妖精殺し | ナノ


手を振る沙門に軽く会釈しながら、此方へと足を進めるその人物を見て、春智の頭に過った言葉は「デジャヴ」であった。

短く刈られた坊主頭に、厳ついサングラス。黒いスーツを纏う筋骨隆々の体躯。そして、顔の随所に奔る傷痕。菊紋寺の屋敷に、こんな人物がいなかったかと聞けば、恐らく誰もが頷いただろう。というか、彼は菊紋寺の関係者なのではないか。

春智がそんなことを考えているのが、手に取るように分かるのだろう。化重が笑いを噛み殺し、それに釣られて沙門が小さく咳き込むように笑い声を誤魔化す中、勾軒は努めて涼しい顔をして、男に挨拶をした。


「やぁ、戌丸くん。久し振りだね」

「どうも、勾軒さん。お変わりないようで何よりです」

「そんなことないさ。もう歳だからね、あちこちガタがきちゃって参ってるよ」

「またまた御謙遜を……」


戌丸と呼ばれた男は、見た目にそぐわず礼儀正しく、菊紋寺の所にいた極道達よりも、ずっと穏やかな印象だ。


――もしや彼はヤクザではないのか。


魔力を持たない者には認識出来ないこの店に、彼が入ってきた時点で理解出来ることに春智が気付いたところで、男――戌丸は沙門の方へと向き直し、ややばつが悪そうに背を曲げた。


「っと、お待たせしてしまいましたか、沙門さん」

「いえいえ。私もちょうど今来たところです」


そういえば、沙門は待ち合わせの為に此処に来たと言っていた。ということは、相手は彼と見て間違いないだろう。

喫茶店で、男女が待ち合わせ。それにこの何とも言えない、いい雰囲気。これはもしや、そういうことなのではと、春智は戌丸に聞こえない声量で、沙門に尋ねた。


「…………沙門さんの彼氏さんですか?」

「あらあら。そんな風に見えるなんて、光栄だわ」


春智の気遣いも虚しく、彼女の声は戌丸の耳にも届いており、店内には彼のわざとらしい咳払いと、沙門の鈴が鳴るような笑い声が響いた。

沙門と恋仲なのかと思われたことに対し、戌丸は気恥ずかしさと気まずさを感じているようだが、沙門の方は特に気にしていない様子だ。

その余裕は、よく間違われているからなのか。そう見られても構わないと思っているからなのか。真意は定かではないが、沙門と戌丸が現段階では恋人同士という間柄ではないことは確かであった。


「此方、戌丸勘助(いぬまる・かんすけ)さん。うちのお得意さんで、今日はこれから健診なの。戌丸さんったら、”ブロー”のお仕事が忙しいって、全然うちに来てくれないから、今日は此処で待ち合わせして、うちまで連行することにしたの。女性を外で待たせるようなこと、戌丸さんは出来ませんから」

「……面目ない」

「そう思うなら、定期健診欠かさないでくださいね」


どうやら、此処で二人が待ち合わせていたのは、戌丸を出迎える為だったらしい。

忙しいことを理由に定期健診を放ってしまう彼に業を煮やし、今日こそは診療所まで連行してやると沙門自ら出向いてきた、ということらしいが。彼女とて多忙だろうに、彼の為にわざわざ此処まで足を運んで待ち合わせるとは、やはりそういうことなのではと春智が再び勘繰る横で、化重がシニカルな笑い声を零した。


「まるで予防接種を嫌がる犬だな。流石、猟犬」

「誰も注射が嫌で行かない訳じゃない。というか、沙門さんは注射なんて使わない」

「物の例えだ。ところで、注射なんてって言い方してると、苦手意識が透けて見えるぞ」

「ぬかせ。注射に苦手意識を持っているのはお前の方だろうが」

「何だと」

「……仲が良いんですね、あの二人」

「叶と戌丸くんは歳も近いし、何かと似通ったところがあるからね。子供の頃からあんな調子だ」


思えば、化重と同性且つ同年代の人物に出会ったのは、これが初めてだ。だからだろう。化重が誰かと、子供のように口論しているのを見るのもこれが初めてで、春智は彼の事新しい一面を見つめた。


「化重さんの子供時代かぁ……」


当たり前のことだが、化重にも幼少期がある。自分よりも背丈が低く、体も細く、魔術習いたての時分。彼は、どんな子供だったのだろう。

あーだこーだと揚げ足取りの舌戦を繰り広げる化重の姿から、知り得る筈のない幼き日の彼を思い描き、春智が眼を細めていると、ふと冷静になった戌丸が思い出したように話を切り替えた。


「そういえば化重。先月、ヴィルデ・フラウの駆除に当たっていたそうだな」

「…………それは沙門から聞いたのか? それとも、議会のお偉いか?」

「その様子からするに、何となく察しがついたようだな」


いつもの調子に戻った化重が眉を顰めると、戌丸は皮鞄からクリップボードを取り出した。

ファイリングされている紙は何れも真っ白で、春智は、これから何かを書く為に出した物なのだろうかと思ったが、紙の上に戌丸が手を翳すと共に、文字が浮かび上がった。
第三者の眼に触れぬよう、魔術加工を施していたらしい。それだけ重要な文書なのだろう。戌丸は、書類を化重に手渡すと、実に重々しい声で事のあらましを話し始めた。


「先のヴィルデ・フラウの大量発生は、菊紋寺麗が無意識下で行った口寄せに因り、ヴィルデ・フラウが住まう異界とのパスが繋がったが為に発生したが……どうもこの近隣には、土地そのものに根付いたヴィルデ・フラウが棲息しているのかもしれねぇな」

「……これは?」

「ここ二、三年の間に起きた、未成年の行方不明事件リストだ」

「何だと?!」


声を上げたのは、書面を覗き込んでいたアルベリッヒであったが、心境としては化重も同じなのだろう。一層顰められた眉間は、このデータを俄かには信じ難い――というより、信じたくはないと物語っている。

無理もない。たった二、三年の間に、この近辺で十数人もの子供が行方不明になっているというのだ。色濃い異常の匂いに、眼も眩む。


「短期間の間にこの人数。それでいて、犯人の手掛かりはゼロ。これは最早誘拐というより、神隠しの類だろうとマル怪が調査を進めていたんだが……こないだの一件で、ヴィルデ・フラウが日本に流れ込んで来たんじゃないかって話も上がってな」

「マル怪?」

「警察官として潜伏し、幻想生物や魔術が絡んだ怪奇事件を内密に捜査し、これを魔術議会に伝達する諜報員……怪奇事件捜査課の略称だ」


魔術議会怪奇事件捜査課――通称・マル怪。彼らは魔術議会から各地方警察へ送り込まれた諜報員であり、普段警察官として勤務する傍ら、幻想生物や魔術師が起こした事件を内密に調査・解決することを職務としている。

この行方不明事件も、当初は別の事件として捉えられ、警察が捜査を行っていたのだが、何れも手掛かりが皆無という共通点から、これは此方の世界の問題ではないとマル怪が動き始め――先の菊紋寺邸での一件で、容疑がヴィルデ・フラウに向いた、ということなのだろう。

概ね察しただと、行方知れずとなった子供達の顔と名前を眺めながら、化重は深い溜め息を吐く。


「で、俺にまたヴィルデ・フラウ狩りをしてこいっつー流れか、これは」

「いや。現段階では、犯人がヴィルデ・フラウだとは断定出来ていない。別の妖精の仕業かもしれないし、これらが別事件である可能性もある。お前に正式な依頼が来るのは、暫く先になるだろうが……もしもということもあるからな。一応、眼を通してもらってこいと議会からのお達しだ。そういう訳で、何かあったら連絡してくれ」

「成る程。此処が待ち合わせに選ばれた理由がよく分かったぜ」


定期健診をサボらぬよう、外で待ち合わせることを提案したのは沙門だが、恐らく場所を指定したのは戌丸の方だろう。

沙門との待ち合わせついでに、自分にこの話をしていこうとは。何処までも仕事人間だと呆れたような顔をしたところで、ふと壁の時計に眼が向いた化重は、仕事の時間が近付いていることに気が付き、席を立った。


「もうこんな時間か。そろそろ行くぞ、弟子」

「あっ、はい!」

「今日はどちらへ?」

「隣町まで、ドワーフの巣の撤去作業だ」


椅子の背凭れに引っ掛けていたジャケットを羽織る化重の隣で、春智が慌ただしく荷物をまとめる。

上着を着て、鞄を持って、最後にムーを肩に乗せる。前々から勝手についてきていたムーだが、近頃は置いていこうとすれば頭を激しく振って喚くようになり、それでも置いていったところで、いつの間にか肩の上か髪の中にいるので、こうして連れていってやることにしたのだ。


ムーは化重の仕事中騒いだり、春智の傍から離れたり、いなくなったりすることもない。連れていってくれと駄々を捏ねていたのが嘘のように大人しく、聞き分けも良くなるので、化重から同行許可は下りている。

家に帰る時は普通にしているのに、何故化重の仕事となると同行したがるのかは分からない。幻想生物の幼体たるプシュケーであるが故に、妖精に思うところがあるのか。彼らから何かしらの影響を受けようとしているのか。いつしかこの謎を解明する為にもと、我が物顔で肩に陣取ったムーの頭を軽く撫でてやったところで、準備OKと春智は軽やかに一歩踏み出し、くるりと踵を返して勾軒達に挨拶した。


「それじゃ、行ってきまーす!」

「いってらっしゃーい」

「車に気を付けるんだよー」

「ムー!」


春智の真似をしているのか。手を振る代わりに上体をメトロノーム宛らに振るムーの声がドアベルの音に上塗りされると、店内に暫しの静寂が訪れた。

先程までの賑々しさを名残惜しむような、次の会話が始まるまでの休息のような、そんな静けさの中、最初に口を開いたのは戌丸であった。


「……しかし、あいつが弟子を持つようになるとはな」


思わず口から出たようなその声は、化重が弟子を持ったことへの意外性を陳じているのではなく、これを危惧しているかのようだった。

化重と春智とでは歳が離れているからとか、女子高生を連れ立っていては不審に思われるのではとか、そういうことではなく。相手が春智でなくとも、化重が弟子を持つこと自体が危ういというような――そんな響きを感じ取ったアルベリッヒが惑う中、戌丸は勾軒に是非を問う。


「大丈夫なのか、勾軒さん。あいつは――」

「……魔術に於いて大事なことは、信じることだ」


戌丸が何を危うんでいるのか。その不安材料を全て知り得ていながら、それでも勾軒は、穏やかに微笑むだけだ。

その危険性を誰より心得ているのは、化重当人だろう。だが、彼自身がそれを受け入れているからこそ、今日まであの二人は師弟として共に在る。例えそれが、ほんの一時、泡沫の夢になるとしても。未だ可能性はゼロではないのだと、勾軒は力強く笑ってみせる。


「奇跡を掴み取ることを信じて、直向きに打ち込む。それはとても難しいことだが……我々魔術師は、そうして歩んできたんだ。だから、私は信じているよ。叶のことも、彼女のことも……ね」


何かを信じ続けるというのは簡単なことではない。常に成功のイメージを思い描きながら、目の前の困難に立ち向かうというのは、己との戦いだ。挫けそうになる心を調伏し、失敗を恐れず、研鑚を積む。これを成し遂げること自体が、一つの奇跡とも言える。

故に、魔術師は信じるのだ。奇跡を得る為に、奇跡を成すことを。

そう語りながら、サービスとして戌丸と沙門の分のコーヒーを淹れる勾軒の顔は酷く穏やかで。戌丸は、彼がそう言うのであればと、沙門と共にカウンターに着いた。


「ところで、アルベリッヒ様は同行しなくて良かったのですか?」

「はっ!!」

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