妖精殺し | ナノ


勾軒の言葉通り、普段から寝起き時に凶相が際立つ化重の顔は、今日は一段と酷いもので。
眉間にはこれでもかと皺が寄り、半開きの眼は視界に映る全てを疎んでいるかのようで、アルベリッヒが身を竦めている。

余程寝足りなかったのか、寝苦しかったのか。はたまた、夢見が悪かったのだろうかと案じる春智から椅子一個分離れた席に座り、化重は唸るような声を出す。


「…………コーヒー、とびきり濃いやつ頼む」

「はいはい」


顔付きも然ることながら、声もいつも以上に低く、擦れている。もしや、風邪でも引いたのだろうか。
しかし、化重は体調不良であれば早々に訴え、一日中部屋で療養する系統の人間だ。無理を通して働くだとか、そういう不合理を嫌う彼のこと。風邪という線は薄い。

だとすれば、何が彼を苛んでいるのか。先程の勾軒の言葉も相俟って、どうにも無視することが出来なかった春智は、猛獣に手を伸ばすように恐る恐る、彼の不調について尋ねてみた。


「おはようございます、化重さん。……ほんと、今日は何だかいつもより怖い顔ですね」

「…………放っておけ」


案の定、化重はまともに答えてはくれなかったが、噛み付かれずに済んだ。それを安堵してしまったと同時に、僅かな後悔が込み上げて、春智は眼を伏せた。

それを見て、気を遣わせたと思ったのか。化重は据わりの悪そうな顔をしながら後頭部を掻いて、深々と溜め息を吐きながら上体をカウンターに沈める。悪かったな、という声が聞こえてきたのは、存外すぐのことであった。


「お待たせ。フキゲンさんの為のスペシャルブレンドだ」

「…………どうも」


コーヒーを受け取らんと顔を上げた頃には、化重の面持ちも概ねいつも通りに戻っていたので、春智は今度こそ心から安堵出来た。

自分のせいで一層気を害していたら、申し開き出来ない所であった。それに何より、化重がいつもの化重でいてくれることが嬉しいと、春智は少し温くなってしまったカフェラテに手を伸ばす。

そうして、ようやく場の空気が和らいでくれたとアルベリッヒが肩を撫で下ろしてから十数分。今日のお茶菓子について話したり、羽繕いするアモンを眺めたり、学校の友人の話――くにちゃんがモテる為にとお弁当を自分で作るようになったが、中身が実にエキセントリックである――と、何気ない時間を過ごした春智は、ふと今日此処に赴いた目的を思い出し、化重の方へ顔を向けた。


「あっ、そうだ。化重さん、複合属性魔術のことなんですけど」

「ああ…………悪い、今日はパスだ」

「えっ」

「昨日、ドワーフの巣の駆除依頼が入ってな…………連れていってやるから、勘弁してくれ」

「ふぉぉ、ドワーフですか! これはまた、如何にも! って感じの妖精ですね!」


一瞬、やはり彼の気を損ねてしまっていたのかと消沈しかけた春智の顔がパッと明らんだ。
それを横目に、いつもながら見事に表情がコロコロと変わるものだと化重が頬杖を突く傍ら、春智は幻想生物図鑑からドワーフの頁を開く。


――ドワーフとは、神話、童話、民間伝承に伝わる小人の妖精だ。鍛冶や工芸の腕に優れ、大地から生まれたが故に地中を好み、岩穴などで暮らしている。

矮躯ではあるが力は強く、自身の何倍もの大きさを有する岩を持ち運ぶことが可能で、その逞しさと手先の器用さから、使い魔として人気が高い。

また、技術教育を施された腕のいいドワーフは通常より高値で取引される為、ドワーフ専属の調教師が存在し、知識とスキルを身に付けたドワーフ達を、魔術道具生産ラインの即戦力として売り払っているという。


そんなドワーフだが、稀に民家の床下や庭先に巣を作り、人間の住居から食糧類を盗み出したり、壁や天井に穴を空ける為、しばしば害獣と見做され、駆除されることもある。
今回の依頼は、ある魔術師の身内の家に出来た巣を駆除してくれとのことだが、家主は魔術師でもなければ魔力を有してもいないので、留守中に片付けてくれとオーダーが入った。

ちょうど今日は家の人間が全員出払う日なので、どうにか都合が付かないかと頼み込まれ、此方を優先した化重だが、春智は先約を破られたことを嘆くより、ドワーフの巣が見られることに舞い上がっている。


「ふふふ、楽しみです。魔術のお稽古付けてもらうのも好きですが、妖精を見に行けるのも大好きなので嬉しいです!」

「…………そりゃ良かった」


常日頃、授業より仕事を優先するとは言ってあるし、突然依頼が入るとも言っているので、悪びれることはないと思っている。
春智もそれについて同意しているので、残念そうにすることはあっても、腹を立てることはなかった。同行を拒まれた時でさえも、だ。

だのに、彼女の気を損ねずに済んだことを、助かったと思うのではなく、良かったと思ったのは、先刻のことを引き摺っているのか。
全く今日は調子が悪い、と項垂れたところで、コーヒーの水面に映る自分の顔の酷さに気が付いて、化重は自嘲を飲み下すようにコーヒーを呷った。鳴り響いた来店ベルの音と、扉の向こうから顔を出した人物に、一同の眼と耳が攫われたのは、まさにその時だ。


「こんにちは」


艶やかな黒髪と、妖艶でありながら清廉とした装い、柔らかな微笑。夜空に浮かぶ月にも並ぶその美貌に瞬きしてしまったのは、彼女の美しさが色褪せないからか。はたまた、此処に赴くことが少ないと聞いていたからか。
何れにせよ、今日此処で彼女と顔を合わせることになるとは微塵も思っていなかったので、我が目を疑うのも致し方ないと春智が呆然とする中。化重達も、これまた意外な客だという顔で彼女を迎えた。


「やぁ、沙門くん。いらっしゃい」

「こんにちは、マスター。それに皆さんも」


月明かりを思わせる微笑みを見せるその人――沙門真夜加。彼女が前回此処を訪れたのは先月のこと。こんな短期間に二度もストレリチアに姿を現すなど、滅多にないことであった。

沙門は呪術医としての腕前は勿論、大層な美人であることも有名で、彼女に診てもらう為に遠方から遥々足を運んでくる客までいる程で、診療所は大繁盛と聞いている。
その多忙さ故、ギルドに顔を出す時は何かしらの案件を抱えている時か、招集が掛かった時に限られるのだが――と、化重達が勘繰るような眼差しを向ける中。沙門は絹ような足取りで此方に歩み寄り、一同の前で深々と頭を下げた。


「その節は、ありがとうございました。なんだか、想像していたより大変なことになってしまっていたようで……」

「お前が気にすることじゃねぇよ。たかがヴィルデ・フラウと舐めてたこっちの落ち度だ」


麗とヴィルデ・フラウの一件が、予想を上回る大事になってしまったと聞いて、仲介した身として罪悪感を覚えていたらしい。沙門は申し訳なかったと頭を下げるが、化重は勿論、春智もアルベリッヒも、過ぎたことであるし、何より、彼女が謝ることは無いと頭を振った。

極道の親分の孫娘が巫女体質で、無意識下に行っていた降霊術によってヴィルデ・フラウを呼び寄せ、庭に異界とのパスを繋げてしまっていたなど、誰にも予想出来ないだろう。
妖精殺しと呼ばれる化重でさえ予見出来ず、話を聞いた勾軒も「そんなことになっていたのか」と腹を抱えて笑っていた程度にイレギュラーな事態だった。

そんな事態を想定し、依頼を寄越すことなど誰にも出来なかっただろうし、ヴィルデ・フラウのことは沙門には何も関係ないのだ。何も気に病むことはないし、頭を上げてくれと沙門を促したところで、化重はふと、彼女のことを思い出した。


「ところで、あの嬢ちゃんはどうだ? お前んとこでシャーマンの勉強中だと聞いたが」

「ええ、ええ。それはもう、素晴らしい伸び代で! 霊媒、脱魂、呪術……あらゆる分野の巫術を次々とマスターし、今は道具作りの勉強中ですの」


ヴィルデ・フラウを呼び寄せ、剰え自らの母親の降霊にまで成功した麗は、魔術議会で検査を受けた後、菊紋寺立ち合いの元、沙門の弟子として巫術を学ぶことが決定した。

当初は、麗の魔力を封印し、普通の子供のように暮らせるよう処置する話も出ていたのだが、麗自身が魔術を学びたいと強く志願してきたこと、魔術師になりたいという孫の願いを尊重したいという菊紋寺の言葉から、議会は彼女を魔術師として迎えた。

沙門が麗の師となったのは、同じシャーマン系列の魔術師であること、顔見知りであることもあったが、彼女が自ら申し出たのが決定打となった。
彼女の診療所が忙しいことは議会の耳にも届いており、他の魔術師に任せようという話もあった。しかし、麗に起きた事の顛末を聞いた沙門が、どうしても自分にやらせてほしいと言うので、議会は彼女を麗の師として任命した。

それは、麗の巫女体質や、彼女が抱える危うい願望を見抜けなかったことへの罪滅ぼしだったのだろう。だが、次から次へと巫術を体得していく麗のことを嬉々として語る沙門には、そうした後ろめたさは感じられず。今の二人の間には、良好な師弟関係が築かれていることが窺える。


「以前から、高い魔術的素質を持っているとは思ってましたが、あれ程までとは思いもしませんでしたわ。彼女はまさに、神霊に選ばれし召命型シャーマンなのでしょうね」

「沙門くんがそんなにテンションが上がるなんてねぇ。本当に凄い子なんだね、麗ちゃんは」


饒舌に弟子自慢を語る沙門のほくほく顔を見ていると、此方の表情まで綻ぶ。麗にスタート地点から追い抜かれ、今尚、破竹の勢いで先へ先へと進まれていることに対するやっかみさえ、完全に鳴りを潜めているのだろう。よかったよかったと破顔する春智に、化重の方が複雑な面持ちをして、眉を顰めた。凡そいつもそんな顔をしているので、それに気が付いたのは勾軒だけだったが。


「で、今日はどうした? 今度は爺さんの方にお迎えが来たか?」

「ああ、いえ。今日は待ち合わせの為に此方へ」

「待ち合わせ?」


不謹慎極まれる化重の悪態さえ吹き飛ぶ程に意外な用件に、一同が揃って疑問符を浮かせたその時。タイミング良く鳴り響いた来店ベルに、再び視線がドア方面へと集められた。


「あっ、ちょうどいいところに。戌丸さーん、こっちですよー」

「あ……あいつは……」

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