霊食主義者の調理人 | ナノ


伊調の到着まで、席で待っていたのだろう。
少女――神喰羽美子は、徒に手にしていたグラスを置いて、椅子から降りた。

辺りは皿やコップの破片が散乱して非常に危なっかしいというのに、羽美子は何の躊躇いもなく歩みを進めた。
まるで、自らの通る道を阻むもの無しというような、その堂々たる様に思わず見惚れていると、羽美子は両の手を腰に当て、ご立腹のポーズを取ってきた。


「辺り一帯、いい匂いがするんだもの。すっかりお腹が空いてしまったわ」

「いい匂い、ねぇ……」


一応、指定された時間通りには来たのだが、羽美子の方が到着が幾らか早かったらしい。
伊調が来るまでの間、辺りの匂いに誘われて、腹の虫が鳴いてきたと彼女は訴えてきたが、この異常な空間で空腹を煽られるというのは如何なものか。

確かに、鼻に衝く程にトマトソースの匂いは充満しているが――彼女が言っている”いい匂い”というのは、別のものを指しているのだろう。

どちらにせよ、この状況下で腹が空くというのは納得しかねるがと、伊調は肩を竦めた。


「成る程。話に聞いていた通り……あんた、相当”偏食”みたいだな」

「グルメと言ってちょうだい」


言葉は不服を申し立てているが、その顔にはイタズラっぽい笑みが浮かんでいる。

そういうところも、ますます子供らしくないなと、伊調が浅く溜め息を吐くと、羽美子がクイっと袖を引いてきた。


「さて、早速初仕事よ、伊調。この店で起きていることは、もう把握していて?」


そうだった、と伊調が呑気なことを言うと、オーナーシェフから咎めるような眼差しを向けられた。

最初に来たのが年端もいかぬ少女、次に来たのが如何にも胡散臭い男というコンボで、ただでさえ不安だろうに、揃いも揃ってこの気散じっぷり。
本当に大丈夫なのかお前ら、と訴えたくなるのも致し方ない。

彼が皿を投げてくる前に、しっかり仕事しなければと、伊調は少し背筋を伸ばした。


「……最初の異変は、三ヶ月前。誰もいない厨房で、調味料がぶちまけられていたことが発端だった」


売り上げ、評判、客足。全てが上々で、何もかもが順風満帆。そんな日々に終わりが来るなど夢にも思わなかった中、悲劇は起きた。


「当初は偶然だろうと思われていたが、それから一週間後には食器棚の中身が散乱。更に五日後には、ひとりでにコンロが火を点け、あわや火事に……。
こうして、どんどんスパンを短くしながら、被害は拡大し、今月に入ってからは客に出す料理までもが……。
で、流石にこれはヤバいと判断し、店は休業。心霊関係の人間を頼って、教会に依頼……っつー流れだったかな」


言いながら、伊調は辺りを見回し、改めてこの惨状に顔を顰めた。

もう、片付けるのも嫌になってしまったのだろう。荒れたままに放置された店内を見ていると、オーナーシェフ始め従業員達の遣る瀬無さが感ぜられ、悲愴さが増す。

窶れるのも無理はないと、伊調は頭の中で資料と現場の状況を合わせて、結論を出した。


「随分派手にやらかしてるが、恐らく騒霊……ポルターガイストの仕業かと」

「ポ……ポルターガイストって」

「誰も手を触れず物が移動したり、発光・発火が起きたり、ラップ音が発生したり……という、心霊現象の一種よ。よく心霊番組でやっているでしょう? まぁ、あれは殆どヤラセだけれど」


――ポルターガイスト。

その言葉は、オーナーシェフにも聞き覚えがあった。
羽美子の言う通り、夏場の心霊特番で、幽霊による物体の移動や、異常なラップ音と特集されていたのを何となく見たことがあるのだ。

当時は、そんなものがある訳はないだろうと、茶化していたのだが。どうやらポルターガイストというものは実在し、この異常現象は、それに因るものらしい。

しかし、実物のポルターガイストというのは、給仕の手から出来立てのパスタを奪い取り、壁にぶちまける程、アグレッシブなのか。
話に聞いていたより――その話が退魔師お墨付きのヤラセとはいえ――随分破壊的なものだとオーナーシェフが唸っていると、羽美子も呆れたような顔で店を見渡した。


「此処までやらかすモノは、私達の業界でもそう拝めるものではないわ。相当の大物が潜んでることでしょうね」

「……相当の大物、ねぇ」


ホールの散策を終え、キッチンを覗きに行った伊調は、羽美子の言葉に思わず口を挟んだ。

そこでふと、彼の方を見たオーナーシェフは、思わず戦慄した。
キッチンを見据える力無い瞳。それは宙を眺めているようで、確かに、見えない何かを捉えていた。


――いるのか、其処に。

震えるオーナーシェフを余所に、伊調は淡々と、目にしたものの感想を述べた。


「俺的には、超弩級の大物って感じだけどなぁ」


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