妖精殺し | ナノ


季節は移ろい、気付けば冷たい吹き抜けるようになってきた、今日この頃。次第に強まる寒気に備えてか、随分毛が増えたようなムーを傍らに、春智はタクトを揮う指揮者の如く、軽やかに杖を動かした。


「発火(ファイア)」


魔術に於いて、円とは魔力を囲い込み、これを高める役割を有するとされている。故に、基本は丸。対象を囲むように宙に円を描くことがコツだと教えられたのも、早一ヶ月前。
蝋燭相手に奮闘していた日々が随分前のことに感ぜられるのは、出来なかったことが出来て当たり前になったからなのだろう。コンロを点けるような気軽さで、暖炉の焚き木に火を点けた春智は、両手を腰に当て、ふんすと鼻で息をした。


「うん。もうすっかり発火魔術を扱えるようになったね、お嬢さん」

「えへへへへ。ありがとうございます、勾軒さん」


発火魔術を習得したばかりの頃。ようやく使えるようになった魔術を使いたくて仕方なかった春智が、何か燃やす物は無いか、煙草を吸わないか、頻りに尋ねて回っていたからか。勾軒は、春智が初級魔術をあらかた覚えてきた今になっても尚、火を用いる時、つい彼女に声を掛けてしまっていた。

わざわざ春智を呼ばずとも事済むのだが、とうに発火魔術をマスターしているというのに、彼女が毎回嬉しそうに飛んできてくれるので、頼みたくなってしまう、というのもあるのだろう。ぱきぱきと音を立てて燃える焚き木の前に手を翳し、ムーと共に眼を細める春智を見遣りつつ、勾軒は温かいカフェラテと今日のお茶菓子・クランベリーのクラフティを用意する。


「今日は確か、複合属性魔術の修行だったか」

「はい! 火属性と相性のいい風属性を組み合わせた魔術と聞いたので、アルさんに風属性魔術のコツを教えてもらったんです! これで予習はバッチリですよ!」

「うむ。我がヘクセベルク家は風属性の魔術を得意としている……ので、僕も多少心得があるのだ。お、多いか少ないかで言えば多い方だと思うぞ。多分」


ヘクセベルクの祖先たるエルフは、弓術に長けた妖精であり、彼らは風の力を以て矢の弾道や飛距離を操っていたとされている。その為、ヘクセベルクは風属性の魔術を得意とし、アルベリッヒも初級魔術であれば凡そ問題なく扱うことが出来るので、春智が来たる複合属性魔術の修行に備え、風属性の魔術を鍛えたいという話を聞いて、彼女を指南していたらしい。

途中、彼女の呑み込みの早さに凹んだりしたが、そこは自分の教え方が良かったからだと強引に立ち直ったのだろう。自信に満ちた様子の春智と、その傍らで得意気な顔をしているアルベリッヒに穏やかな笑みを浮かべつつ、勾軒は二人分のカップとお茶菓子をカウンターに並べた。


「しかし、早いものだね。お嬢さんが初めて此処に来て、叶の弟子になって、魔術を習い始めて……それをこうして近くで見ていた筈なのに、気が付いたら、もう複合属性魔術を習うようになっているんだから、驚いてしまう」


ふーふーとカフェラテを冷ます春智は、言われてみればと壁掛けのカレンダーを一瞥し、初めてストレリチアを訪れてから、もう三ヶ月になることに眼を瞬かせた。

化重に助けられ、当てもないまま彼を追い掛け、この店に辿り着き、勾軒の計らいで魔術を学び始め、早三ヶ月。化重に魔術を習う日や、彼の仕事に同行させてもらえる日が待ち遠しくて仕方なくて、時に放課後が来るまでの数時間だって途方も無く感じられたというのに。過ぎてしまえば恐ろしくあっという間だ。
まさしく、光陰矢の如し。改めて、この三ヶ月を振り返りながら、春智があれやこれやと思い返して感慨に耽る中、勾軒は少し申し訳なさそうな顔で笑った。


「正直、此処まで長続きすると思っていなかったんだ。お嬢さんではなく、叶の方が、ね」


人に視えないものが視えていただけの少女も、今や立派な――と、現段階では言い難いが――魔術師になり、この店にもすっかり馴染んできた。

こんな日が来ることを、当の春智も化重も、考えていなかっただろう。だが、彼らにそうすべきと言った勾軒自身が、その実、誰よりもこの未来を思い描いていなかったのである。


「叶はあれでいて面倒見がいいし、何だかんだ甘いところもあるけれど…………何と言うか、自分の近くに誰かを置いておくことが出来ない性分だからね。だから、お嬢さんが三ヶ月も叶と一緒にいることに、ちょっと感動していたりするんだ」


くしゃりとした笑顔でそう語る勾軒の言葉の全てを理解出来ていないのに、何故だか妙に腑に落ちて、春智は喉元まで出てきた声を呑み込んだ。


彼の言う通り、化重は面倒だ何だと言いながら世話を焼いてくれるし、寛容な面も多く見られ、失敗や停滞が続いても此方を見放すことなく、根気強く向き合ってくれた。

それでも、化重には常に他人と一定の距離を保とうとしているところがあって、それはまるで、自分の核心的な部分に触れられることを徹底して拒んでいるかのようであった。

何が彼をそうさせているのかは分からないし、ただ単に、彼が過去を振り返ることを嫌っているだけと思っていた。否、そう、思い込もうとしていたのだ。


其処に触れたら最後、自分と化重の関係が途切れてしまうようで、春智は無意識的に、目の前の危殆を見なかったことにしていた。

化重には人に曝け出したくない傷があり、それは、自分が手を伸ばしてはいいものではないのだ、と。だのに、本当にそれでいいのかと今になって思ってしまったのは、勾軒の笑顔に一抹の悲哀が滲んでいたからだろう。


彼はきっと、知っている。かつて化重に何があったのか、何が彼を他者との間に線引きをしているのか。全てを知っているからこそ勾軒は、化重と春智が共に在る今を貴んでいるのだろう。

いつか彼を取り囲む柵が消える日が来てくれることを願っているその瞳は、今は何も語れることが出来ないことを許してほしいと言っているようで、春智は思わず、こくりと頷いた。

二階に繋がる階段から、重い足取りで彼が降りてきたのは、そのすぐ後だった。


「おはよう、叶。今日はまた、随分酷い顔をしているなぁ」


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