いは魔術業界に於いて一つの人種として捉えられ、かの者達は羨望と敬意を込めて大賢者(ワイズマン)とも呼ばれている。

だが魔法使いの大半は、魔術師に関わることはおろか、確認されることさえ珍しく、凡そ彼等は世界の何処かで自由気儘に、自らの生活を送っている。その為、大賢者と呼ばれる魔法使いは現在三人しか存在していないという。


(魔術も元は、魔法を再現する為、魔力を持つだけの人間が生み出したものだ。故に、どれだけ魔術を極めても、魔法に至ることは不可能と言われている。それでも、魔法使いになろうとする輩は後を絶たないもんだが……まぁ、凡そろくなことになっちゃいねぇ。その辺りは魔術倫理学のグリモアールに書いてあるから、読んでおけ。尤も、お前があれを読めるようになるにはもう少し掛かるだろうがな)


魔法使いとは先天性のものであるが、この力を後天的に得ることは出来ないかと、これまで幾多の魔術師達がその研究に生涯を捧げた。

ある者は世界中の魔術を極め、ある者は幻想生物のみを喰らい続け、ある者はあらゆる延命術を用いて二百年の歳月を賭し、ある者は大賢者に弟子入りしたが、その殆どは徒労に終わり、魔法に辿り着いた者も、人としてまともではいられず、その研究諸共、魔術議会によって葬られた。


魔術師という職務に就いている人間が、魔法使いという種族になる為には、人であることを捨てなければならないとさえ言われ、昨今は魔法の研究を禁止する条令も出ている程だ。

人は人らしくあるべきだ。魔法は、人の領域を逸脱してまで得るものではない。魔術師も魔法使いも、奇跡を成すものであることには違いないのだから、と。


そう語る彼の顔が重なったのは、今になってこのことを思い出したのは、燃え盛る炎が、ただの一言の詠唱も、一切の道具も用いられることなく、現れたからだろう。


(その炎……貴様、エレメンターガイストか)


化重と対峙するローブ姿の男の言葉を反芻しながら、春智はまた一つ回視した。


あれは、属性魔術を習い始めた頃。自分の属性に関わる知識を蓄えておけと渡されたグリモアールを読み解いている時に気になって索引した、幻想生物図鑑の一頁だ。

魔力と魔術の属性は、四元素――火・水・風・土になぞらえて分類され、其処から細かく枝分かれしている。その四元素を司るのが、四大精、元素霊、エレメントとも呼ばれる幻想生物達である。
それらは各々が司るものから生まれた自然霊とされ、魔術とも深い関わりを持ち、時に使い魔として、時に儀式や魔術道具精製の材料として、時にシンボルとして活用されてきた。


その四種の妖精の内、自らの魔力属性と同じ、火を司る妖精の項目を眺めていた時の記憶が、春智の頭の中に押し寄せる。

不燃の皮を持ち、火を喰らい、炎や溶岩の中に生き、その生態故、竜の一種ファイアードレイクと同一視される妖精。ウルカヌス、アエトニキ、ロラマンドリの別名を持つ錬金術の象徴。挿絵の中で動き回る、火を纏う蜥蜴。その名は――。


「…………サラマンダー」


余りにも有名なその妖精は、一目でそれと断定出来ながら、しかし、幻想生物図鑑で見たそれよりも、明らかに大きく、明らかに異常であった。

本来サラマンダーは人間の手の平程の大きさしかないとされているが、黄金色の溶液で眠る蜥蜴は二メートル、いや、三メートルはあろう大きさだ。


――あれが本当に、かの火蜥蜴、四大精のサラマンダーなのか。


疑念が脳裏に爪を立てる中、春智がその名を口にしてしまったのは、赫々と髪を燃え上がらせ、あの蜥蜴と同じ黒色の鱗を纏う彼の放つ炎にを眼にしたからだろう。

行く手を阻む炎の壁。それは、何者もこの先へ踏み込ませまいとする彼の確固たる意志の象徴であり、彼が自らを閉じ込める檻でもあった。


(…………悪いな、春智)


そう言って、自分を突き放した化重が見せた、胸が引き絞られる程に優しい顔が、炎に飲まれていく。

手を伸ばせば届く距離にあるというのに、燃え盛るその炎を掻き分ける術を持たない春智は、床にへたり込んだまま、涙を零した。


「どうして……化重さん…………」


何が化重をそうさせたのか、春智は知らない。知らされていない。だからこそ、こんなにも胸が痛む。


言える筈がない。見せられる訳もない。かつて彼の身に何が起きたのか想像出来ないが、彼の抱える傷の深さは理解出来る。

それが、他人が容易に触れていいものではないことも、軽率に曝し上げられていいものでもないことも、自分の手では届きようのないものであることも。


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