FREAK OUT | ナノ


コチコチ、秒針の音が聴こえる程の静けさの中で頬杖を付きながら、愛は時折手持無沙汰にシャープペンシルを回しつつ板書を進めていたが、どうにも授業に集中出来ていなかった。

久方ぶりの登校で疲れているのか。昼休み前の歴史の授業は、どうにも眠くなって仕方ないとうつらうつらしているのか。愛が授業を半分聞いていないと知れば、何人かはそう考えるだろうが、実際そのどちらでもなく。彼女の気を散らし、思考を奪っているのは、今この場にいない慈島であった。


(慈島さん……もうお昼かなぁ)


時計の針は正午を回っている。そろろそ慈島も、昼食を摂る頃合いだろう。

弁当はいつも通りに作った物ばかりだが、それ故、出来栄えに申し分は無い。弁当箱を開けた時、彼はどんな顔をするだろう。何から箸を付けるだろう。空想して、ゆるゆると緩んでいく口元を隠すように、愛は教科書を立てた。


(お弁当、食べてくれたかなぁ……。おいしいなって、思ってくれたかなぁ……)


母が入院してから、自分以外の人間に食事を作ったことなど、無いに等しい。しかも弁当など、人の分まで作るのは初めての事だ。

ぱたぱたと脚を前後に動かしながら、愛はいち早く慈島の感想を聞きたいと胸を高鳴らせる。


(早く帰って、どうでしたかって聞きたいなぁ……)


結局、愛は慈島の事ばかり考えて、遅れを取り戻すべく意気込んで臨んだ筈の授業も殆ど頭に入らずに終わった。





都心に程近い嘉賀崎は、ビルが多い。特に駅前周辺は、右も左も背の高い建物ばかりだ。
その為、ビルの影に埋もれ、昼間でも薄暗い場所は多い。夜行性の店が並ぶビル街の路地裏などは、特に。

未だ回収車が来ていない為か、飲食店から出た生ごみの匂いと、日陰独特の湿気た空気が入り混じって鼻を衝く。その中から一際濃く匂う獣臭を、慈島の鼻はしかと嗅ぎ取っていた。


慎重に、可能な限り音を立てないように。それでいて素早く、慈島は匂いのする方へ足を進める。一歩、また一歩と、仄青い影に染まる道を進むごとに、それはグンと強さを増す。対象が此方に向かって来てくれているのもあるだろう。ちょうど正反対の方向から、嵐垣と芥花を歩かせていたのが上手くいったらしい。

能力者の眼に触れぬよう、用心深く此処まで潜り込んで来たそれは、嵐垣達との接触を避けるべく、人気の無い方へ身を滑らせる。彼等に誘導されている事には、気が付いていないのだろう。


するすると此方に向かって来るターゲットの纏う、青臭さと獣臭さを混ぜたような匂いを嗅ぎ取りながら、距離を測る。やがて慈島は物陰で足を止めると、息を潜め、待ち伏せの姿勢を取った。
匂いが近付くスピードからして、ターゲットが現れるまであと数秒。慈島は踏み込むタイミングを頭に描きながら、カウントを取った。

三で足に力を入れ、二で踏み込む。一で大きく跳躍し――ゼロ。狙い通りに慈島は、何もない壁に向かって、拳を突き立てた。


「ギャギャギャァーーーーーーッ!!!」


拳がやわくめり込む感覚。確かな手応えを感じた慈島が勢い良く腕を振り下ろすと、けたたましい悲鳴が路地裏に谺した。

劈くような鳴き声を上げるそれが、べしゃりと地面に落ちる。見下ろせば、アスファルトの上でビルの壁が悶えていた。正確には、アスファルト上でビルの壁と同じ色をした巨大な蜥蜴が、慈島に殴られた痛みで悶えていた。


「ご自慢の擬態能力も、それじゃ台無しだな」


慈島が皮肉るようにそう言うと、蜥蜴は目玉をぎょろぎょろと動かしながら、大慌てで体を起こした。すると、蜥蜴の体が酸性雨で汚れたビルの色から、鮮やか過ぎる緑へと変わり――やがて、真っ赤な口から異様に長い舌が現れた。

その姿を見て慈島は、このカメレオンに似たフリークスがターゲットで間違いないと確信した。


「フリークス、クラフィティー……ランクは≪芽≫。お前で、間違いないな」

「チクショウが!!なんでオレの居場所が分かった!!」


地面に這いつくばる、体長ニメートルはあろうカメレオン型のフリークス・クラフィティーは、皮膚の色をチカチカと変化させながら喚き立てた。

この能力を上手く使って景色に溶け込み、FREAK OUTの能力者を避けてながら此処まで来たというのに。何故見付かって、待ち構えられて、ああも見事なタイミングで殴られたのか。納得出来ないと憤り、クラフィティーはショッキングピンクの唾を吐き散らした。


「それに!大体!お前!!どうして匂いがしなかったんダ!!!」


大きく開かれた口の奥には、フリークスの核が確認出来た。バスの運転手に化けていた奴や、河川敷で愛を襲ったフリークスのそれよりも、一回り大きいそれを眺めながら、慈島はポケットから煙草を取り出して、悠々とそれに火を点けた。


「能力者の匂いなら、すぐに分かる筈だ!あっちにいたガキ共も、それで避けてきたってのに……お前、一体何処カラ湧いてきた?!」


クラフィティーの問いに、慈島は煙草を咥えたまま、にたっと口角を上げた。


その笑みを、クラフィティーは知っていた。

あれは、捕食者の笑みだ。追い詰めた獲物の喉笛に、いつでも牙を突き立てる事が出来る。絶対的捕食者の。


思わず息を呑み、凍り付いたかのように固まりながら、クラフィティーは慈島の口がゆっくりと開いていくのを呆然と眺めていた。


「お前がこっちに逃げて来たのは、そのガキ共から距離を取る為と……仲間の匂いがしたからだろう」


ぞわっと全身を震わせる悪寒に竦み、クラフィティーは思わずアスファルトに爪を立てた。


慈島は、未だ答えをはっきりとは示していない。だのに、この悍ましさは何だ。一体こいつは何を言っているのかと、クラフィティーは地面を引っ掻く。

その様はまるで、逃げる機会を窺う小動物のようだと嘲りながら、慈島はまた意地の悪い、曖昧な言葉を口にした。


「微かだが、同じフリークスの匂いを感じたお前は、上手くやれば其方に能力者を向けられるかもしれないと、藁にも縋る思いで此処へ来た。そうだろう?」

「お前、何、ヲ……いや、まさカ」


ジリジリとたじろぐクラフィティーの前で、慈島は牙を剥くように嗤った。その歯は人のそれよりも鋭く尖り、此方を見据える眼は獣のように爛々と、薄暗い影の中に浮かんでいる。

其処でクラフィティーはようやく理解した。自分は此処に逃げ込んだのではなく、追い込まれたのだという事を。


「俺の匂いを、仲間の物だと思っていたんだろう。何せ俺は、お前ら化け物とよく似た……”怪物”だからな」


慈島がそう口にした次の瞬間、クラフィティーは素早くその場を飛び退いた。

間髪入れず、アスファルトが砕ける音が轟く。その様を張り付いたビルの壁から見ていたクラフィティーは、その大きくせり出た眼をこれでもかと丸くした。アスファルトを砕いてみせた腕を覆う、黒い装甲。そうか、そういう事かと、クラフィティーは体を大きく震わせ、声を上げた。


「そうか、その腕、その匂い……お前、仲間から聞いたことがあるゾ!!」


答えはもう、とっくに出ていた。認めようとしていなかっただけで、慈島の存在を認知してしまった瞬間から、クラフィティーは気付いていた。

彼は知っていたのだ。眼の前の男が何者であるのかも、彼が”怪物”と称される、その所以も。


「お前は、俺達フリークスを食って強くなる……俺達に近い、俺達の天敵!十怪(ジュッカイ)のケムダー様から生まれた半人半フリークス……”怪物”慈島志郎だ!!」


prev next

back









×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -